衝撃だった。ガンバ大阪宮本恒靖前監督を解任したこと・・ではなく、2019年の年末にMBS毎日放送でオンエアされた『ガンバTVスペシャル~プロのロッカールームを400時間撮り続けたら・・・』(同局で2009年から放送の『ガンバTV~青と黒』の特別番組)の内容だ。

これは2019シーズンにG大阪のロッカールームにカメラを設置して撮られた400時間に及ぶ映像を編集したドキュメンタリー番組で、当時の宮本監督や選手たちが赤裸々に意見をぶつけ合っている様子が鮮明に映し出されていた。

このシーズンのG大阪は序盤から低迷していたが、ホームのパナソニックスタジアム吹田で迎えた明治安田生命J1リーグ第12節でセレッソ大阪に1-0で勝利。システムと先発メンバーをガラリと変え、世代交代の奏功と勢いを掴んだその大阪ダービーの舞台裏も明かされていた。しかし、それ以上に気になったことがあった。

「何回、同じこと言わせんねん!」「そんなんやったらサッカー選手辞めたほうが良いんちゃう?」「何も言い返されへんのか?」宮本監督が選手たちに向かって叱責し、突き放すような発言をする場面が幾度もあったことだ。張り詰めたその場の雰囲気からして、決して番組用の「演出」ではないだろう。

“サトシ”こと山口智コーチの存在

同番組の中で、宮本監督が敗戦直後のミーティングで叱責し「何のリアクション(反応)もないん?」と捨て台詞を投げて会見場へ向かった直後、“その人”は言った。

「みんな言いたいことあるよね?監督の言うことも分かるやろ?俺らスタッフにも問題はある。でも、時間は止まってくれないし、現実問題どうにかしないといけない。思ってることがあって、それを伝えて、分かってもらって、助けてもらえる。恰好つけてないで1回バカになってもいいんじゃない?本当は監督が1番悔しいはずなんやから」

当時の山口智コーチ(愛称サトシ、現湘南ベルマーレコーチ)による言葉だった。

もちろん、これは役割分担の可能性もある。一般家庭でも子育てをするうえで、「怒り役」の父親と「なだめ役」の母親、またはその逆など、役割を分担できる夫婦や家族が理想的だろう。

日本社会では常々、中間管理職に就く人物の能力で組織が上手く立ち回るかどうかが決まる、と言われる。プロサッカーの現場も例外ではないと見る。「スタッフにも問題はある」と言える山口コーチの言葉からは選手たちへの配慮はもちろん、宮本監督への敬意、現実に対する取り組み方など、一般社会でも活かせる重要なマネジメント手法が見られた。

元日本代表である山口は現役時代、G大阪の主将も務め、宮本監督ともプレーしていたクレバーなDF選手だった(2002~2011年G大阪所属)。2008年アジア王者に輝くことになるG大阪で、夏場にMF遠藤保仁(現ジュビロ磐田)とFW播戸竜二(現在は解説者などで活躍)の2人が立て続けに内蔵の病気で長期間に渡って離脱した際の逸話がある。事態を重く見た当時の金森喜久男社長は衛生面を管理する中、菓子パンの喰いかけなどが点在していたロッカールームを独断で一掃。

チームの衛生管理問題にも繋がった一件だった。

しかし、社長とはいえ選手たちの“聖域”であるロッカールームに無断で入った一連の行動に対して、山口は選手たちの意見をまとめて直接社長に反論を述べに行ったのだ。山口の意見を聞くまではロッカールームが聖域であるとの認識がなかった金森社長は、改めて選手たちに謝罪。以降、チームは現場とフロントが一体となって、アジア王者への道を進んだ。現役時代の山口は、このような意見交換を監督やフロントに対して頻繁に行っていたと聞く。

ガンバ大阪は復調したのか?宮本恒靖前監督の解任と、埋まらない“サトシ”の穴

G大阪を強豪へ導いた有能な歴代の“中間管理職”

