11月に40枚目のオリジナルアルバムを発売し、全国ツアー中の松任谷由実(71)。今年も1980年にリリースした「恋人がサンタクロース」が流れる季節がやってきたが、日本の音楽市場を牽引してきたユーミンは18歳の1973年、本名の「荒井由実」でデビュー。
「76年はアルバムを2枚出して、ともに大ヒットしましたからね。ただ、当初から作詞、作曲をしていたので、もっと前に公示されてもおかしくなかった。73年のデビューアルバムは20万枚以上売り上げていますし、75年はシングル『あの日にかえりたい』が61万枚、アルバム『コバルト・アワー』が43万枚を超えていますからね」(音楽関係者)
この年以降、ユーミンは長者番付の常連となった。そして、国税庁の発表が所得額から納税額に変わった83年、松任谷由実は6935万円で歌手部門1位に輝く。2位から5位は五木ひろし、北島三郎、美空ひばり、森進一と大御所が占める中で、初めてトップを獲得した。
■ 音楽出版社設立と松田聖子への楽曲提供
「前年から『呉田軽穂』名義で、松田聖子に楽曲を提供しており、83年はシングル『秘密の花園』『瞳はダイアモンド』の作曲をしています。この辺りの印税も巨額だったと思いますが、それ以上に79年に『雲母音楽出版』を設立したことが大きい。通常、作詞や作曲をしても、著作権は音楽出版社に譲渡する形になります。その音楽出版社の大半はレコード会社、事務所、テレビ局の関連会社です。テレビなどで曲が流れれば、ジャスラックから音楽出版社に使用料が分配されます。
当時、歌手個人が音楽出版社を持つことはほとんどなかったが、75年に矢沢永吉がソロデビューする際、著作権管理会社を作って、楽曲の版権を自ら所有した。
「松任谷夫妻は、矢沢さんに倣ったのだと思います。荒井由実時代の『ひこうき雲』『中央フリーウェイ』などの版権はアルファレコードが持っていますが、松任谷由実の曲は雲母音楽出版が保有するようになりました。ドラマの主題歌になると、テレビ局の著作権管理会社と折衷する場合もありますけどね」(前出の音楽関係者=以下同)
ユーミンが億万長者になったのは、夫・松任谷正隆の力も大きいと考えられる。
「女性への偏見があった時代ですから、音楽出版社の設立に対し、風当たりも強かったでしょう。その点でも、夫が支えになった。当時、正隆さんは一般的には無名でしたけど、由実さんが才能を信じて一緒になった。正隆さんの父親は銀行員でしたから、お金の計算面で血筋を受け継いでいたのかもしれません。あとは、永ちゃんにしてもユーミンにしても、圧倒的な能力があったから、大手レコード会社が自分たちに権利をくれとは言いづらかったのでしょう。移籍されると困りますから」
結婚で二人三脚の体制をさらに強化し、自らの才能を伸ばしたユーミン。その資産は莫大であろう。
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お金に振り回されることのないユーミンの人生は見事だ。関連記事【もっと読む】松任谷由実「納税額が最高時から8000万円もダウン」のナゾ…今年も「恋人がサンタクロース」の季節到来…では、むしろ稼いだお金をファンに還元する本人の納税術に迫っている。

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