前回は大正時代にまで遡り、「不幸の手紙」の起源となった「幸運の手紙」騒動を紹介した。「不幸の手紙」編最終回の今回は、もう少し違った視点でこの騒動を考察してみたい。

不可解なオカルト的な事象や荒唐無稽な噂の流布には、その背景を「陰謀論」的な視点で語る仮説がつきものだが、「幸運の手紙」騒動にも、見方によっては少々キナ臭い部分があるようだ。いや、別に有力な定説があるわけではないし、「幸運の手紙」は某国諜報部やら通信社による情報伝達プロセスを調査するための実験だった……といった説を鵜呑みにするつもりはないのだが、なんとなくちょっとザラザラした感触がなくもない……といった曖昧な話をしてみたいのである。
前回の本コラムで紹介した1922年の『東京朝日新聞』の記事、「幸運の手紙」騒動をメディアが取りあげた最初期の例だが、この時点ですでに「警視庁でも内偵」という見出しが付いている。さらに、これも前回のコラムで少しだけ触れたが、2日後の同紙の記事では「幸運の手紙」を受け取って困り果てる被害者(?)の声を紹介するとともに、「一人が九枚宛十回繰り返すと34億枚に達する」という見出しを付け、単なるいたずらとはいえないほど大規模な社会的混乱を巻き起こす可能性があることを強調したうえで、「差出人は拘留処分に」という取り締まりの決定がなされたことを伝えている。「幸運の手紙」の発信者は警察犯処罰令における「人ヲ誑惑セシムヘキ流言浮説又ハ虚報ヲ為シタル者」にあたるということで、29日間勾留するという方針を打ち出しているのだ。
この警視庁の少々過剰で、あまりにも素早い方針決定には、やはりちょっと違和感を覚えてしまう。最初の報道の時点で、すでに社会的被害(?)がかなり大きくなっていたからという見方もできるのだろうが、しかし、それにしてもその被害は警察権力が介入し、まして発信者を牢獄にブチ込むほどのものなのか?
大正という特殊な時代背景
丸山泰明氏の研究論文(『国立歴史民俗博物館研究報告』第174集/2012年3月)によれば、自身も「幸運の手紙」を受け取り、これについて時評を書いている政治学者・吉野作造は、「幸運の手紙」を「馬鹿げたもの」と一蹴したうえで、警察の対応を批判している。取り締まりや処罰を「余計な干渉」と評し、庶民の日常生活にまでいちいち警察が介入し、たかだか悪趣味ないたずらに対してまでも身柄を捉えて勾留すると宣言したことに苦言を呈したわけだ。これが当時の庶民のごく普通の感覚だろう。が、これ以降、「幸運の手紙」の発信者とみなされた者は、実際に多数処罰を受けることになるのだ。どうもこのあたりが少々不自然で、なにやら胡散臭いと感じる人は多いと思う。
大正時代は、維新以降、国家主義が急速に盛りあがった明治時代と、あれよあれよと帝国主義へと傾倒していく昭和の隙間で、「大正デモクラシー」の名のもとに「民衆の自由」が大きくクローズアップされた(かのように見えた)特殊な期間だった。1922年には非合法組織としての第一次共産党が結成され(奇しくも「幸運の手紙」が「社会問題」化した時期と重なる)、急進的なリベラリズム、さらにはアナキズムの気風が高まった、いわば「過激な時代」だったのだ。権力側からすれば危機的状況であり、反権力的な「時代の空気」の刷新を水面下で着々と進めた期間でもあったわけだ。結局、この白日夢のような「自由な時代」は、関東大震災という「国難」を契機に終了に向かう。大きな災害はたいていの場合、大きな権力の必要性を正当化する。「大正デモクラシー」などという浮かれたお題目は脇に置かれ、「国難」を前に「国民一丸となって」という気分を民衆も共有しはじめるのだ。そして、震災のドサクサを利用する形で不当に拘束されて殺害された大杉栄のように、「不満分子」は徹底的に排除される風潮が国を覆いはじめる。
