【あの人は今こうしている】
マッハ文朱さん
(タレント/66歳)
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悪役レスラー・ダンプ松本の半生を描いたNetflixの「極悪女王」が昨年大ヒット。女子プロレスに注目が集まっているが、1970年代、アイドルレスラーのハシリとなり、その後、タレントとしても活躍したのがマッハ文朱さんだ。
マッハさんに会ったのは、JR渋谷駅から徒歩2分のコミュニティーFM局「渋谷のラジオ」。
「ここで『渋谷いきいき倶楽部』という番組のパーソナリティーをやらせていただいて5年目。今は毎週木曜日に生放送で30分、前半は渋谷のイベント情報、後半は毎回異なる企画を私が立ててしゃべっています」
渋谷区在住という縁で、声がかかったのだという。
「10~20代の頃も渋谷に住んでいたほど、渋谷がお気に入り。都会的な高層ビルと豊かな緑の両方がある点などが気に入っています。33歳で結婚し日本を離れ、米・ロサンゼルスに15年、台湾・台北に5年住んで2人の娘を育てていましたが、宝塚歌劇団に入った長女のサポートのために、2013年に日本に拠点を戻し、芸能活動も少しずつ再開しています。最初は宝塚に住み、KBS京都テレビで2年半、帯の情報番組のMCをやったんですよ」
日本に戻り、もう12年とは知らなかった。長女が宝塚、というのもビックリ。身長174センチのマッハさん譲りの高身長で、177センチもあるそうだ。ちなみに、台湾系米国人の元パイロットの夫は183センチ、元プロテニス選手の次女は176センチとか。
「長女は“桃堂純”の名で星組の男役で活動していました。
現在は渋谷で1人暮らしのワケ
そういえば、80年代、ハトムギ茶ダイエットの本も話題になったなぁ。
「ハトムギに加え、10年以上前から週3、4回ジムに通い、時間があれば1回3時間、ズンバなどのダンスを楽しんでいるのも元気の秘訣かな」
相変わらずパワフル!
「今は亡き母と姉が、私の活動をずっと支えてくれていました。コロナ禍のとき、母と姉が残してくれた私の活動の記録を、全部取り出して見たら、長嶋茂雄監督に単独インタビューするなど、すてきなお仕事をいっぱいさせてもらったのですね。本当にラッキーだったんだな、と気づきました。子どもの手が離れたこれからは、みなさんに私を見て元気になってもらえる活動をする。それが私の使命だと思っています」
近所に住む長女と妹と頻繁に行き来しながら、1人暮らしだ。
「2歳年上の主人は、今はロスでレストラン事業をし、次女はニューヨークでスポーツマーケティング企業に勤務しています。みんなバラバラ。でも、ウチは昔からこんな感じ(笑)。
さて、「スター誕生!」で山口百恵と同期だったマッハさんは74年、姉の勧めで全日本女子プロレスに入門。15歳ながら“美人レスラー”と注目され、同時にテレビの司会やレコード「花を咲かそう」など芸能界でも活躍した。ビューティ・ペアやクラッシュ・ギャルズが登場する前のアイドルレスラー第1号ともいえる。
退団後は、芸能活動に本腰を入れ、クイズ番組「クイズ ヒントでピント」(テレビ朝日系)や主演映画「宇宙怪獣ガメラ」などで活躍。持ち前の明るさや頭の回転の速さで人気を博したものだ。
「早くに父を亡くし、母が苦労して私たち3姉妹を育ててくれたので、早く社会に出て、母を楽にしてあげたいと思っていました。プロレスラー時代の3年弱は睡眠時間1、2時間。長く休んだのに今もみなさんに覚えていていただけるなんて、今は昔のがんばりの“利子”をいただいているみたいに感じますね(笑)」
(取材・文=中野裕子)
▽マッハ文朱(マッハ・ふみあけ) 1959年熊本生まれ。74年、中学卒業後、全日本女子プロレス入門。75年、第17代WWWA世界王座獲得。引退後は映画、ドラマ、クイズ番組、バラエティーなどで活躍した。