思い返せばG大阪は、“中間管理職”の有能さで数々のタイトルを掴み、Jリーグ屈指の強豪へと生まれ変わって来た。

2002年から2011年まで10年間というJリーグ最長の長期政権を担った西野朗監督(現・タイ代表監督)。

彼は口数が少なく、当時G大阪でプレーしていた若手MF寺田紳一(現・おこしやす京都AC)も「選手とほとんどコミュニケーションをとらない手法に『何なんだ?』と思っていたりもしつつ、マネジメント力が高くてオーラのようなものを感じた」と言及するような、一歩引いた位置からチームを束ねるマネジメント手法を採っていた。

そんな西野監督体制で掴んだ2005年のJ1リーグ初優勝時には、クラブOBの松山吉之コーチがいた。コミュニケーションを通してG大阪自慢の下部組織出身の若手選手を育成し、監督とのパイプ役となった松山コーチの存在は、クラブ史上初タイトル獲得に大きく寄与したことだろう。西野監督からの信頼も厚く、優勝決定の瞬間に監督と最初に抱き合った人物でもある。

その松山コーチが退任した2007年から後任として西野監督の参謀を務めたのは、こちらもクラブOBである片野坂知宏コーチ(現・大分トリニータ監督)だった。片野坂コーチは2010年から古巣サンフレッチェ広島のコーチへと転身し、2013年まで同職を務め、2014年からは長谷川健太監督(現・FC東京監督)体制下のG大阪に帰還。

ヘッドコーチとして2年間務めて以降、大分の監督に転身。2018年にはJ2優秀監督賞、2019年にはJ1でも優秀監督賞を受賞するJリーグ屈指の知将として名を馳せることになる。

もちろん、片野坂氏は監督として独自の戦術“疑似カウンター”を披露するなど戦術家として十分に優秀なのだが、“中間管理職”としての有能ぶりにも目を見張るものがある。G大阪と広島のコーチとして2007年から2015年までの9シーズンで、J1優勝3回、天皇杯4回、リーグカップ2回、AFCアジアチャンピオンズリーグ(ACL)1回の合計10回のタイトル獲得を経験しているのだ。

10年前にも埋まらなかった“サトシ”の穴

2020シーズンG大阪はコロナ禍による過密日程を乗り越えてJ1リーグ2位、天皇杯では準優勝。近年はJ1残留争いが定番化していただけに大躍進を見せたのだが、シーズン終了後に山口コーチはチームを去った。

片野坂氏のように、いずれは自身も監督として指揮を執りたいという本人の意向もあるのかもしれない。

今シーズンはJ2降格圏で低迷のスタートとなったG大阪は、5月に宮本監督を電撃解任。その後、松波正信強化アカデミー部長が暫定監督に就き、2連敗後の公式戦は3勝1分無敗と復調と評される。チームは松波氏を正式監督として体制を継続させ、現在はタイで集中開催されているACLグループステージに参戦。6月25日には初戦のタンピネス・ローバース戦(シンガポール)に挑む。

しかし、表面上は回復したように思われる成績面だが、勝利を挙げた相手はG大阪以上に今季苦戦を強いられている最下位の横浜FC、J1昇格組の徳島ヴォルティス、関西学院大学となっており、安易に「復調」とは言えない。今季より、宮本前監督とはS級指導者ライセンス取得の同期である依田光正氏が新たなコーチとして指導にあたっているものの、人心掌握やチームに一体感をもたらせる部分で“サトシ”こと山口コーチが抜けた穴は大きい。

ちなみに2011年に“選手サトシ”が退団した翌年、G大阪はJ1で17位に終わり、クラブ史上初のJ2降格を喫することになった。10年後の現在も要注意だ。

関連記事:J通算311試合出場!おこしやす京都MF寺田紳一の現在と未来。インタビュー【後編】