【シン・この有名人の意外な学歴】#12


 笑福亭鶴瓶


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 放送31年目に突入したNHK「鶴瓶の家族に乾杯」。同じMCが自ら全国各地でロケを行うものとしては異例の長さだ。

まさに笑福亭鶴瓶(74)のライフワークとなっている。


 大阪市の公立中学から私立の浪速高校に進学した鶴瓶が最初に入ったサークルはボクシング部。スパーリングで目を傷めて1年で退部するが、ケンカに自信をつけた鶴瓶はミナミに出かけ他校の悪そうなヤツを見つけてタイマンを挑んだ。連戦連勝だった。こちらが8人で桃山学院高校の12人と殴り合って警察の厄介になったこともある。


 2年生の時、落語研究会を立ち上げた。中学時代から落語は好きだった。


 大学は私大を4校受け3勝1敗。一番学費が安い京都産業大経済学部に進んだ。入学するとすぐに落研「落語長屋」に入った。ここで出会ったのが1年先輩の清水国明と同期の原田伸郎だった。旅館の布団運びのバイト仲間でもある清水と意気投合。

原田と落研のマネジャーのR子を加えフォークバンドを結成した。1970年代半ばのフォークシーンを席巻した「あのねのね」の前身である。


 同級生のR子に一目惚れしていた鶴瓶は落研のマネジャーに引き込むだけでなく、同棲も始めている。1年生の10月のことだ。R子の下宿先に押しかけ、2人の生活がスタート。女子学生ばかり住むアパートだったので下着泥棒と間違われることもしばしばだった。


 部屋では一緒に横になっても手を握るだけだった。その先に発展するのは翌年2月。雨が降りしきる奈良に旅行した時に手を握る関係を越えた。意外に純情派だったのだ。翌朝、2人が目を覚ますと、雨は雪に変わっていた。


■噺家を目指して同棲をいったん解消


 最初の同棲生活は1年半で終わった。

鶴瓶が京産大を中退し、笑福亭松鶴に弟子入り。実家から大阪市内の師匠宅に通うことになったからだ。修業の身となった鶴瓶だが、「師匠を困らすことでは群を抜いていた」(元文化部記者)という。大晦日に泥酔して住吉神社の鐘をつきまくったり、新婚夫婦の営みをのぞこうとアパートをよじ登り警察に連行……。


 その頃、R子は大学を卒業し四国の実家に戻っていた。月に1度、大阪に来て鶴瓶と会っていたが、結婚には至らなかった。四国の両親が「噺家風情に娘はやれない」とかたくなだったからだ。しびれを切らしたR子はなけなしの貯金30万円をはたいて大阪市内にアパートを借り、同棲生活が再開。四国の両親の承諾を得られないまま74年10月、式を挙げ、清水と原田も駆けつけた。式の費用は2人が払ってくれた。その時すでにR子は妊娠していたが流産。半年後に再び妊娠し、無事女の子を出産した。

R子の親も結婚を認めるしかなくなった。


 その2年後(78年)には長男(俳優の駿河太郎)が誕生。この年、ラジオ大阪の深夜放送「ぬかるみの世界」のパーソナリティーに起用されると「関西ヤングの教祖」と呼ばれるように。人気を不動のものとし、東京進出の足がかりをつくった。 


(田中幾太郎/ジャーナリスト)


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