【私の人生を変えた一曲】


 Jhonnyさん
 (横浜銀蝿 ギタリスト・シンガー/67歳)


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 1980年代に一世を風靡したロックンロールバンド「横浜銀蝿」。ギター&ボーカルのJohnnyさんが作詞・作曲した「男の勲章」が2018年にはドラマ「今日から俺は!!」の主題歌になり、ツッパリソングが再び大人気に。

ミュージシャンで生きていくことを決めた一曲との出会いは中学2年の時だった……。


 俺が影響を受けた曲は絶対にキャロルの「Funky Monkey Baby(ファンキー・モンキー・ベイビー)」ですね。


■小5で小児リウマチを患って出会った洋楽


 おじいちゃんの代からの横浜で、生粋のハマっ子です。小学校の低学年の時はサッカーや野球が好きなスポーツ少年でした。その頃は音楽に全然、興味がなかった。それが大きく変わったのは小学校5年の時です。小児リウマチを患いました。


 当時は結構、大変な病気でした。俺の場合は溶連菌が心臓に入って肥大する症状が出て3カ月入院しました。退院後は自宅療養し、中学を卒業するまでの5年間は運動も禁止されました。体育はずっと見学でした。


 でも、病気をしたことで音楽と出会ったから、人生はわからないものです。

入院した時にベッドで横になっていると、ラジオからそれまで聴いたことがない音楽が聞こえてきました。当時、日本で流行っていた音楽は「黒ネコのタンゴ」や、「伊勢佐木町ブルース」といったザ・歌謡曲がメインでした。


 ところが、病院のベッドに寝ていて聞こえて来たのは洋楽でした。


 それがキャロル・キングとかカーリー・サイモン、ギルバート・オサリバン。こんなにもきれいな曲があるんだと子供ながらに新鮮な驚きを感じたことを覚えています。そんな音楽との出会いがあって、ビートルズのリバプールサウンド、ゾンビーズ、ジェリー&ザ・ペースメイカーズなんかも聴くようになった。ちょうどその頃、日本では吉田拓郎とかフォークソングが出てきて、俺も音楽をやりたいなと思うようになりました。


 あの5年間がなければ俺が一生、音楽でメシを食うなんてことはなかったと思います。その時はどうして自分だけこんなに不幸なのかと思ったけど、それがあるから、今こうしていることができる。座右の銘は「人間万事塞翁が馬」です。


 運動はできないので音楽に興味を持ち始めた小6の時に、親にフォークギターを買ってもらい弾くようになりました。最初は友だちのお姉さんに教わっていました。


 衝撃の出会いは中2の時です。当時、フジテレビで「リブ・ヤング!」という若者向けの番組をやっていたのですが、たまたまデビュー前のキャロルが出ていた。それを見てガツンと衝撃を受けました。そこにはビートルズやゾンビーズ、ペースメイカーズみたいな8ビートのオシャレなリバプールサウンドが流れていた。海の向こうの音楽だと思っていた音楽を日本人がやっているじゃないか。日本にもこんなカッコいいバンドがあるんだと感激しました。


 キャロルはそれからすぐにミッキー・カーチスさんがプロデュースして「ルイジアンナ」でデビューします。そして半年後に出したのが7枚目のシングル「ファンキー・モンキー・ベイビー」。リードギターのチャラチャラ~と始まるイントロにシビれましたね。すごい衝撃だった。それから革ジャンを着て歌うあのスタイル。カッコよかった。

「ファンキー・モンキー・ベイビー」を聴いていなければ、ミュージシャンにはなっていなかったですね。



■翔君と「ああいうのをやりたい」と盛り上がった

 その番組を僕と同じ時期に見ていたのが同じ高校のクラスメートだった翔君です。翔君もキャロル、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドが好きで憧れていた。それで「ああいうのをやりたい」と盛り上がったんです。


 その頃、72年に開局したのがテレビ神奈川で、ロックバンドのステージを中継する「ファイティング80's」という番組をやっていました。MCをダウン・タウンの宇崎竜童さんが務め、金曜夜9時から放送していたのですが、その番組の前に「浜ヤング」というアマチュアバンドのコンテスト番組が始まりました。翔君とそれに出ようという話になり、バンドを組むことになった。高校時代からオリジナルの楽曲をやっていて、番組に出た時は「これでいいのか高校生」という、翔君と一緒に作った曲をやりました。「親に隠れてたばこふかして」という高校生をテーマにした曲です。それが横浜銀蝿の前身です。


 その後、バンドを組んだ仲間が大学受験や地方に行ったりして解散しましたが、俺と翔君が大学に入ってからまた別のメンバーを入れたりしてやっていたのですが、ドラムが抜けていなかった時期があり、その時入って来たのが翔君のお兄さんのさんで横浜銀蝿の原型になりました。その時のメンバーは5人ですが、当所からプロ志向だった嵐さんが抜けて、嵐さんはTAKUと一緒にCASHというバンドを組んで活動を始めました。

俺たちは新しいドラマーを入れて活動したのですが、80年、最終的に俺と翔君、TAKUに嵐さんのメンバー4人で「T.C.R.横浜銀蝿 R.S.」となりデビューすることができ、2枚目のシングル「ツッパリHigh School Rock'n Roll」で大ブレークしました。


 俺自身はキャロルの矢沢永吉さん、ジョニー大倉さんとのお付き合いはありません。ギターの内海さんは後で知ったのですが、ナント、高校の先輩でした。



■ソロデビュー45周年のアルバムリリース

 アルバムは後輩やかつての部下が「ソロデビュー45周年なので、アルバムを作りませんか」と言ってくれて実現しました。「Pure Mind」はどんな人、どんな世界でも子供の時にはピュアです。誰もがそんな子供の時の気持ちを忘れなければ、世界はもっと幸せになるんじゃないかと思って作った曲。戦争、テロが世界中で起きている今だからこそ、聴いてほしいですね。ソロコンサートは3月のコンサートが生涯で2度目。僕にとってはセカンドバージン。応援してください。 (聞き手=峯田淳)


▽1981年に「ジェームス・ディーンのように」でソロデビュー。横浜銀蝿は83年の大晦日にいったん解散。

88年にキングレコードに就職、中山美穂的場浩司らを手がけた。2013年には同社上席執行役員と関連会社ベルウッドの社長を務め、19年に40年ぶりに活動を再開。1月28日に新曲「Pure Mind」&「二十才の頃」を含むアルバム「ヨコハマ・グラフィティ」をリリース。初回限定盤はベスト盤「Johnny The Best」、DVD「ロングインタビュー&MV」の3枚組ボックス仕様。3月21日に大阪(江坂MUSE)、22日(名古屋JAMMI'N)、28日東京(新宿ReNY)でソロライブツアー。


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