今回のコラムはただいまBSプレミアムで再放送中の2013年の朝ドラ
『あまちゃん』を取り上げる。

今回取り上げるのはお盆休み明けの特別編だからである。

宮藤官九郎(1970年7月19日生れ)が初めてNHKで脚本を担当したドラマだ。
実は筆者にとっても別格の存在である。
単純に好きなドラマという理由ではない。
実は、舞台となった岩手県の架空の自治体北三陸市のモデルになった久慈市の高校が筆者の母親の出身校だ。
母は久慈市の隣の野田村出身だ。
ヒロイン天野アキ(能年玲奈、現・のん)が着ていた北三陸高校の制服は、ほぼ久慈高校だ。
いわゆるセーラー服ではなく、ブレザーに赤い細いリボンを結んだデザインである。
母が現役女子高生時代から変わらないらしい。

朝ドラ『あまちゃん』で予言?母娘を演じた、のん(能年玲奈)と...の画像はこちら >>

(制服姿の能年玲奈 イラストby龍女)

したがって、『あまちゃん』に関しては語り出したら、止まらない。
この作品にはまった人には、それぞれの「あまちゃんと私」があるだろう。
今回は、今でも交流があるという母娘を演じた
小泉今日子(1966年2月4日生れ)
のん(1993年7月13日生れ)に絞って、紹介していこう。
特にこの二人の今の芸能活動を予測したかのように『あまちゃん』で描かれたエピソードはリンクしている。


まずは、小泉今日子から見ていこう。
天野春子
アキの母である。
1984年に北三陸をとびだしアイドルになろうとしたが、挫折した。
タクシー運転手の黒川正宗(尾美としのり)と結婚し、アキを授かった。

朝ドラ『あまちゃん』で予言?母娘を演じた、のん(能年玲奈)と小泉今日子が放送から10年でこんなに変わっていた!?

(小泉今日子 イラストby龍女)

演じたのは小泉今日子(1966年2月4日生れ)。
80年代はソロで活動するアイドル歌手が多かった。
それを代表する女性歌手の1人だ。
現在では、1980年デビューの松田聖子(1962年3月10日生れ)
1982年の同期デビューの中森明菜(1965年7月13日生れ)
に次ぐ3番手だったと位置づけられている。

同期の中森明菜と同様、『スター誕生!』のオーディションに合格しデビューした。
番組の後期に生れたスターである。
石野真子の『彼が初恋』を歌って合格したお陰で、石野が当時所属していた芸能事務所のバーニングプロダクション、及びレコード会社はビクター音楽産業と契約する。

『とんねるずのみなさんのおかげです』のコントの中で
とんねるずの石橋貴明に
「厚木(小泉今日子の出身地、神奈川県厚木市)でスケバンやっていたんでしょ?」
と言われたときに
「わたしは、厚木のお嬢さん!」
と言い返したのが、印象に残っている。


これはある程度の年齢まで裕福な暮らしをしていたらしいが、父親の倒産で夜逃げをして金銭的に苦労した名残で、非常に負けん気が強くなったようだ。

ヤンキーのような上昇志向がありながら、読書家の一面を持っている。
デビューが1982年と一年遅れたために1981年に亡くなった憧れの脚本家
向田邦子に直接会うことは叶わなかった。
TBSで向田邦子とコンビを組んでいた演出家の久世光彦(1935~2006)に気に入られて、正月の向田邦子ドラマスペシャルの常連俳優の一人になっている。
久世光彦が2003年にWOWOWで演出した川上弘美原作小説のドラマ化
『センセイの鞄』では主役を務めた。

フジテレビの月9の『愛しあっているかい!』(1989年10月~12月)ではヒロイン役に留まらなかった。
フィンガー5のカバー『学園天国』を元たのきんトリオでギタリストの野村義男のアレンジで、ドラマの主題歌として大ヒットさせた。

小泉今日子は、オリジナルのヒット曲も多いが
カバーのヒットも多く、ほぼオリジナルの松田聖子や中森明菜とは異なる。
デビューシングルの『私の16才』は
原曲は森まどかの『ねえ・ねえ・ねえ』(1979年)である。
改題して、キーを小泉今日子に合わせたそうだ。

実は筆者は『あまちゃん』を観ていて、納得できないところがあった。
天野春子(若い頃は有村架純)は新人映画スターの鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)の歌の吹替を頼まれる。

