【1975 ~そのときニューミュージックが生まれた】#36


 1975年の洋楽② カーペンターズ


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 当時もっともよく売れた「1975年の洋楽」といえば、何といってもカーペンターズである。


 75年6月発売のアルバム「緑の地平線~ホライゾン」は、約20万枚を売り上げ、週間チャート1位に輝いた。

そして前年末発売のシングル「プリーズ・ミスター・ポストマン」と、この年4月発売の「オンリー・イエスタデイ」は、洋楽でありながら、ベストテンに迫るほどのヒット。


 つまりカーペンターズは「国民的洋楽」、さらには「ほぼ邦楽」だったのである。


 この「国民的洋楽」という形容、単に売り上げ面だけでなく、音楽性についても、しっくりくる表現なのだ。


 日本の老若男女が安心して楽しめる、高品質で清潔な音楽として、洋楽、ロックへの敷居がまだまだ高かった日本において、いち早く幅広い層に「国民的に」受け入れられたのである。


 では、その魅力の本質は何だったのか。無論、カレン・カーペンターの歌だ。声だ。


 うまい、最高、文句なし!


 音程を決して外さないのは当たり前、見事な表現力を駆使しながら、聴き手を包み込むような中音域で迫ってくる。


 そんなカレンの歌は、現代の邦楽でいえば、竹内まりやに近いと思うが、ここで思うのは、邦楽の歴史の中で、もっと近いシンガーがいたのではないか、ということだ。


 というか、日本に、あのシンガーがいたから、あのシンガーが啓蒙した音楽的土壌があったからこそ、カレンが圧倒的に支持されたのではないか、というほどの。


 美空ひばり。


 もちろん音程を外すことなど皆無、同じく中音域を中心に、これでもかこれでもかという表現力で、歌の持つ世界を完璧に表現したお嬢。

また演歌からロカビリーまで、ジャンルレスなレパートリーを歌ったのも、カレンとそっくりだ。


 つまり美空ひばりがいたからこそ、カレンの良さが半世紀前の音楽ファンにも「分かった」のではないだろうか。


「オンリー・イエスタデイ」は、カーペンターズの曲の中で、私がいちばん好きな曲だ。何げない歌い出しから、カレン・カーペンターの歌の魅力が詰まっている。


 えっ? どこにかって?


 いやいや、冒頭の「♪After long enough」というフレーズ、いや「♪After」の1語を聴くだけで、もう、うまい、最高、文句なし!


▽スージー鈴木(音楽評論家) 1966年、大阪府東大阪市生まれ。早大政治経済学部卒業後、博報堂に入社。在職中から音楽評論家として活動し、10冊超の著作を発表。2021年、55歳になったのを機に同社を早期退職。主な著書に「中森明菜の音楽1982-1991」「〈きゅんメロ〉の法則」「サブカルサラリーマンになろう」など。半自伝的小説「弱い者らが夕暮れて、さらに弱い者たたきよる」も話題に。ラジオDJとしても活躍中。


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