【あの人は今こうしている】


 高樹澪さん
 (歌手・女優/65歳)


  ◇  ◇  ◇


 1982年、黒いロングヘアに物憂い雰囲気で、♪ダンスはうまく踊れない……と歌ってヒットさせた高樹澪さん。女優として、ドラマ「スチュワーデス物語」「ウルトラマンティガ」などでも活躍した。

今どうしているのか。


 高樹さんに会ったのは、東京メトロ豊洲駅に直結するショッピングセンター内にあるカフェ。


「江東区に引っ越してきて11年目。その2年前に、53歳で再婚したのがきっかけです。主人の住んでいたマンションが江東区にあり、そこで一緒に暮らし始めたので」


 高樹さん、まずはこう言ってニッコリ。結婚生活は順調なようだ。お相手は同い年のIT企業の社員だそう。


「友人の紹介で出会い、交際半年で結婚しました。主人は左脳で、私は右脳で考えるタイプなので話は合わないんですけど、映画や展覧会鑑賞の趣味が合うし、知識欲がすごくある人なので話していると勉強になる。それで惚れ直しています(笑)」


 基本的に在宅ワークで、運動不足になりがちな夫のために、体にいい食事作りに努めているという。


「1日2食だし、たいしたものは作りませんよ(笑)。でも、持病もあるので、野菜を少しでも食べてもらおうと工夫しています」


 高樹さんも43歳のとき片側顔面痙攣を発症し、活動を休止。

開頭手術を受け回復した経緯がある。その後、体調は?


「もう、まったく問題なく元気です。健康茶のおかげでダイエットに成功し、最近は食の好みが変わり、お酒もコーヒーも飲まなくなり、お肉を食べなくなったことも体にいいのかなと思います」


 芸能活動はどうなのだろうか。


「ここ数年は独立映画が多いですね。去年は『Purple Lilac~恋の芽生え~』という、人造人間と人間の恋を描いた映画で主演しました。特撮変身ヒーロードラマで主役を務めた俳優・伴大介さんの初監督作です。私の表情がいい、とご指名くださいました。製作費が厳しく、自前で衣装を用意するなど苦労もありましたが、期待に応えるべくがんばりました」



人気絶頂期にはファン100人にモミクチャにされたことも…

 歌も歌っているのか。コンサート活動などは?


「人前で歌ったのは、もう4年前。所属事務所のイベントで歌いました。機会をいただけたら、もう一度ちゃんとボイストレーニングをして歌いたいですね。『ダンスはうまく踊れない』は私の大好きな井上陽水さんが、奥さまの石川セリさんのために作った歌。

大事に歌いたいんです」


「ダンスはうまく踊れない」を歌った当時は、黒いロングヘアがキレイだったなぁ。


「当時は忙しくて、髪を洗ったあと、リンスもせずに濡れたまま寝ることもあったんですよ(笑)。自分では、クルクルとカールした髪に憧れていて、それで、最近はパーマヘアにすることが多くなりました。若い頃は事務所の方針で、自由にはできなかったんです」


 去年、デビュー以来所属していた事務所を退所。現在はフリーで活動する。


「お世話になった社長が亡くなったのと、私自身のツテでお仕事をいただくことが多くなりましたから。フリーになったことで、稼がなきゃ、という気負いがなくなり楽になりましたよ(笑)。これからは『ウルトラマンティガ』で共演以来、仲良しの女優・吉本多香美チャンと一緒に、自身のこれまでの体験を語るトークイベントを継続的にやって、みんな幸せに生きていこうよ、と発信していきたい、と思っています」


 6月21日、「イルマとレナのハートとハートで繋がる愛のギャザリング」をレンタルスペース「Lighthouse浅草」で行う。


 さて、高樹さんは81年、オーディションを受け映画「モーニング・ムーンは粗雑に」で女優デビュー。翌年、「ダンスはうまく踊れない」をヒットさせ、多くのファンの憧れの的となった。


「歌番組に出始めたとたん、電車に乗れなくなりました。当時、東急東横線沿線に住んでいたので、最寄り駅の大倉山駅から渋谷駅まで電車に乗り改札を出ようとしたら、100人ぐらいの男女にいきなりつかみかかられ、『ファンです!』と髪を引っ張られ……毛がごっそり抜けて痛かったです」


 ファンはありがたいやら、怖いやら……。

 


(取材・文=中野裕子)


▽高樹澪(たかき・みお) 1959年福岡生まれ、横浜育ち。小学2年から「劇団いろは」に所属し子役のエキストラとして活動。78年、中延学園(現・朋優学院)高校卒業後、銀行OLを経て81年、女優デビュー。翌82年、「ダンスはうまく踊れない」がヒット。


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