良くも悪くも「人間ラモス」が「CBラモス」に反映。味方も多いが敵も多い
セルヒオ・ラモスは味方も多いが敵も多い。
文 木村浩嗣
9月からAmazonプライム・ビデオで配信されている『セルヒオ・ラモス 不屈の魂』を見た。これをドキュメンタリーと呼ぶには抵抗がある。ほとんどのシーンで台本の存在が透けて見えるからだ。全編、本人のナレーションが進行役となっているが、これはスペインで大流行のリアリティショー番組の手法で、明らかに後からまとめて撮影されたもの。よって自然なリアクションというのがなく、意外性やサプライズがない。さらに致命的なことに、台本や映像には本人の意向が反映されている(ように見える)。衣装やライティング、カメラアングルは完璧。映像が綺麗過ぎ、内容が綺麗事過ぎるのだ。
昨季、セルヒオ・ラモスはキャリア最悪と呼んでもいいシーズンを過ごした。
しかも、CLでアヤックスに“逆転敗退”したのは、第1レグでわざとイエローをもらって第2レグで出場停止になった彼のせいでもあり、もっと言えば、今季CL初戦でパリ・サンジェルマンに3-0で敗れたのも、あのアヤックス戦の“自主警告”を認める失言によって出場停止が2試合に増えたせいだ。
もちろん、敗戦を1人のCB不在のせいにするのはフェアではない。が、レアル・マドリーにとってセルヒオ・ラモスの存在はあまりに大きい。その証拠に、パリでの大敗後に彼が復帰してからはセビージャ戦、オサスナ戦、アトレティコ・マドリー戦のいすれも被枠内シュート0で零封。布陣が固まらずカセミロ以外の中盤の顔ぶれが決まらずボールが持てていなかったジダンのチームにとって、1対1で絶対的に強いセルヒオ・ラモスとカセミロはまさに守備の生命線と言っていい状態であった。

「影」を避けたがゆえの皮肉
だが、ドキュメンタリーはあのイエローカードに関わる痛恨のミス、人間なら当然ある陰影を避けて通った。その結果、薄っぺらいプロモーションビデオ用のものが出来上がった。この作品は「セルヒオ・ラモスは凄い」としか言っておらず、それによって本当に凄い彼が見えない、という皮肉なことになっている。
本人のナルシスティックな性格が邪魔をしたのだろう、と想像する。サッカーの一流選手になるのに自分を愛することは重要である。セルヒオ・ラモスの場合も自己愛があるからこそ自負があり、敗者の自分を認めないプライドがあるからこそ誰よりも努力し、それこそ不屈の魂が養われたに違いない。
自己愛は時に反感を買う。ドキュメンタリーが描くグラウンド外で見栄を張る部分、ファッションやアートへのこだわりに対して「鼻につく」という感想は少なくない。だが、その一方でグラウンド内でのプロフェッショナリズムを疑う声は皆無である。常に全力を捧げ続ける裏には、私生活は派手でも不摂生とは無縁という禁欲的な生き方がある。レアル・マドリーでキャプテンを張る、というのはそういうことなのだ。
この点はチームメイトだったロナウドとよく似ている。エゴや自己顕示欲が勝利とタイトル獲得へのハングリーさとして結晶するというのは、プロアスリートとしては理想的だろう。あのドキュメンタリーが光と影をちゃんと描いていれば、最終的にはさらにまばゆい後光が差していたはずなのだ。
「パネンカ」をめぐる毀誉褒貶
セルヒオ・ラモスという選手、人間をよく表しているのが、PKでのチップキック、「パネンカ」だ。横っ飛びのGKをあざ笑うかのように緩いボールがゴールのど真ん中に吸い込まれる……。彼はこれを好んでやる。外せば間抜けだが、決まればカッコいい。
ジダンからすればゴールに装飾など無用で、最も確実な方法で決めてくれ、と言いたくなるだろうが、パネンカは(あるいはパネンカがあるぞ、と思わせることは)GKを迷わせPKの成功率を上げている。昨季はクラブで8本、代表で4本蹴ってすべて成功。セルヒオ・ラモスにとってパネンカはすでに「飾り」ではなく、確実に決めるための技なのだ。

CLのGS第4節ガラタサライ戦(写真)でパネンカを成功させたセルヒオ・ラモスは、続くリーガ第13節エイバル戦では通常のキックでゴール。2つを巧みに使い分けている
セルヒオ・ラモスはまた、退場の多さで知られている。リーガでの20回は史上最多で、レアル・マドリーでの25回はクラブ最多記録である。過ぎればカードをもらう闘争心も、足りなければぶつかり合いで後れを取り、逆境を跳ね返せない。ここでも人間ラモスがCBラモスの良し悪しを左右している。

Photos: Getty Images