「84」は住所非公開の会員制飲食店で、店長は元任天堂社員であり猿楽庁を立ち上げた一員でもある橋本徹さん。皆さんがイメージする会員制の飲食店とは程遠い雰囲気なのが特徴で、周りには著名なゲーム業界人のサイン、ゲームグッズが並んでおり、食事はいわゆる“おふくろの味”のようなもの。そして、ゲーム業界や芸能界の方などが訪れるのんびりとしたお店なのです。
本稿では、そんな「84」をがっつりレポート。大量の写真と共に店内と食事の紹介、そして橋本さんへのインタビューをお届けします。
◆圧倒的な数のサイン
店内に入るとまず目に入るのは壁に飾られた数々のサイン。橋本さんが自ら知人・友人に頼んで集めたものが並んでおり、『スーパーマリオ』シリーズなどで有名な宮本茂氏のフルカラーイラスト入りサインなどが目を引きます。
同じく任天堂のゲームクリエイターである手塚卓志氏のサイン、『スーパーマリオブラザーズ』など多くの楽曲を手がける近藤浩治氏のサイン入りBGM楽譜などが並びます。実に有名な方々が並んでいて驚きますが、橋本さんは手塚氏や近藤氏と同期のためお願いして書いてもらったそうです。
また『ゼルダの伝説』シリーズのプロデューサーである青沼英二氏のイラスト入りサインや、『ゼルダの伝説 ムジュラの仮面』などでイラストを担当した綾部奈保子氏のイラスト、『星のカービィ』の生みの親である桜井政博氏のサイン入りプレートも飾られていました。
さらに、『ポケットモンスター』シリーズや『ソリティ馬』などで有名なゲームフリーク一同のサインも。キャラクターデザインを担当している杉森建氏、作曲やディレクションを担当している増田順一氏、最新作『ポケットモンスター サン・ムーン』ではディレクターを担当した大森滋氏などのサインが並んでいます。
橋本さんは『MOTHER2 ギーグの逆襲』にも仕事で関わっていたとのことで、糸井重里氏のサインもありました。トイレの横に飾られています。任天堂以外では、元カプコンの稲船敬二氏が書いた『ロックマン』イラスト入りサインがカセットと一緒に展示されていたほか、『どこでもいっしょ』シリーズのキャラクターデザインを担当した堀口直氏のイラストも。『ドラゴンクエスト』シリーズの産みの親である堀井雄二氏のサインもあります。
そして『ICO』『人喰いの大鷲トリコ』などを手掛けたゲームデザイナーの上田文人氏のサイン入りゲームソフト、『moon』スタッフのサイン、アニメ「ポケットモンスター」の楽曲を手がける田中宏和(HIP TANAKA)氏のサイン入りゲームボーイなどもあり、サインを見ているだけで時間があっという間に過ぎていきます。
なお、トイレには漫画家や芸人などのサインが多数描かれており、用を足しに来たのかサインを見に来たのかわからなくなることうけあいです。
◆ゲームグッズ
随所に置かれているゲームグッズも見所となっています。座席にはぬいぐるみが置いてあり、本棚にはゲーム関連書籍のみならず、ファミリーコンピュータやバーチャルボーイといった懐かしのハード、そして新しいものからレアなグッズまで揃った棚もあるのです。レアアイテムとしては、ファミリーコンピュータのソフトに貼られる前の『スーパーマリオブラザーズ』ステッカーが目立つでしょうか。ゲームコレクターでもまず入手できないであろう一品。関係者ならではのグッズといえば、開発関係者にしか配られていない『MOTHER2 ギーグの逆襲』Zippoもかなり珍しいものです。
サイン入りグッズも見所です。
そして、ハル研究所の三津原敏氏や上武理志氏のサインが入った『星のカービィ ロボボプラネット』や、ゲームライターであるローリング内沢氏のアイロンビーズ、占い師タレントとして活動しているゲッターズ飯田氏のサインも飾られています。ちなみに店内の家具は、ゲッターズ飯田氏の風水占いを元に配置されているとのこと。個人的に気になったのが『MOTHER2 ギーグの逆襲』のスカジャン。これもレアものであることには違いないのですが、橋本さんによると持っている人が意外と多いグッズだそうです。
◆インテリアなど
喫煙室として電話ボックスが置かれているのもお店の特徴。「84」は一度移転しているのですが、現在の場所には喫煙ルームがなく専用スペースを設ける必要がありました。しかしビジネス向けの喫煙スペースは雰囲気が合わず、「じゃあ電話ボックスがいいんじゃね?」とメーカーに直接連絡して購入したそうです。きちんと換気扇がついており、中にはゲーム関連イベントのチラシなどが貼られています。ちなみに、電話機にも特別な仕掛けが……。
