(坂元裕二 イラストby龍女)
今回取り上げるのは、第76回カンヌ国際映画祭の脚本賞を受賞した映画
『怪物』が6月2日に公開されたからである。
脚本を兼ねることが殆どの監督の是枝裕和(1962年6月6日生れ)が
デビュー作『幻の光』(1995年。脚本は荻田芳久)以来、他の脚本家と組んで制作する事でも話題になっていた。

(是枝裕和 イラストby龍女)
ご存じの方も殆どいないと思うので、宣伝がてら紹介すると当コラムの全体の題名は
『なんですかこれは』(題名の由来は米米CLUBの同名曲)である。
筆者の中で坂元裕二に関する
「なんですか、これは?」がある。
実はあまり坂元裕二を連続ドラマの脚本家として意識していなかった。
特にコラムの連載が決まるまでの事だ。
シナリオ修業をしていた時代(2007~2020)は、映画の脚本家になりたくて勉強していた。
連続ドラマは時々気に入ったのを観る程度である。
TVの生活習慣で連続ドラマと言えば、大河ドラマと朝ドラをチェックする程度だ。
だから、坂元裕二の存在を観ようとしていなかった。
これは自慢話ではなく、自虐である。
連続ドラマを観るか観ないかは脚本家ではなく、TV雑誌などで紹介されたストーリーが自分の好みかどうか決める、ごく普通の視聴者なのである。
それでも観てきた坂元裕二作品を理由と共にピックアップしてみた。
フジテレビ月9『二十歳の約束』(1992年10月~12月)
SMAPと森口博子のバラエティ番組『夢がMORI MORI』が大好きで、その延長線上で稲垣吾郎初主演ドラマを観た。
月9『西遊記』(2006年1月~3月)
元ネタになった日本テレビの堺正章主演『西遊記』『西遊記II』(1978年~1980年)のファンで、香取慎吾が孫悟空をどう演じるか楽しみだった。
NHK土曜ドラマ
『負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~』(2012年9月~10月)
側近白洲次郎の妻・白洲正子のファンで、伊勢谷友介主演『白洲次郎』(2009年放送)を観ていた。
田茂(渡辺謙)側から描くとどう見えるか楽しみだった。
TBS火曜ドラマ『カルテット』(2017年1月~3月)

(『カルテット』の松たか子 イラストby龍女)
paraviに加入した。
火曜22時に連続ドラマを観る習慣がなく、数年前に評判なのに見逃したドラマをまとめてみたかったから。
坂元裕二のプロになってからの主な受賞歴は
フジテレビ木曜劇場『わたしたちの教科書』(2007年4月~6月)が
第26回向田邦子賞受賞した以降に集中している。
つまり、筆者が連続ドラマに興味が薄かった時代に名作を連発していたのが坂元裕二だったからだ。
その疑問は決着したが、新たな疑問が湧いてきた。
では、どうして今の坂元裕二は映画の脚本家として評価されたのか?
その理由が知りたくなったのだ。
そこで筆者は、まずは坂元裕二が映画の脚本家として名声を決定づけた
『花束みたいな恋をした』(2021)直前までをざっと調べてみることにした。
坂元裕二の最終学歴はサッカー部が有名な奈良育英高校である。
部活は何をやっていたかは調査不足だが、興味深い事実を発見した。
『とんねるずのオールナイトニッポン』のヘビーリスナーらしい。
とんねるずはサッカー(木梨憲武)と野球(石橋貴明)の名門のスポーツ進学校
帝京高校が最終学歴である。
高卒で一度就職してから芸人の道へ入ったコンビである。

(木梨憲武 イラストby龍女)
影響を受けたのかどうかはともかく
高校を卒業後はフリーターをしながら、脚本を学ぶ。
もっとも本人は映画が好きだったようだ。
主に監督相米慎二(1948~2001)
の一連の作品群が好きだったそうだ。
『セーラー服と機関銃』 (1981)
『魚影の群れ』(1983)
『東京上空いらっしゃいませ』(1990)
これは筆者の趣味で選んだ作品だ。
特に2本目に挙げた作品は、筆者が父方母方を含め漁師の孫で、身近な題材のためだ。
実は相米慎二の代表作1本を挙げろと言われてこれという題名をわざと挙げていない。
『怪物』の方で触れる。

