【増田俊也 口述クロニクル】


 写真家・加納典明氏(第12回)


 小説、ノンフィクションの両ジャンルで活躍する作家・増田俊也氏による新連載がスタートしました。各界レジェンドの一代記をディープなロングインタビューによって届ける口述クロニクル。

第1弾は写真家の加納典明氏です。


  ◇  ◇  ◇


加納「だから取材の人たちが流れの中で『写真撮ってくれませんか』って言われたら撮ったりもしたんだろうけど、あんまりそういうことも言われなかったし。横目で見てたって感じだね。畑さんの作家活動とかは」


増田「先ほどの馬の話に戻ると、4頭の馬を所有してたとおっしゃってましたが世話は加納さんが?」


加納「いや。世話は若い人たちがしてくれるんだよ。餌とか散歩とか。俺は可愛がって乗って、というのが馬との関わりだった。ものすごく懐いてて。俺はメカ好きで、バイクや車が好きだったけども、やっぱり生き物の不思議というか、神秘というか。個性があったり、能力の違いとか、いろいろあったりして、やっぱり面白いわけだよ」


増田「馬に乗ったのは王国が初めてだったんですか」


加納「そうだね。初めてだね」


増田「初めて接した時に驚きましたか」


加納「想像はしてたから。でも、その奥行きっていうのはやっぱり乗ってみないとね。

飼ってみないと。基本的なことは王国の若者が面倒見ててくれたけど、時には俺も面倒見たり磨いたりもしたわけで。そういうプロセスの中で、やっぱりバイクとは違う、楽しかったというのはあるね。バイクが行けないのと行けるのもあるし。例えば海岸の砂浜だって、馬だったら行ける。山だってある程度だったら中に入っていけるし。バイクではそうはいかない。うん。だから1つの道具としての馬っていうのは、やっぱり価値あったね、俺にとっては」


増田「王国の馬って、いろいろいたでしょう。道産子からアラブまで」



同じ原野でも違って見える

加納「うん。そうそう」


増田「道産子なんか体重が何トンもあったり。脚なんかサラブレッドの5倍か10倍くらい太くて、たてがみがライオンみたいにふさふさで凄い迫力があります」


加納「そうなんだよ。

道産子なんか放牧しておいて平気な馬だから、王国のなかの林や湿地を自由に歩いたり走ったりしてるわけだ。それで畑さんが『ほうほう、ほうほう。ほうほう』って呼ぶと林のなかから次々に現れる。で、畑さんがジャンバーのポケットに入れてたお菓子なんかをやってた。それを横で見ながら『いいなあ』って思ってた。いいんだよ、その畑さんと道産子たちの関係が」


増田「典明さんが飼ってた4頭は道産子じゃないんですか」


加納「クオーターとか、他の雑種もいたし。いろいろいた。中央競馬のバリバリのサラブレッド、ダービーと皐月賞取ったタニノムーティエ*の弟も来てた。俺は体重があるからあんまりサラは乗っちゃいけないんだ。足やっちゃうから。でも、乗ったこともあって、それはやっぱり別世界だったな」


※タニノムーティエ:1969年デビューのJRA競走馬。1970年、ライバルのアローエクスプレスを退けて皐月賞と日本ダービーの2冠を達成した。

通算18戦12勝で引退後、種牡馬に。半弟に秋の天皇賞や有馬記念を制したタニノチカラがいる。


増田「全然乗り心地が」


加納「そうそう。で、ちょっと乗る高さが高い。歩いて見てる原野と全く違う原野に見えるわけ。やっぱり乗ってる人じゃないとわかんない世界観があるんだよな。ああいう大自然の中でいろんな馬に乗ってみると。自分が感動して感じるものってのは、バイクとは違う世界があるんだよ」


(第13回につづく=火・木曜掲載)


▽かのう・てんめい:1942年、愛知県生まれ。19歳で上京し、広告写真家・杵島隆氏に師事する。その後、フリーの写真家として広告を中心に活躍。69年に開催した個展「FUCK」で一躍脚光を浴びる。グラビア撮影では過激ヌードの巨匠として名を馳せる一方、タレント活動やムツゴロウ王国への移住など写真家の枠を超えたパフォーマンスでも話題に。

日宣美賞、APA賞、朝日広告賞、毎日広告賞など受賞多数。


▽ますだ・としなり:1965年、愛知県生まれ。小説家。北海道大学中退。中日新聞社時代の2006年「シャトゥーン ヒグマの森」でこのミステリーがすごい!大賞優秀賞を受賞してデビュー。12年「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」で大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメント賞をダブル受賞。3月に上梓した「警察官の心臓」(講談社)が好評発売中。


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