日本における「幸運の手紙」の流布に明確な政治的な目的を持った仕掛け人がいたかどうかはわからないが(その可能性は低いような気がするが)、ごく遠慮がちに言っても、震災がそうであったように、ある絶妙なタイミングで起こった事象を誰かが上手に利用し、一般大衆に対する内偵や取り締まりの強化といったことに結びつけて「空気づくり」を図る、といった程度の思惑は、その背景に間違いなくあったのではないかと思う。
「幸運の手紙」と戦争
一瞬だけ民衆が自由を主張できた大正があっという間に終わり、日本が世界へ「躍進」を試みた昭和に入り、そして戦争がはじまる。
その間も「幸運の手紙」はさまざまな亜種(ねずみ講的にアレンジされたものや、広告として利用されたものなどもあった)を生みながら、連綿と受け継がれていった。戦時下では、内務省警保局が共産主義者や過激派的右翼、そして一般大衆の反戦・不敬に類する言動を厳しく取り締まったが、「幸運の手紙」も「警戒対象」に含まれていたという。アメリカの士官からスタートしたとされる「幸運の手紙」は、「キリスト教的平和主義」を蔓延させるものとして警戒され、「英米依存の思想」を流布させるための「謀略行為」だと考えられていたらしい。
そして、いよいよ敗戦が誰の目にも明らかになりはじめた1943年、大阪には次のような「幸運の手紙」が出まわったそうだ。
「我々はもう戦争はあきあきしました。一日も早く平和の来るよう神様にお祈りいたしましょう。此の葉書を受取った方は此の葉書の通り書いてあなたの知人二人にお出し下さい。早く平和の日がきます。」
「幸運の手紙」も「不幸な手紙」も、百害あって一利なしの悪質で陰湿な嫌がらせでしかないということは言うまでもないが、太平洋戦争末期、名もない民衆の平和を希求する心は、こんな荒唐無稽な内容の手紙の形でしか発露されなかったということが、悲しくもあるし、怖くもある。偽らざる想いが真に込められたチェーンメールという意味では、非常に稀な例だと思う。

初見健一「昭和こどもオカルト回顧録」
◆第23回 「不幸」の起源となった「幸運の手紙」
◆第22回 「不幸の手紙」のはじまり
◆第21回 「不幸の手紙」…小学校を襲った「不安の連鎖」
◆第20回 80年代釣りブームと「ツチノコ」
◆第19回 70年代「ツチノコ」ブーム
◆第18回 日本産ミイラ「即身仏」の衝撃
◆第17回 1960年代の「古代エジプト」ブーム
◆第16回 ユニバーサルなモンスター「ミイラ男」の恐怖
◆第15回 昭和の「ミイラ」ブームの根源的な謎
◆第14回 ファンシーな80年代への移行期に登場した「脱法コックリさん」
◆第13回 無害で安全な降霊術? キューピッドさんの謎
◆第12回 エンゼルさん、キューピッドさん、星の王子さま……「脱法コックリさん」の顛末
◆第11回 爆発的ブームとなった「コックリさん」
◆第10回 異才シェイヴァーの見たレムリアとアトランティスの夢
◆第9回 地底人の「恐怖」の源泉「シェイヴァー・ミステリー」
◆第8回 ノンフィクション「地球空洞説」の系譜
◆第7回 ウルトラマンからスノーデンへ!忍び寄る「地底」世界
◆第6回 謎のオカルトグッズ「ミステリーファインダー」
◆第5回 東村山水道局の「ダウジング事件」
◆第4回 僕らのオカルト感性を覚醒させた「ダウジング」
◆第3回 70年代「こどもオカルト」の源流をめぐって
◆第2回 消えてしまった僕らの四次元2
◆第1回 消えてしまった僕らの四次元1
初見健一「東京レトロスペクティブ」
文=初見健一
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