(相米慎二 イラストby龍女)
そんな経緯もあって坂元裕二は脚本家の登竜門への応募先は二つに決めた。
とんねるずと仕事が出来るかもしれない
第1回フジテレビヤングシナリオ大賞
相米慎二監督が所属する
ディレクターズ・カンパニー
このうち受け入れてくれたのが、前者のフジテレビヤングシナリオ大賞であった。
フジテレビヤングシナリオ大賞は自称35歳の人が1時間ドラマのシナリオを応募して選ばれる仕組みになっている。
なんと言っても特典は大賞受賞者は自分の描いたシナリオを実際に制作して貰えるところにある。
大賞受賞作品『GIRL-LONG-SKIRT~嫌いになってもいいですか~』である。
詳しい内容は筆者は未見なので省略する。
主演は河合美智子(1968年6月13日生れ)。
相米慎二監督作品の『ションベンライダー』(1983)が映画デビュー作品だった。
ちなみに制作はキティフィルムで同時上映が
『うる星やつら オンリー・ユー』(監督・押井守)である。
このドラマの演出を務めたのは石坂(宮本)理江子である。
彼女も演出デビュー作だったようだ。
この二人のコンビは後に『それでも、生きてゆく』(2011)『最高の離婚』(2013)にも関わることになる。
宮本理江子は、脚本家山田太一(1934年6月6日生れ)の娘である。
山田太一は、元々映画監督になるために松竹に助監督として入った経緯がある。
そちらの道は叶わなかったが、娘がかなえた。
(宮本理江子の映画監督作品は2006年の『チェケラッチョ』)
山田太一は第2回向田邦子賞の受賞者で、対象作品は『日本の面影』である。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と妻の小泉セツを描いたドラマである。
小泉八雲役はジョージ・チャキリスが演じた。
妻の小泉セツは檀ふみが演じた。

(『ウェストサイド物語』のジョージ・チャキリス イラストby龍女)
連続ドラマの脚本のデビュー作は『同・級・生』(1989)
最初の代表作『東京ラブストーリー』(1991)と柴門ふみ原作作品の脚色を手がけた。
偶然かもしれないが、この2作品の主演俳優は、とんねるずの二人と結婚している。(『同・級・生』の安田成美は1994年に木梨憲武と結婚、『東京ラブストーリー』の鈴木保奈美は石橋貴明と再婚し離婚している)
デビュー作で自分と同世代の女性を描けた事がフジテレビがターゲットにしたい視聴者層と一致したのが大きかった。
しかし脚本家デビューがほぼ大卒の新入社員と同じ23歳であったことが90年代後半の失速を招く。
脚本家が嫌になったそうだが、要するにこれまで短い人生にストックしておいた引き出しがなくなってしまった。
しかし、坂元裕二の第2の飛躍はこの低迷期にあった…。
1997年ゲーム会社ワープに所属して『リアルサウンド ~風のリグレット~』のシナリオを手がけた。
これは当時白い画面で音だけのゲームとして非常に話題になった。
TVゲームでラジオドラマを体験する画期的な内容であったのである。
一方で失敗も経験する。
小説を出版する予定がボツ。
初めて監督に挑戦した『ユーリ』(1996)で、自分には向いていないと痛感した。
しかし万事塞翁が馬
ジョージ・チャキリスがきっかけで俳優を目指す。
高校時代は、とんねるずの木梨憲武の追っかけをしていた女性が、初監督作品の出演者の中にいたのである。
多分、彼女は坂元裕二の顔がこの二人と同じ系統なので
「私のタイプだ…」
と思ったに違いない。
しかも話が合うのだから、どう考えても運命の相手と思ってしまう。
それは木梨憲武がおっかけをしていたキャンディーズの伊藤蘭と結婚した水谷豊と夫婦役で火曜サスペンス『地方記者・立花陽介』を1993年からレギュラー出演(2003年まで)していた
森口瑤子(1966年8月5日生れ)である。

(森口瑤子の所属事務所松竹エンターテイメントの宣材写真から引用 イラストby龍女)
1998年に結婚した。
その頃、デビュー作で一緒だった宮本理江子が演出を手がける
『きらきらひかる』(脚本は井上由美子)を観て、脚本家に戻る気持ちが芽生えたそうだ。
しかし一度休んだからと言って、すぐに戻れる訳ではない。
俳優の仕事で忙しい妻に変わって長女の世話をしながら、地道に脚本家の仕事を取り戻すリハビリのような日々が始まったのである。
さて復帰後はあまりに代表作を連発するようになるので、今回は省略する。
『怪物』の企画が実現できた、坂元裕二脚本の大ヒットした前作(興行収入38億円)の
『花束みたいな恋をした』を振り返って、『怪物』との違いを見ていこう。
この作品は、今回の『怪物』とは対極にある。
いわゆる「普通のラブストーリー」だそうだ。

