今回のコラムの主役はシンガー・ソングライターの
松任谷由実(1954年1月19日生れ)である。

今回取り上げたのは、10月4日に50周年ベストアルバム
『ユーミン万歳』が発売されたからである。


このアルバムはファン投票で選ばれたベスト50曲が収録されている。

51曲目として、AI荒井由実と松任谷由実がデュエットする
『Call me back』が新曲として発表された。

作者のクレジットは、作詞・松任谷由実 作曲・呉田軽穂と異例の表記がしてある。
これは10枚目のアルバム『SURF&SNOW』(1980年12月1日)録音時に曲だけ作って収録されなかった楽曲のマスターテープが40年ぶりに発見されたのがきっかけである。
更に後になって、分かったことだが
この曲は白石まるみ(1962年11月27日生れ)に提供した。
別の詞がついたシングル『恋人がいても』(1982年1月21日)である。
この作詞作曲が松任谷由実が他の歌手に提供する時の名義、呉田軽穂である。
2022年になって自分用に作詞し直したので、異例の表記が完成した。

そこで筆者はベストアルバムにも収録されている楽曲を自らの監督作品に主題歌或いは挿入歌として選んだアニメ界の巨匠二人とその2曲についても語りたくなった。

それは宮崎駿(1941年1月5日生れ)と
庵野秀明(1960年5月22日生れ)である。

宮崎駿と庵野秀明、アニメ界巨匠2人が選んだ松任谷由実(荒井由...の画像はこちら >>

(『風立ちぬ』の完成披露会の写真から引用。左から庵野秀明・宮崎駿・松任谷由実 イラストby龍女)

19歳離れている師弟関係でもある2人は、自らの監督作品で選んだ曲の傾向の違いが面白い。

そこに顕著な作家性の違いが見られる。

しかも選ばれた曲は、実に興味深い。
宮崎駿が荒井由実(1972~76)時代を選んだ。
庵野秀明は松任谷由実になってからの作品を選んだ。
キーボディストでアレンジャーで音楽プロデューサーの
松任谷正隆(1951年11月19日生れ)と結婚して名字を変更した。
荒井由実時代の楽曲は初期ほど私小説的側面が強い。
荒井由実の後期から松任谷由実になって職業作家としての作風が進んで、第三者の視点が強くなった。

そこでまず、次のページで宮崎駿が商業ベースでは実質引退作と思われる
『風立ちぬ』(2013年)の主題歌に選んだ
『ひこうき雲』について語っていきたい。
宮崎駿が選んだ『ひこうき雲』は1973年の11月20日に発売された同名のアルバムでもあるタイトル曲である。

1972年7月5日のデビュー曲『返事はいらない』に続く2枚目『きっと言える』のB面として、1973年11月5日にアルバムからの先行シングルとして発売された。
一応知らない世代に説明すると、レコードは片面の円盤の溝に針を通し再生される。
裏表両方とも円盤の溝に音を記録出来る。

そこでシングル盤の表側はレコード会社が特に推したい1曲をA面とする。
裏側に少し挑戦的な内容の曲をB面に選ぶ傾向があった。

当時、宮崎駿は東映動画を辞め二つのアニメスタジオを渡り歩きながら、忙しい日々を過ごしていた。
実家は戦時中に飛行機の部品を製造していた会社だ。
その影響で飛行機は大好きだったが複雑な思いも抱えていたようだ。
飛行機は戦闘機として作られた。
戦闘機に乗った若者達は特攻隊として死んでいった。
飛行機のエンジンと気象条件によって生み出されるひこうき雲に若者の死を結びつけた『ひこうき雲』の歌詞は強く胸に響いたであろう。

さて、少し長くなるが遡って『ひこうき雲』が誕生するまでを紹介しよう。
それは「ユーミン」という愛称がきっかけになったかもしれない。
ユーミンとは、彼女が追っかけていたグループ・サウンズのバンド
ザ・フィンガーズ(1962~1969)のベイシスト
シー・ユー・チェン(1947年生れ)が名付けた。
中華民国時代の北京で豪商の息子に生れた彼は5歳で日本に渡り、上智大学在学中にザ・フィンガーズに途中加入している。