それは、マネージャーの荒巻太一(古田新太)の提案だった…。
と言う設定なのだが、これは役柄として、春子は歌がうまく、鈴鹿ひろ美は音痴という理由から来るモノだ。
だから、筆者は納得いかなかった。
薬師丸ひろ子は実際は小泉今日子より歌がうまい
からである。
筆者が特に薬師丸ひろ子(1964年6月9日生れ)の歌声に感動した曲がある。

それは中島みゆきの名曲のカバー『時代』(1988年7月29日発売)だ。
原曲より高いキーでコーラスワークで聴かせた。
薬師丸ひろ子に竹内まりやが提供した
『元気を出して』(1984年2月14日発売)。
竹内まりやが1987年にセルフカバーしたヴァージョンでは、薬師丸ひろ子はバックコーラスとして参加している。
このコーラス部分も美しくて、本当にうっとりする。

しかし、小泉今日子の歌に感動してきたファンの方々、すぐに怒らないで欲しい。
やっぱり、小泉今日子は素晴らしい。


あくまでも比較論で、薬師丸ひろ子より音程に弱冠の不安があるだけの話だ。
大好きな楽曲はいっぱいある。

特に筆者が最高傑作だと思うシングルは、小泉今日子自ら作詞した
『あなたに会えてよかった』(1991年5月21日発売。田村正和と父子役で出演したTBS系ドラマ『パパとなっちゃん』の主題歌)だ。

筆者はこの曲を聴いて小泉今日子の歌手としての最大魅力を確認した。
一言で表現するならば美声の音痴である。
小泉今日子の歌唱法は、音程に忠実ではなく歌詞に忠実なのだ。
確実に歌詞が観客の心にしみこんでくる。

小泉今日子は歌手からキャリアを出発させたが、資質は歌よりも語りに近い声の響かせ方にあった。
徐々に歌手活動よりも俳優活動に仕事の比重がよってくるのも必然の流れだった。

80年代、薬師丸ひろ子もアイドルだったが、異色の存在だった。
角川書店の2代目社長角川春樹(1942年1月8日生れ)が発掘した新人俳優で
映画畑から生れたアイドルなのだ。

書店の社長が映画をプロデュースするから、企画は当然自社の小説が原作と言うことになる。
角川春樹は、映画プロデューサーになる前は編集者だった。

『あまちゃん』の劇中映画で鈴鹿ひろ美(薬師丸ひろ子)は80年代に主演して大ヒットしたとされるのが
『潮騒のメモリー』である。

元ネタになった三島由紀夫が1954年に発表した小説『潮騒』(新潮文庫)は古代ギリシャの散文『ダフニスとクロエ』を元にした若い男女の恋物語。
漁師と海女になりたての二人を描いた。
この短編小説は、何度も映画化された作品となる。
『潮騒のメモリー』のモデルになった映画とは、恐らく1985年に公開された5度目の『潮騒』(監督・小谷承靖)だ。
鶴見辰吾・堀ちえみが主演である。
ちなみに堀ちえみ(1967年2月15日生れ)も小泉今日子と同じ華の82年デビュー組である。
この三島由紀夫の『潮騒』は三重県の神島が舞台だが、『潮騒のメモリー』の方は「北の海女」と呼ばれる北三陸市が舞台に置き換えられた。
久慈には「北の海女」の元ネタがちゃんとある。

日本映画全盛期の女性脚本家水木洋子(1910~2003)が書いた
1959年文化庁芸術祭賞のラジオ部門を受賞した
50分間の単発ラジオドラマ『北限の海女』だ。

東京から来たバツイチの女性と、高齢の海女の交流を描いたドキュメンタリータッチの内容だった。
『あまちゃん』が出来るまでは重要な観光資源だった。

宮藤官九郎が歌詞を書いた『潮騒のメモリー』の歌詞は様々な歌謡曲を引用している。
全体のベースになる小泉今日子のヒット曲で元ネタと思われるのは
『渚のはいから人魚』(1984年3月21日発売)だ。

