【城下尊之 芸能界ぶっちゃけトーク】


 年末にエッセイストの海老名香葉子さんが92歳で亡くなった。言わずと知れた、昭和の爆笑王、先代の故・林家三平さんのおかみさんだ。

三平さん亡き後、林家一門をまとめ、長男を9代目林家正蔵という名跡に、次男を2代目林家三平として育て上げた人だった。


 僕がまだ駆け出しのスポーツ紙記者の頃、今の正蔵はこぶ平の名で二つ目だったが、当時の落語協会会長の故.5代目柳家小さんの肝いりで真打ち昇進試験が行われ、こぶ平も数人の受験者にまじって試験に臨んだ。


 受験者は多くのベテラン落語家の前でそれぞれ芸を披露したのだが、こぶ平は真打ちになれなかった。僕はたくさんの落語家たちを大いに笑わせたのに落ちたのを不思議に思い、審査員の一人に尋ねた。「確かに一番面白かったよ。まあ、でも古典をやったわけじゃないし、後ろ盾になる師匠がいないもんなぁ……」ということだった。



紙面が出た日に言われた「大きな記事にしてくれてありがとう」

 そこで僕は芸能面のトップ記事で「爆笑をとったのに真打ち試験不合格は、後ろ盾がないから」と報じた。その紙面が出た日、僕は根岸の故・三平さん宅に行ってみた。何か動きがあるかと思ってのことだが、おかみさんが出てきて「大きな記事にしてくれて、それも落っこちたこぶ平をメインにしてくれてありがとう」と自宅のリビングにまであげてくれた。しばらく話して帰ろうとすると、おかみさんが「お寿司をとろうか、それとも鰻?」と言い出した。僕は当然、固辞して立ち上がったのだが、おかみさんは「たとえお茶漬け一杯でも食べてもらわなきゃ帰しません」と食い下がってきた。では、とお茶漬けをいただいて帰社した。

以来、食べて行けと言われても困るので、なるべく玄関先で取材したものだった。


 根岸の自宅に行かなくなり10年以上経った頃、報道各社が自宅に集まる取材があった。僕もその中にいたが、おかみさんは僕を発見すると、「ああ、城下さん久しぶり。まずは仏壇のお父さんに顔を見せて」と案内された。僕が一人線香をあげていると、おかみさんは他の報道陣に「この人は若い頃によくうちに来て、寿司だ鰻だって食べて行ったのよ」と語り出したのだ。僕は笑いながら「えぇ、たくさんご馳走になりました」と答えたものだ。おかみさんが家に来た客には精いっぱいもてなしをした人だったのを知っているからだ。


 今は正蔵も大物となったが、三平も大きな名前を継いでがんばっている。それもこれも初代が「三平」という名前を継ぎたいと思わせる大きな存在の噺家だったためであり、それを陰から支えてきたおかみさんの功績も忘れてはならない。


(城下尊之/芸能ジャーナリスト)


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