ヨーロッパでは冬の移籍市場がスタートした。セリエAの移籍市場期間は、1月4日から2月1日まで。
その名の通り欧州でシーズン途中となる冬の移籍市場は、すでに戦いをスタートしているチームに少しでも安定をもたらしたり、怪我人の出たポジションに代わりの選手を獲得したりと、補強的な目的となることが多い。しかし、この冬の期間に加入した選手が主役となり、クラブを一段と強くするケースもいくつかある。
ここでは、冬の移籍市場でセリエAクラブに加入し、欠かせない存在となったスター選手9人を紹介しよう。

ダービッツ
移籍先:ユベントス(1997年1月)
1991年9月6日にアヤックスでプロデビューを果たした元オランダ代表MFエドガー・ダービッツは、そのハングリー精神、運動量、レベルの高いスキルで多くのビッグクラブの注目を集めた。
1996年の夏にはミランに移籍するが、ロッソネーリ(ミランの愛称)でのプレーはうまく行かず、同クラブDFアレッサンドロ・コスタクルタから「Mela marcia(問題児)」と呼ばれるほどチームメイトとの相性も悪かったという。
そんなダービッツは、1997年1月にユベントスに移籍すると同クラブの柱になる素晴らしい活躍を見せることとなった。
結果ビアンコネーリ(ユベントスの愛称)では7年間プレーし、セリエA優勝を3度(1997/98、2001/02、2002/03)果たした他、優勝には届かずもチャンピオンズリーグ(CL)決勝戦に2度(1998、2003)たどり着いている。

ガンツ
移籍先:ミラン(1998年1月)
かつてインテルに所属した(1995-1997)イタリア人FWマウリツィオ・ガンツは、多くのゴールを挙げていたことから「El segna semper lu(いつも彼が決める)」というニックネームがついていた。
インテルとの関係は良好だったにもかかわらず、ガンツは1997/98シーズンの冬の移籍期間にミランに移籍した。その数日後の1月8日、ロッソネーリはコッパ・イタリア(カップ戦)でインテルと対戦。5-0で歴史的な勝利を収める。同試合でガンツは元所属クラブ相手に1ゴールを決めている。
翌1998/99シーズンには20試合中5得点を記録。

中田英寿
移籍先:ローマ(2000年1月)
ペルージャでセリエAデビュー(1998年9月13日)を果たしてから、イタリア国内、そして日本中で話題となった元日本代表MF中田英寿は、次の1999/00シーズン開始前から多くの欧州クラブの注目を集めていた。
同シーズン、ペルージャの選手として開幕を迎えたが、シーズン途中の冬の移籍期間にローマへ移籍することとなる。中田にとってローマ時代の日々は辛かったであろう。イタリア代表FWフランチェスコ・トッティの控え選手として使われていたことが多かった為だ。しかし、同選手は輝くためのチャンスを見逃さなかった。
2000/01シーズン、セリエA第29節。シーズン終了まで残り6試合にして、優勝争いのローマとユベントスが直接対戦を迎えた。前半終了時点でローマが2点ビハインドのところ、中田はトッティと交代しピッチに立つ。1得点を挙げた上、試合の流れを大きく変えることとなった。
中田の勝負所の素晴らしい活躍によって、同試合ローマはユベントスと引き分け、首位の座を守り抜く。結果、同シーズン優勝を果たすことができた。

スタンコビッチ
移籍先:インテル(2004年1月)
現在レッドスター・ベオグラード(1995-1998)の監督を務める元セルビア代表MFデヤン・スタンコビッチは、かつてラツィオの選手として注目を集めてから、2004年1月にインテルへの移籍を果たした。
移籍後はインテルで326試合に出場し42得点を挙げ、セリエA5連覇(2005/06~2009/10)やCL優勝(2009/10)など、多くのトロフィーを獲得。
そのまま引退(2013年10月)までインテルでプレーし続けたスタンコビッチは、2015年6月にアシスタントコーチとして再び同クラブに復活し、1年ほどその役割を務めている。まさにインテルの栄光のために生きた男となった。

