彼は本当に“超一流“なのだろうか?
2019年3月、ヴィッセル神戸の三木谷浩史会長が「現役バリバリどころか、これからますます伸びていくであろうヨーロッパの超一流選手が来る」と発表し迎えたのが、現在も神戸でプレーするスペイン人MFセルジ・サンペールだった。バルセロナ生まれのサンペールは6歳の頃から世界屈指の名門バルセロナの下部組織に入り、そのまま脱落することなく順調に成長。
同じく神戸に所属する元スペイン代表MFアンドレス・イニエスタもバルサ産として知られるが、彼の生まれは首都マドリードに近いカスティーリャ・ラ・マンチャ州にあり、12歳までは地元クラブのアルバセテ・バロンピエでプレーしていた。アルゼンチン出身のリオネル・メッシ(13歳でバルサ加入)はもちろん、サンペールと比較対象に出される現スペイン代表の主将MFセルヒオ・ブスケツもバルサ加入は17歳。バルサの下部組織出身でトップチームへ昇格してくる選手の多くは、他クラブで才能を発掘されてスカウトされた有力選手たちばかりだ。
それだけに、純バルサ産のサンペールには期待と愛情が注ぎ込まれていたのである。

プロ入り後の苦悩は神戸加入後も
常に自身の年齢よりも上のカテゴリーに昇格し、年代別のスペイン代表でも活躍。順調に成長を遂げて来たサンペールは、バルセロナBに昇格した2013/14から3シーズンで103試合に出場。2014年には19歳でトップチームデビューを果たし、2年後に21歳で正式なトップチーム契約を締結した。
しかし、世界屈指の強豪であるバルセロナのトップチームでは出番がなく、2016/17はグラナダへ、2017/18はラス・パルマスにレンタル移籍。グラナダではシーズン中盤からレギュラーを掴んでラ・リーガ1部で22試合出場と実戦経験を培ったが、ラス・パルマスでは左足首の内側側副じん帯断裂と腓骨骨折という大怪我を負ってしまい長期離脱。さらに、グラナダとラス・パルマスでは共に2部降格を経験した。
2018/19にはバルセロナに復帰したものの、長期離脱でパフォーマンスを著しく落としてしまい、リーグ戦では1度も出場機会を得られず。2019年3月、バルセロナとの契約を双方合意のうえで解除し、神戸へ加入した時は戦力外状態であったのが実情だ。
“超一流選手”として大きな期待を背負って加入した神戸でも当初は球際でのプレーに弱さを見せ、ピッチに倒れ込むなど試合勘の乏しさを露呈。サンペールが試合に出始めたタイミングでチーム成績も急降下。プレースタイル的にも得点に絡むような“違い”を見せる場面は皆無に近く、助っ人としての価値を周囲に披露できてはいなかったために批判の的となっていた。加えて、当時のファンマ・リージョ監督が突然の辞任を発表したこともあり、チームも彼自身も困難な時期を過ごした。
実際、神戸のクラブ史上初タイトルとなった「天皇杯JFA第99回全日本サッカー選手権大会」決勝の鹿島アントラーズ戦では外国籍枠の関係でメンバー外となり、昨年ベスト4に進出して大躍進を遂げた「AFCアジアチャンピオンズリーグ」では外国籍枠がさらに縮小されるため、メンバー登録をされていなかった。
つまり、クラブからもあまり期待されていなかったのだろう。

プロとしての歩みを始めた選手
しかし、サンペールは確かな実戦経験を積み上げてJリーグへも適応し、怪我続きのキャリアを乗り越えていく。
来日1年目の2019シーズンはJ1で24試合(先発20)1618分間出場し、2年目の2020シーズンは同26試合(先発23)1816分間の出場で1年目に記録しなかったアシストも2本を記録。来日3年目の今季はここまでチームが消化したJ1リーグ19試合中16試合(先発15)に出場。プレータイムも半期で1193分間に達し、すでにキャリアハイの3アシストを記録。充実の時を迎えている。
2019年7月3日に行われた天皇杯2回戦のギラヴァンツ北九州戦で、サンペールはゴールを挙げた。実はそれがプロキャリア初のゴールだった。
「セルジ・サンペールとはどんな選手なのか?」との問いには、バルセロナの人々よりも我々日本人の方が詳しく答えることができる。この優雅なピボーテ(アンカー)がプレースタイルを確立していく選手としての成長譚を日本で見ることができるのは幸せなことである。
ただし、ポジション的にも役割的にも得点に絡むことは少なく、地味な存在だ。球際の守備でも強さではなく、ポジショニングや巧さでボールを奪い切る。それゆえ、未だに過小評価されている感は否めない。

周りの選手を良い条件でプレーさせられる選手
サンペールを観ていて筆者がいつも心を奪われるプレーがある。それはイニエスタ等とのバルセロナらしい華麗なショートパスの連続による崩しやゲームメイクではない。「運ぶドリブル」だ。
「優れた選手とは味方に良い状況(スペースと時間)を与えられる選手である」とは、数々のポジショナルプレーに関する著作を上梓しているスペイン人指導者、オスカー・カノ・モレノ氏の言葉である。相手が動かなければ、ボールを持っている選手がドリブルで前にボールを運び、相手を引き付けてからパスを出すこと。相手を引き付けることでマークがズレて、スペースが出来る。
世界最高と称されるマンチェスター・シティのジョゼップ・グアルディオラ監督も「ボールを持ったら相手が動くまでパスを出してはいけない」と指導している。サンペールの「運ぶドリブル」にはそれらが見られる。
イニエスタのような華麗なボールタッチからのドリブルでの持ち運び、ブスケツのような的確なポジショニングセンスとエレガントさを、足して2で割ったようなサンペールのプレーはまさに、周りの選手を良い条件でプレーさせることが出来ているのだ。
そんなサンペールにはイニエスタをも凌駕していることがある。欧米人にとってとても難解である日本語の習得である。6月23日に開催された明治安田生命J1リーグ第19節、ホームに横浜FCを迎えた試合で5-0の“マニータ”(スペイン語で5本の指)による快勝後、サンペールは自身のSNSアカウントで「初めて日本語で記者会見」と綴り、インタビューに全て日本語で答えた動画を掲載した。
Mi primera entrevista en japonés. Ya tocaba… DM y os mando la traducción
— Sergi Samper (@SergiSamper) June 23, 2021
初めて日本語で記者会見を受けました!僕の努力を認めてくれますか?
https://t.co/roWYJ5W9l0
大好きなフットボールで巧みにボールを扱うように、日本語も綺麗に扱い始めたサンペールは日本でとても幸せそうだ。