【孤独のキネマ】


 五十年目の俺たちの旅


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 カースケ、オメダ、グズ六……1970年代に青春時代を送った人はこの3人の名前に反応するはずだ。テレビドラマ「俺たちの旅」である。

ドラマは75年にスタート。その後も10年ごとに特番ドラマが放送された。放送開始から50年を経てついに映画版の登場だ。70代の友情物語である。


 監督は主演の中村雅俊が、脚本はオリジナル版からこのシリーズを手掛ける鎌田敏夫が担当した。鎌田は86歳になる。


 主人公のカースケこと津村浩介(中村)と大学の同級生・神崎隆夫(オメダ、田中健)、カースケの先輩・熊沢伸六(グズ六、秋野太作)はいずれも70代になっている。カースケは東京で町工場を経営。オメダは鳥取県の米子市長を務め、妻の要望で知事選への出馬準備を進めている。グズ六は介護施設の理事長として成功していた。


 ある日、カースケの工場にオメダがやってくる。カースケは従業員たちに「俺の友人を紹介する。

じきに知事になる男だ」と話すが、オメダは「やめろ」と怒鳴って帰ってしまう。またも悩みを抱えているらしい。


 それからまもなく、カースケはグズ六から「洋子が生きている」との知らせを受ける。洋子(金沢碧)は彼らと青春を送った女性で、カースケに好意を抱いていたが、すでにこの世にいない。


 カースケとグズ六は洋子が目撃された温泉宿を訪問。洋子と名乗る女性はここで中居をしているという。女性の部屋を覗くとカースケと洋子の写真が飾られていた。「幽霊じゃないのか」とからかうグズ六を追い返したカースケが部屋に戻ると、女性が帰ってくる。女性は洋子ではなく、オメダの妹真弓(岡田奈々)だった。真弓は精神が不安定で、亡くなった洋子になりすましていたのだ。


 その場に現れたオメダはカースケに「人生、最後になって本当にやりたいことって何か考えたことがあるか」と聞き、「あの家に戻りたい」と打ち明ける。亡き母が暮らしていた神楽坂の家に戻りたいという願望は妻と娘だけでなく、知事になる目標も捨てるという意味だった……。


 劇中にテレビ放送の場面が幾重にも差しはさまれ、懐かしい感動を与えてくれる仕掛けだ。若いころの金沢碧が美しい。彼女の容姿だけでも本作を見る価値がある。


 鎌田はこう語っている。


「俺たちの旅、このドラマを貫いているのは、生きていくことの切なさです。人生の岐路にぶつかった時に、激しく葛藤し、強く反発し、勝手なことを言い合って馬鹿騒ぎしながらも心には相手を思うやさしさがある」


 70年代の本放送からこのドラマにはある特徴があった。男同士の友情がベタベタしているのだ。ときに抱き合い、ときに殴り合い、ときに怒鳴り合う。その中心がカースケだ。この男がオメダとグズ六の生き方、考え方に介入しては説教をたれる。放送当時「カースケがうっとうしい」との声があがったことも。彼の求心力はハエ取り紙のようにベタついていた。


 70代を迎えた今もそのお節介精神は健在で、オメダに意見し、グズ六とともに彼を立ち直らせようとする。オメダは今も逃走願望から脱却できない。男たちは50年経っても同じ立ち位置にいるのだ。「男子、三日会わざれば刮目して見よ」という法則はこのドラマには通用しない。


 問題児のオメダをカースケとグズ六がどうフォローするかが物語の主軸だが、その根底には人の「別れ」が仕込まれている。オメダは妻子と別れて神楽坂に戻ることを望む。カースケは自分を慕っていた洋子との切ない訣別を回想しては恋心をかみしめる。


 死んだ洋子の本心はどのようなものだったのか。本作は駅の伝言板を使ってしっかりと回答を用意している。それは「俺たちの旅」のファンへの爽やかな答え合わせとなるだろう。


 老境に達した男たちは人生の限りある時間を意識し、過去を手繰り寄せる。かつてテレビの前に釘付けになった視聴者は、彼らの姿におのが半生を回想するはずだ。

かくいう筆者も若いころの別れを思い返し、哀愁がしんみりと胸に染みてきた。人生には思わぬすれ違いが存在するからだ。見終わったとき、小椋佳の「少しは私に愛を下さい」を聞きたくなった。やはりこの歌は名曲。洋子の寂しさを見事に表現している。(文=森田健司)


(TOHOシネマズ日比谷ほか全国ロードショー中/配給=NAKACHIKA PICTURES)


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