バルツァッリ
移籍先:ユベントス(2011年1月)
2006年にイタリア代表に選抜され、ワールドカップを優勝したDFアンドレア・バルツァッリは、2011年1月にドイツ1部のヴォルフスブルクからユベントスへ移籍した。
バルツァッリはユベントスに移籍後、同じくイタリア代表DFであるレオナルド・ボヌッチ、そしてジョルジョ・キエッリーニとディフェンスラインを組み、BBC(バルツァッリ・ボヌッチ・キエッリーニ)が誕生する。このBBCはユベントスだけではなく、数年間イタリア代表の欠かせないディフェンスラインともなった。
ビアンコネーリでの8年間で、バルツァッリはセリエA8連覇(2011/12~2018/19)やコッパ・イタリア4連覇(2014/15~2017/18)などを果たし、同クラブの歴史に残るレジェンド選手となった。

バロテッリ
移籍先:ミラン(2013年1月)
元イタリア代表FWマリオ・バロテッリと言えば、問題児のイメージしか浮かばない人も多いだろう。しかし、バロテッリは数々のトラブルを起こしながらも、ゴールを量産して多くのクラブの主役にもなった。
特に2013年1月、マンチェスター ・シティからミランへ移籍した後が印象的だ。ロッソネーリでデビューとなった2月3日のウディネーゼ戦で、早速2得点を挙げて同クラブを勝利に導いたバロテッリ。2013/14シーズン後半で13試合に出場し12得点を記録した。
しかしながら、バロテッリのミラン時代は長く続かなかった。問題行動が繰り返されたことや、チームメイトとの人間関係がうまくいかなかったことを理由に、2014年8月にリバプールへ移籍することとなる。

ナインゴラン
移籍先:ローマ(2014年1月)
2014/15シーズン前半、優勝に向かって戦っていたローマは、ユベントスと争うために中盤を強化する必要があった。当時のローマの監督リュディ・ガルシアは、注目していたカリアリ所属のベルギー代表MFラジャ・ナインゴランを獲得する決断をした。
2014年1月にローマに移籍したナインゴラン。すぐにチームにフィットし、同クラブの欠かせない存在となる。そして2015/16シーズン、ローマの監督がルチアーノ・スパレッティとなってから、どのビッグクラブも欲しがるスター選手と化した。
しかしながら、高い評価でスター選手扱いを受けるナインゴランは、ローマ(2014-2018)でも、これまで所属した全てのチーム(ピアチェンツァ、カリアリ、インテル)でも、未だに一つのタイトルも獲得したことがない。

サラー
移籍先:フィオレンティーナ(2015年1月)
現在リバプールで活躍するエジプト代表FWモハメド・サラー。2014年1月、チェルシーが当時バーゼルにいたサラーを獲得した。しかしチェルシーは当時の活躍に満足せず、翌2015年1月に同選手はフィオレンティーナにレンタル移籍する。
サラーがヴィオラ(フィオレンティーナの愛称)で戦ったのは半年のみであったが、同選手を中心にフィオレンティーナは生まれ変わったかのような素晴らしい躍進を遂げた。
フィオレンティーナでの2014/15シーズン後半中に26試合中9ゴールを挙げたサラーは、多くの欧州クラブの注目を一挙に集めることとなる。2015年8月にローマに移籍し引き続き2年セリエAで戦ったのち、2017年6月にリバプールの選手となった。

エル・シャーラウィ
移籍先:ローマ(2016年1月)
2015/16シーズン前半。当時ローマのルチアーノ・スパレッティ監督は4-2-3-1を好んで使っていたが、同システムを最大に活かすサイド選手が揃っていなかった。
そこで2016年の冬の移籍期間中に、ローマのフロント陣がチームの強化に見事に動く。ミランからモナコへレンタル中だったイタリア代表FWステファン・エル・シャーラウィを完全移籍で獲得した。
するとエル・シャーラウィの活躍もあり、ローマのパフォーマンスは一躍レベルアップ。同シーズンは、セリエA3位となる。
エル・シャーラウィはローマで過ごした期間中(2016-2019)109試合に出場し34得点、そして数え切れないほどのアシストを記録した。現在は中国の上海申花に所属しているが、セリエAへの返り咲きが近いことを複数の伊メディアが報じている。