2023年2月。Jリーグで通算464試合に出場したベテラン選手が海を渡った。
リトアニア1部のFKスードゥヴァに新天地を求めた鈴木は、なぜ、藤枝からの契約延長オファーを断って海外挑戦を選んだのか。移籍の経緯や日本サッカーとの違い、海外生活、在籍したクラブでの思い出などについて独占インタビューを行った。
前編では、リトアニア移籍が決まるまで、リトアニアのサッカーについての興味深い詳細を。この後編では、リトアニアでの日常生活や、日本での経験、これまでに在籍した4クラブについて伺った話を紹介する。
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リトアニアの日常生活は
ーリトアニアの母国語はリトアニア語ですが、英語も通じる場面が多いようですね。日常生活において不便はありますか?
鈴木:ほとんどないですね。リトアニアの若い人たち、特に20代以下は、ほぼみんな英語を話せますし、チームでのミーティングやトレーニングは基本的に英語を使っているので、特に困ることはないです。
たまに「英語は全然わかんないのよ」みたいなおばあちゃんがやっているローカルな喫茶店もありますけど、まあ、今はGoogle翻訳とか便利なものがあるので、それほど困りませんね。
ーリトアニアで生活したいという方は、英語を話せれば大丈夫ですね。
鈴木:そうですね。英語を話せれば大丈夫だと思います。
ー食べ物や文化がかなり違うと思いますが、気に入ったことや驚いたことはありますか?
鈴木:好き嫌いはないので、特に問題なくやれています。パスタとかピザとか美味しいですよ。こっちの郷土料理にもチャレンジしたんですが、美味しかったです。
あと、良さげなパブを見つけたんですけど、まだ行けてないです。住んでいるところが小さな街なので「負けた試合の後に行かない方がいい」とチームメイトに言われています。「サッカー選手だ」とすぐ気付かれるらしいので(笑)ホームゲームで勝てたら、ビールなんかを軽く飲みに行ってみたいなと思っています。
ー日本を離れて恋しいものはありますか?
鈴木:こっちには日本食がないので、納豆やキムチは絶対に手に入りません。なので、帰ったら食べたいですね。でも、とりあえず、なくても過ごせています。

Jリーグで出場機会を得てきた理由
ー鈴木選手は、Jリーグで所属した全てのクラブで出場機会を得ていました。何か意識していることはありますか?
鈴木:多分、他の人と変わらないと思います。一生懸命やるしかない。
ただ、試合に出られるかどうか、自分ではどうしようもない部分も多いですからね。最終的に決めるのは監督なので。監督の目に映る姿は、自分次第でいくらでも変えることができますけど、監督が頭の中でどう考えているのかは、選手にはどうしようもない部分です。スタメンの決め方も色々あると思うんですよ。ベストイレブンを決めるように、GKから順番に決めていく訳でもないでしょうし。
おそらく、まずは軸となる選手を決めるんでしょうね。11人の中で、1番最初に置かれる選手がいれば、最終的に迷って迷って11人目に入る選手もいると思うんです。でも、それを意識しすぎると、自分のプレーができなくなってしまう。自分ができることに集中した結果、いろんな要素が重なって出られていたのかなと思っています。

福岡では「ワンクラブマン」に憧れ
ー最も長く過ごしたアビスパ福岡(2008-2012、2015-2020)では、バンディエラの城後寿選手と共にプレーしました。凄さを感じましたか?
鈴木:感じましたね。
でも、自分は新しい刺激がないとダメなタイプなので、今回もそういうものを求めて海外に来ました。実際に、新しい環境の中で色んなものを学び、成長できていると感じています。それは、大分でもヴェルディでも藤枝でもそうでした。ワンクラブマンは、ひとつのクラブに所属し続け、環境がそれほど変わらない中でもしっかり積み上げていく。その凄さは、こっちに来てからも改めて感じています。
福岡はユース時代から長い期間プレーしたクラブで、自分としてはアビスパがJ1に定着して何かのタイトルを獲る時は、自分もその一員でありたいという目標でやっていました。結果的にそれは叶わなかったんですけどね。アビスパの選手だったことで出会えた人が沢山いるので(もう、選手としては難しいかもしれませんが)いつかまた違う形でアビスパに恩返しができたら、という気持ちは常に持っています。

温かかった藤枝、レベルが高かった東京V
ーこれまでに所属した4クラブでの印象的な出来事や思い出を教えてください。
鈴木:藤枝は初めてのカテゴリー(J3)ということもあって、練習場が人工芝だったり、クラブハウスも僕が行ったシーズンに出来たので、最初は「グラウンドだけがある」みたいな感じでしたから、環境面の大変さというのは感じましたね。
でも、藤枝はサッカーがとても盛んな街でした。僕は藤枝の隣の焼津市に住んでいたんですが、人が本当に温かくて。今、僕が飲んでいるコーヒーも、焼津から送ってもらった物なんです。当時、よく通っていたご飯屋さんのマスターが、コーヒー好きな僕のために「リトアニアでもリラックスして欲しいから」って、わざわざ送ってくれて。そういう良い出会いに恵まれた藤枝生活でしたね。
ヴェルディは最終的に契約満了で2年しかいられなかったので、クラブに対しての貢献はあまりできなかった気がしますが、そこでも良い出会いがありました。
本当に選手のレベルが高かったんですよね。今、沖縄SVの代表兼選手をやっている高原さん(元日本代表FW高原直泰)や、森勇介さん、西紀寛さん、飯尾一慶さんがいました。他にも、畠中槙之輔(現横浜F・マリノス)とか、海外にいる中島翔哉(現スュペル・リグ・アンタルヤスポル)とか前田直輝(現ユトレヒト)とか若くて将来性のある選手もいました。
とにかく、1人1人のレベルが高かったです。アビスパでたくさん試合に出て自信を付けて移籍したつもりだったんですけど、東京に引っ越して、自主トレの一環として始動前にやる遊びのミニゲームに入れてもらった時、レベルが高すぎて「とんでもないところに来たな」と思いました。

一番成長できた大分時代
鈴木:(大分)トリニータでも同じように、良い出会いに恵まれました。チームが1つになるために「良い関係性を築こう」「チームのために」「仲間のために」という意識が高い集団でしたね。監督の片野坂さん(片野坂知宏監督)とは1年しかご一緒できなかったですけど、プレーヤーとして自分が一番成長できた時期だったと思います。1日1日の練習で自分にできることが増えている実感がありましたし、毎日いろんな発見がありました。
大分という街もほどよく田舎で、温かい感じがありました。当時、共用の温泉が付いているマンションに住んでいたんです。ちょうど、J3からJ2に上がった年だったんですけど、温泉に行くとマンションの人たちが応援してくれていました。最初の頃は、引っ越したばかりの新入りなので「誰だろう?」みたいな雰囲気だったんですけど、徐々にトリニータの選手だと認識され始めて、シーズンが終わる頃には、住人の人たちと「今週はあのチームと試合だね」と話しながら風呂に入っていたのが良い思い出ですね。
ー日本のサポーターの皆さんにメッセージはありますか?
鈴木:今も、SNSなどでメッセージをくれるサポーターの方がいます。
精度抜群の左足を武器に、在籍したアビスパ福岡、東京ヴェルディ、大分トリニータ、藤枝MYFCのいずれもで、多くの試合に出場して高い評価を得た鈴木惇。FKスードゥヴァでも、サポーターの心を掴み重宝されるであろうことは想像に難くない。