(『花束みたいな恋をした』より有村架純と菅田将暉 イラストby龍女)
『花束みたいな恋をした』(2021年1月19日公開)は
山音麦(菅田将暉)と八谷絹(有村架純)が京王線の終電に遅れて、ファミレスで暇を潰して会話している内にサブカルの好みがあっていたのに気づく。
意気投合して付き合い同棲までするが、5年間の内に色々あって別れる。
映画の冒頭は2020年に久しぶりに再会したところから始まる。
社会人のなりたてに起りそうな出会いと別れを1993年生れである主役の二人に当て書きして綿密なキャラクター造形を積み重ねて構築されたシナリオである。
公開当時、サブカル描写において、オタク界隈から何やらクレームがついていたのはツイッターユーザーの筆者は良く覚えている。
筆者は映画本編を見ていなかったから、口だしするの止めていた。
おくればせながら、Netflixで観たのでその件について考察していこう。
二人が付き合う決定打になったのは、神と崇める
押井守(1951年8月8日)が同じレストランにいたからである。
しかしこれが誤解を招く結果にもなっている気がした。
オタクとは元々アニメ愛好者を指す言葉である。
現在はオタクの意味が広義になったので、ゴッチャになっている。
今のオタクに発展していく以前は、ジャンルが違うオタクに近い存在に
サブカルがある。
サブカルとオタクの共通点は特撮好きである。
しかし、サブカルは特撮を実写ドラマとして好き。
オタクはアニメの親戚として愛好する傾向が観られた。
サブカルがオタクと違う最大の特徴は、音楽愛好家の面が強い点である。
狭義のオタクは、アニソンは好きだがあまり洋楽には詳しくない。
あくまで、筆者の個人の見解なので、世代間で誤差はあると思う。

(押井守 イラストby龍女)
押井守は元々実写の映画監督志望であった。
しかし、その頃映画産業は斜陽で新規採用はなかった。
就職先を探している時に拾ってくれたのがアニメスタジオのタツノコプロである。
筆者が大学時代に一瞬だけ付き合った人物とはタツノコプロ制作のタイムボカンシリーズが好きで意気投合した。
だから世代的に押井守が「神」なのは少し温度差がある。
筆者にとっては押井守は母親と同い年のクリエイターなので神にはまだ若すぎた。
むしろ押井守の師匠である吉田竜夫(1932~1977)、弟の吉田健二と久里一平が「神」である。
押井守は1993年生れの彼らにとってはおそらく『踊る大捜査線』シリーズの監督本広克行が影響を受けた『機動警察パトレイバー』の原作者集団ヘッドギアの一員であるから「神」なのだろう。
坂元裕二が押井守を選んだ理由は実際に見かけたそうだ。
実は筆者も押井守を見かけたことがある。
それは国分寺駅の西武線側の階段である。
記憶では10年以上前のハズだから現在関わっている制作会社プロダクションI.Gも国分寺周辺にあったハズだ。
坂元にとっては、好きな相米慎二の監督作品を観ていたら、出会ってしまった人物が押井守だと想像できる。
もう一つの件がこのカップルがなんで別れたか?
そのヒントになるのは
映画には一切出てこないが普遍的な問題として
森高千里の『渡良瀬橋』問題である。
森高千里の『渡良瀬橋』という楽曲は、渡良瀬橋がある栃木県足利市在住の女性が余所の出身の男性と恋におちたが、地元を離れられずに別れたという内容である。
現実の菅田将暉は大阪出身、有村架純は兵庫県出身である。
演じる山音麦は新潟県長岡市出身、おそらく八谷絹は東京都世田谷区出身であろう。
山根麦は長岡の花火師(小林薫)の息子だったが、後継者になりたくなくて上京しイラストレーターを目指していた。
絹の両親を演じる岩松了と戸田恵子は上京して東京の郊外にマイホームを建てた夫婦と見受けられた。
麦はイラストレーターとしての仕事がぱったりと途絶えた。
生活費を稼ぐために2010年代後半成長していたIT物流業の会社に就職した。
実際はブラック企業で多忙のあまり、夢に向かう気力が奪われていく。
絹は簿記2級をとって、歯科医院の事務職に務めていたが、好きだったエンタメの仕事が出来るイベント会社に転職した。
これはあまり指摘されていないが、生活に対する必死さに男女関係なく地方出身か東京出身の地元民の温度差は実は根深い問題である。
夢を年齢を重ねても追える地方出身の人物はもちろん東京にもいる。
しかしそれは一度若い時に評価されて自信を持った過去があるからだ。
だが、才能を認められずに門前払いを食った経験がある人物は、早々に諦めてしまう。
実際はそういう経験がある人の方が圧倒的な数なのではないか?
だから、『花束みたいな恋をした』に登場してくる二人はいわゆる「普通の人」なのである。
そういう意味では、筆者は「普通の人ではない」。
実家のある東京の郊外で、両親と同居してライターになる夢を追って今もこうして仕事をしている。
このように映画の話なのに、ついつい自分語りをさせてしまう
『花束みたいな恋をした』は間違いなく名作である。
では、坂元裕二の最新作『怪物』はどうなのだろう?
こちらは「普通ではない」少年達が登場してくる。
『怪物』は長野の湖畔にある雑居マンションの放火事件から台風までの二人の少年達が起こした事件をめぐるミステリー風の人間ドラマである。
芥川龍之介の短編『羅生門』と『藪の中』を組み合わせて映像化した黒澤明の名作映画『羅生門』によって映画の文法になった
羅生門形式の構成で書かれたシナリオである。
この形式を黒澤明と開発したのが
橋本忍(1918~2018)である。
3人の証言が食い違う事件の真相に迫る方法は、厳密には『藪の中』にあった要素なのでそう言っても構わない。
日本語の慣用句として「藪の中」は迷宮入りで、実は原作では事件の真相は明かされていないので、やはり映画の「羅生門方式」で正しい。