『あまちゃん』は、ご当地アイドルの話が中心になっていくが、母娘3代のドラマを縦軸にアイドルの変遷を描き、一種の芸能史の様相を呈してくる。
宮本信子(1945年3月27日生れ)が演じた天野夏は
アキの祖母で春子の母である。
身内には「なつばっぱ」と呼ばれている。
袖が浜の海女で海女クラブ会長である。
北三陸駅に併設された昼は喫茶、夜はスナックになる飲食店を営んでおり、観光客にはウニ弁当を売っているという働き者である。

なつばっぱの過去の思い出のエピソードがある。
北三陸に歌手の橋幸夫(1943年5月3日生れ)がやってきた。
上京してきた夏がかつての憧れの橋幸夫に会いに行く。
この橋幸夫が選ばれたのがキュンときた。

実は筆者の母は三姉妹の2番目で長女で団塊世代の伯母は橋幸夫のファンだった。
筆者は母のためにあるコンサートのチケットを注文した。
ルネこだいらで今年の3月16日の行われた引退コンサートツアー中の橋幸夫である。
橋幸夫は今年の5月3日の誕生日をもって、歌手活動を引退した。
これからは書道家として余生を送るそうである。

脚本担当の宮藤官九郎やプロデューサーの訓覇圭(1967年5月生れ)は
男性のアイドルの元祖と思われる御三家(他は舟木一夫・西郷輝彦)の一人、橋幸夫をどうしても登場させたかったのだろう。

小泉今日子は、宮藤官九郎脚本のドラマでは2003年のTBS
『マンハッタン・ラブ・ストーリー』に出ている。
元々ファンであったことは容易に想像できる。

小泉今日子は前述したとおり、70年代を代表するオーディション番組『スター誕生!』からデビューした最後期のスターの一人で、ソロ歌手中心だったアイドルの終わりの始まりだった。

その象徴的なヒット曲が後におニャン子クラブやAKBや坂道シリーズに続く集団アイドルをプロデュースする
秋元康(1958年5月2日生れ)が作詞した『なんてたってアイドル』である。
この歌の詞こそ、アイドルのファンが求めるアイドルの定義がつまっている。

それでは物心ついたときから集団アイドルの時代にどっぷりつかっている
のん(能年玲奈)の話を交えながら、『あまちゃん』から10年経った今の変化も見ていこう。
天野アキ
このキャラクターは、演じている能年玲奈(のん)よりも2歳年上の1991年11月23日生まれと言う設定だ。

天野アキは東京では地味な女子高生だった。
高2の夏に北三陸高校に転校して祖母のなつばっぱ率いる海女クラブの面々に出会って明るくなっていく。
やがて東京に憧れる地元の名士の娘で親友になった足立ユイ(橋本愛)と
「潮騒のメモリーズ」と言うユニットを組み、地元のアイドルとして人気になる。

アキが活動を休止して東京で上野の東京EDOシアターでGMTの岩手代表として活動を始めるが、解雇される。
東京に戻ってきた母春子が、アキのために個人事務所
スリーJプロダクションを設立する。
さかなクンと共演した子供番組「見つけてこわそう」の出演を機に人気が出始めた。
並行して、アキは鈴鹿ひろ美の付き人として俳優修業をしていた。
2010年の秋に「潮騒のメモリー~母娘の島~」のオーディションに合格した。
ヒロイン・鈴鹿あき役として鈴鹿ひろ美とダブル主演する。
映画作りと主題歌レコーディングを通じ、両親と荒巻・鈴鹿の因縁を解消し、和解に導く。

2011年3月11日は映画の公開前日だった。
せっかくの主演映画は、1週間で上映中止。
東日本大震災をきっかけに、アキは帰郷して、再び海女および北三陸のアイドルとして復帰し、ユイとのユニット「潮騒のメモリーズ」も復活し、地元の北三陸で芸能活動を再開する。

朝ドラ『あまちゃん』で予言?母娘を演じた、のん(能年玲奈)と小泉今日子が放送から10年でこんなに変わっていた!?