中学生の荒井由実は追っかけの中でも目立っていた。
友人のツテで米軍基地で購入した新しい洋楽のLP(アルバムを収録する大きさのレコード)をバンドのメンバーに渡して聴かせるような変わった行動をしていた。
あるとき自作を入れたデモテープを渡している。
シー・ユー・チェンは荒井由実に将来どうなりたいのかと尋ねると
「有名になりたい」
「歌手にならないの?」
「作曲家志望です」
のようなやりとりがあったようだ。
シー・ユー・チェンは、当時流行っていた「ムーミン」と下の名前「由実」と
中国語の「有名」(ピンインにするとyǒumíng)をかけた呼び方を思いついた。
今でも彼女は「ユーミン」と呼ばれるのを嬉々として受け入れている。
それは好きな人との良い思い出があるからだ。

さて、ザ・フィンガーズ解散後のシー・ユー・チェンは、初のロック・ミュージカル
『ヘア』 のオーディションを受けアンサンブルの一人になった。
追っかけの荒井由実はその会場にいたらしい。
彼女は年齢的にオーディションは受けられない。
主役であるザ・タイガースを脱退してソロになった
加橋かつみ(1948年2月4日 生れ)にデモテープが渡る。
加橋はそれを聴いたところ、
「これはスゴい!」
と、やがてデモテープはザ・タイガースやザ・フィンガーズに曲を書いた作曲家
村井邦彦(1945年3月4日 生れ)の元にも届く。

村井邦彦は、1969年に音楽出版社アルファ・ミュージックを設立していた。
荒井由実は作曲家として専属契約を結んだ。
わずか14歳の天才少女の誕生であった。

荒井由実の作曲家デビューは加橋かつみに提供した
『愛は突然に…』(1971年5月3日)である。

元々『ひこうき雲』は雪村いずみ(1937年3月20日生れ)に提供された。
録音したものの、村井邦彦は疑問を持った。
荒井由実が大きく影響を受けた音楽がある。
キリスト教系の立教女学院高校在学中に聴いた
構内にある教会で演奏されるパイプオルガンの音色。
それによく似たハモンドオルガンが奏でる
イギリスのバンドのプロコム・ハルムの曲『青い影』を融合させた切ないサウンド。
作詞は中学時代の同級生の死をモチーフに書かれた。
そうしたモノが一体となってできあがった『ひこうき雲』はすばらしい。
雪村いずみの歌も素晴らしい。

美空ひばり・江利チエミと並び、3人娘と称された日本屈指の歌唱力の持ち主だ。
ところが、歌唱力のある人には、唯一の欠点がある。
聞き手は歌のうまさに感動して、実は歌詞の意味が届きにくい。

そこで、村井邦彦は荒井由実本人が歌うことを提案する。
1971年に発売されたキャロル・キングの『つづれおり』が大ヒット中だ。
日本でもシンガー・ソングライターが売れると直感した。

宮崎駿と庵野秀明、アニメ界巨匠2人が選んだ松任谷由実(荒井由実)の50周年ベストアルバム『ユーミン万歳』にも収録されたあの2曲とは?

(キャロル・キングのつづれおりのジャケットから引用 イラストby龍女)

荒井由実は実家の呉服店の影響もあって染色にも興味があった。
多摩美術大学の日本画専攻の学生としても忙しかった時期である。

アルバム『ひこうき雲』はすぐに大ヒットというわけにはいかなった。
2枚目の『MISSLIM』(1974年10月5日)で徐々に売り上げは上がる。
遂に3枚目の『COBALT HOUR』(1975年6月20日)は大ヒットした。
第一次ブームが起こるが、それはまた別の話である。


宮崎駿と庵野秀明、アニメ界巨匠2人が選んだ松任谷由実(荒井由実)の50周年ベストアルバム『ユーミン万歳』にも収録されたあの2曲とは?

(荒井由実 イラストby龍女)

さて、この『ひこうき雲』が使われた映画『風立ちぬ』は特攻隊の若者が乗っていた飛行機零戦の設計者堀越二郎(1903~1982)が主人公である。

しかし、実際の堀越二郎を描いたわけではない。
堀辰雄の名作文学『風立ちぬ』の物語を取り込んだ。
表現者の業を描いた大人のアニメに仕上がっている。
その声を担当したのは、声優として素人の映画監督庵野秀明であった。
宮崎駿以外で、まさしく表現者の業を体現している男なので起用されたのだろう。

庵野秀明は完成披露会で直接松任谷由実に会った時のこと。
制作中の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の最後の挿入歌にどうしても使いたい曲があった。
その場で、本人の許諾を得ることになった。

その曲とは『VOYAGER~日付のない墓標』である。
どうして、選んだのだろう?
『VOYAGER~日付のない墓標』は1984年2月1日に発売された20枚目のシングルである。