(橋本忍 イラストby龍女)
この『怪物』の3人の視点は
シングルマザー麦野早織(安藤サクラ)

(安藤サクラ イラストby龍女)
小学校教師、保利道敏(永山瑛太)

(永山瑛太 イラストby龍女)
星川依里(柊木陽太)と麦野湊(黒川想矢)

(柊木陽太と黒川想矢 イラストby龍女)
の三者である。
詳しい内容は避けるが一点、指摘しておこう。
『怪物』のクライマックスに襲いかかる台風によって二人の少年の心が解放される描写がある。
明らかに相米慎二監督の金字塔
『台風クラブ』(1985)の影響下にあるそうだ。
あの映画では「普通でない人」は演劇部の女子高生だったが、少年を描くことに長けている是枝監督に合わせて設定が変わっているのだろう。
坂元裕二の才能が映画に向いてきたのは映画の方が変わってきたからである。
近年の傾向が、連続ドラマの形式に寄ってきたのが大きい。
ハリウッド映画で常にヒット作の上位にいるのが、マーベル映画である。
これは壮大な連続ドラマでもある。
それ以外にもシリーズ物の続編が映画館に観客を呼び寄せる興行の呼び物である。
この6月30日には筆者待望のインディ・ジョーンズシリーズの完結編が公開される。
今のTVドラマの脚本家のルーツの一人、山田太一はもう引退状態である。
連続ドラマの第一線をのいてからは単発ドラマを書くのがやっとであった。
また、坂元裕二も50代後半を向かえて、TVドラマの速報性には体力的にもついてこれないのではないかと思う。
映画界も坂元裕二の才能を求めている今、連続ドラマよりもしばらく映画のシナリオに専念するのが賢明な選択である。
カンヌ脚本賞受賞は、坂元裕二のキャリアの頂点などではない。
カンヌは世界の映画業界の見本市でもある。
彼はようやく映画の脚本家として認められた。その第一歩に過ぎない。
2024年に公開される次回作は
朝ドラのヒロインを務めた3人がタッグを組む。
広瀬すず(1998年6月19日生れ)
杉咲花( 1997年10月2日生れ)
清原果耶(2002年1月30日生れ)
が共演の『片思い世界』である。
監督は『花束みたいな恋をした』でもコンビを組んだ土井裕泰(1964年4月11日生れ)である。
彼の映画の原点は同じく広島出身の先輩、ディレクターズ・カンパニーのリーダーだった
長谷川和彦監督の『太陽を盗んだ男』である。
坂元裕二は最初に思い描いた形ではないが、遠回りをしてようやく夢を続けられる光の道を歩みはじめた。
まるで『怪物』のラストシーンで少年達が二人だけの道を楽しげに走り去っていったように。
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