(あまちゃんポスターから引用 イラストby龍女)

能年玲奈(のん)の地元は兵庫県神河町である。
海ではなく山育ちだそうだ。
兵庫県は宝塚歌劇団がある影響か、女優を多く輩出している地域だ。
直近で朝ドラヒロインを務めた人を挙げる。

『ゲゲゲの女房』(2010年)の松下奈緒(1985年2月8日生れ)は出生地は奈良県の生駒市だが、育ったのは兵庫県川西市である。

『あまちゃん』では春子の若い頃を演じてブレイクし、『ひよっこ』でヒロイン役にオーディション無しでオファーされた
有村架純(1993年2月13日)は、能年玲奈と同い年で、兵庫県伊丹市出身だ。
おそらく『あまちゃん』の最終選考まで残り、春子の若い頃の役がまわったと思われる。

能年玲奈は、この朝ドラのヒロインのオーディション合格が、初主演作品であった。
2006年に第10回ニコラモデルオーディションでグランプリを獲得し、2010年まで専属モデルを務めた。
モデルからキャリアをスタートさせているが、専属モデルの契約が切れた前後から俳優活動に本腰を入れている。

生徒役の一人として映画『告白』(2010年6月5日公開。監督・中島哲也)でデビューした。
能年玲奈が出ていたのを知ったのはたまたまWOWOWで主演の松たか子目当てで観たので、公開から大分経っている。

筆者が初めて観た能年玲奈の出演映画は大泉洋・麻生久美子主演の
『グッモーエビアン!』(2012年12月15日公開。監督・山本透)で麻生久美子の娘を演じた三吉彩花の親友役であった。

『あまちゃん』の後は筆者が小学生の頃に流行った少女漫画が原作の
『ホットロード』(2014年8月16日公開。監督・三木孝浩)の主演を務めた。
第38回日本アカデミー賞の新人俳優賞を相手役の登坂広臣(三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE)と共に受賞した。

東村アキコ原作漫画の実写化『海月姫』(2014年12月27日公開。監督・川村泰祐)では
同い年の俳優のトップ菅田将暉(1993年2月21日生れ)と共演した。
筆者は大好きな『のだめカンタービレ』と同じ雑誌Kissに連載されていて知っていたので、公開時観に行った。

2016年1月に所属していた大手芸能事務所レプロエンタテインメントとの契約を終了。半年後に芸能活動を開始する際に、芸名を本名からのんに改めた。
現在は芸能事務所ではなく、speedy社というエージェント会社に移籍している。

のんは中学時代からバンド活動をしたり、絵も描いてマルチな才能がある。
大手事務所からの移籍の影響下でTVでの露出は減ってしまった。
しかし、「捨てる神あれば拾う神あり」である。
彼女を応援してくれる人々は、『あまちゃん』を観た映画業界に多くいた。

のん名義での最初の代表作となったのは、片渕須直監督の長編アニメ作品
『この世界の片隅に』( 2016年11月12日公開)である。
のんは主人公のすずの声優を務めた。
広島出身の漫画家こうの史代原作の映画化で、戦時下のホームドラマとして原爆前後を生きたの一人の女性を描いた画期的な作品だった。
日テレで単発ドラマ、後にTBSで連続ドラマ化されているが、同じ映像化の中ではもっとも高く評価されている。
第40回日本アカデミー賞最優秀アニメーション作品賞
第90回キネマ旬報ベスト・テン日本映画第1位である。
のんが主役に抜擢されたのは、やはり東日本大震災によって大きく変わるある地域の日常を描いた『あまちゃん』の主演俳優だったことは大きいだろう。

『あまちゃん』で共演したさかなクン(1975年8月6日生れ)の自伝
『さかなクンの一魚一会 ~まいにち夢中な人生!~』の映画化
『さかなの子』(2022年9月1日公開。監督・沖田修一)では、本名・宮澤正之からの幼少期のあだ名「ミー坊」から「さかなクン」と呼ばれるまでを演じている。

同年には、コロナ禍で学園祭が中止になった美大の学生を自ら主演・脚本・監督した『Ribbon』(2022年2月25日公開)も注目すべきトピックだ。

前ページで主に取り上げた小泉今日子には『あまちゃん』以降大きな動きがあった。
長年所属していたバーニングを抜け、子会社という形で自らの立ち上げた会社
明後日の社長になった。
この会社は主に舞台のプロデュース公演を行うのが目的である。
表舞台よりも裏方の仕事として後進を育てたくなったようだ。
リアルにスリーJプロダクションの社長のようなことをしている。

のんの方も、初長編映画監督作品『Ribbon』が業界内でも評判がよかったらしいので、第2作が期待されている。
のんがどうなるか想像すると、俳優の比重の方が多い
宮藤官九郎のようなマルチなタレントになるのではないだろうか?
彼女のこれからの10年も目が離せない。

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