小松左京(1931~2011)を中心にSF作家が集まり脚本を仕上げた東宝の大作
『さよならジュピター』の主題歌である。
筆者の記憶が間違いなければ、公開後、80年代半ばは何度かTVで放送されている。
幼少期に何度か観たはずだが、どんな内容だったかは覚えていない。
主役は三浦友和(1952年1月28日生れ)だったのは覚えているのだが。

監督は橋本幸治(1936~2005)
総監督は小松左京。
特撮部分を担当する特技監督は川北紘一(1942~2014)。

庵野秀明は特撮映画のファンとしても有名だ。
『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』と称されるTVアニメから再構築された4部作は
庵野秀明が総監督。
アニメ監督鶴巻和哉(1966年2月2日生れ)を始めとする複数の演出体制をとっている。
この作り方にも大きな影響を与えている。

松任谷由実はSF的な世界観の作詞を、これ以降の楽曲でも何度も手がけている。
そのきっかけは小松左京にレクチャーをうけたからだそうだ。
筆者は更に遡ると、ミュージカル『ヘアー』の中の曲『アクエリアス』(水瓶座のこと)もどこかで脳裏に残っていたからだと考えている。
新曲の『Call me back』もその延長線上にある。

『さよならジュピター』が制作できたきっかけは1977年5月25日にアメリカで公開された『スター・ウォーズ』から始まるSF映画ブームである。

庵野秀明は何でこの楽曲を選んだのか?
筆者は知るために、ヱヴァンゲリヲン4部作をアマゾン・プライムで一気に観た。
あれこれ難しい展開なので、最初は???まくりだった。
テーマに関しては
「なんだ!スター・ウォーズと同じじゃん」
と観終って思った。

スターウォーズは、スカイウォーカー家の確執を描いている。
エヴァンゲリオンは碇ゲンドウと碇シンジの親子の確執が描かれている。
キリスト教の世界観に基づいて、使徒とロボット生命体のようなエヴァンゲリオンの戦いを描いている。

エヴァンゲリオンは、ウルトラマンとガンダムを合わせた曲線と直線を組み合わせたデザインだ。
庵野秀明は宮崎駿監督の名作『風の谷のナウシカ』の巨神兵を描いたアニメーター。
巨大生物を描かせたら天下一品なのである。

一方でエヴァンゲリオンに乗る14歳の少年少女達はまるで特攻隊の若者のようだ。
『VOYAGER~日付のない墓標』は戦士の恋人の立場から描かれた歌詞。
映画の本編中では綾波レイ役の林原めぐみ(1967年3月30日生れ)が歌う。
ちなみに荒井由実時代のプロデューサーの村井邦彦の代表作の一つ『翼をください』も第2作の『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』の挿入歌に起用されている。
それを歌っているのも林原めぐみである。

綾波レイは、碇シンジの母親、旧姓綾波ユイのクローンでもある。
感情がまだ理解できないキャラクターとして設定されている。
その役に合わせて歌唱しているので、機械の声のようなトーンで歌っている。
元々の松任谷由実の声のトーンに近い。
彼女の歌唱の特徴であるノンビブラート唱法は機械的な歌に聞こえる。
AIによる音声合成ソフトとの親和性も高い。

宮崎駿と庵野秀明、アニメ界巨匠2人が選んだ松任谷由実(荒井由実)の50周年ベストアルバム『ユーミン万歳』にも収録されたあの2曲とは?

(松任谷由実 イラストby龍女)

松任谷由実は歌手としては音痴ではない。
それよりも、喉がか弱かったのでビブラートをかけて歌うと、ちりめんビブラートと呼ばれるか細い声が痛々しく聞こえてしまう。
そこで村井邦彦によってデビュー前にボイストレーニングに行かされて、ノンビブラートに改良させた。
結果その事で得したことがある。
それは歌詞のメッセージが直接届くことである。

しかし彼女にとっては歌はコンプレックスでもあった。
衣装を派手にして学芸会を意識したライブ活動を展開した。
ユーミンはとにかくオシャレだ。
歴代のレコードジャケットもアートコレクションとしても抜群なのである。
このようにヴィジュアルが充実してきた音楽活動の方向性は全ての面で売り上げの上昇に繋がった。
音楽活動とは一見関係なく見える美大での勉強が役に立っている。
歌詞の内容も感情表現にしても、具体的なモノに感情を乗せてくる。
聴いていると、絵が浮かんでくる。
もしシナリオの勉強をしたら、間違いなく長編のドラマや映画の脚本を作れるはずだ。
これらのユーミンの作品に、数多くのクリエイターもファンも刺激を受けてきた。

最後に筆者もこう叫びたい。
「ユーミン万歳!」

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