また、天井にはなぜかファミリーコンピュータが張り付いているのも印象的です。両手を上にあげつつこの場所で写真を撮ると、まるで逆立ちしているかのように見えるという写真が撮れます。
なお、カウンターの横にはまきさんが作った切り絵も飾られています。
◆「84」のおかんごはん
続いて「84」の食事について紹介しましょう。カウンターにはその日のメニューが並んでおり、ここから好きなものを選んで注文するという形式になっています。この日のメニューは、さばのバジルオイルソテー、ガリバタチキン、ギョウザ、にら焼餅など。料理担当スタッフのはなさんは、このようなおかんごはんが得意なんだそう。
今回はインタビューのために訪れた筆者ですが、橋本さんの薦めるがままにビールを頂いてしまいました。サントリーの超達人店に認定されているだけあって泡がきめ細やか。なお、アルコール類は日本酒やカクテルなども用意されています。料理は87のえだまめ、豚コマ大根、麻婆茄子をオーダー。
しかし、前述のビールのようにこだわっているメニューも存在します。お米は北丹波産の高級米が使われており、目の前で炊きあがりを楽しめる「自炊ごはん ~Do it Kama-self ~」も用意されています。綺麗な米粒、湧き上がる湯気、釜の内側についた水滴が実にフォトジェニック。目の前で炊くということもあって一時間ほどかかるのは難点ですが、炊飯器で炊いたふつうのご飯もメニューにありますし、漬物や味噌汁のついた定食セットも頼めるのでご安心を。
米粒は小さめでしっかりしており、甘みは控えめで良い香りが印象的でした。そのままおいしく食べられるのはもちろんですが、麻婆茄子のひき肉が合うのなんの。そして、〆は「第1/2旭ラーメン」。あっさりとした醤油スープとほどよい脂がおいしく、呑んで食べたあとだというのにあっという間に完食しました。
橋本さんは18歳のころから36~37年ほど第一旭に通っており、店をやると決めた時にこのラーメンを自分のところでも出せないかと考えたそうです。しかし、第一旭の大将はかなりのコワモテ。勇気を出して「自分が責任を持って提供します」と書いたラブレターを出したところ、OKをもらえたとのこと。しかも、そこから大将と仲良くなって飲みに行くようになったそうです。
◆店を始める切欠は“降ってきた”から
そして「84」の店長である橋本徹さんにお店を立ち上げた理由などを伺いました。そこから見えてくるのは、このお店が縁によって作り上げられたということでした。
■橋本徹 プロフィール
1962年兵庫県生まれ。1984年に任天堂へ入社し、1998年からはゲームのデバッグやバランス調整を行う会社「猿楽庁」を立ち上げる仕事へ関わることに。任天堂のゲームをモチーフにしたブランド「THE KING OF GAMES」などを手がけるアパレルメーカー「エディットモード」の役員でもある。2017年1月いっぱいで猿楽庁を退社した。
──本日はよろしくお願いします。まず、もともとゲーム業界にいた橋本さんがこのお店「84」を始めるようになった切欠を教えていただけますか。
橋本:昔、お偉いさんがたくさん集まるすごい重たいミーティングに参加していたんです。その際中に「飲食店やれば?」というのが突然“降ってきて”はじめました。
──もともと飲食店をやろうと思っていたり、あるいは料理が得意だったりしたんですか?
橋本:今まで飲食店をやりたいと考えたことはなかったし、料理もやらないです。
──本当にそれまで一切関係がなかったんですか!
橋本:はい。今お店で料理を作ってくれているのは友達なんですが、その子も飲食店経験がなくて、「じゃあ何が作れる?」と聞いたところ「家のご飯」ということだったのでそういうお店になっています。
──では、本当にノープランで……。
橋本:ノープラン・ノーマネーのスタートです(笑)。
──急に飲食業界へ乗り出そうとして周囲は反対したりしなかったんですか?
橋本:全然ですね。逆にみんな面白がってくれました。降ってきたあとお店をやるまで1年くらい時間があったんですが(「84」のオープンは2015年2月)、その期間に偶然飲食関係の人と知り合えて、必要なピースがハマっていくように店を作ることができました。
──人の縁のおかげで今の形になったというわけですね。
橋本:そうですね、不思議なものです。ただ、実は流されているだけなんですけどね。
◆人との縁が店を作る
──人に紹介してもらえないと入れない会員制のお店にした理由は?
橋本:まず僕が人見知りだということがあって──。
──本当ですか!?(笑)友人や知り合いの方もたくさんいらっしゃるようですし、見ている限りとてもそうは思えないのですが……。
橋本:本当です!共通の知り合いがいる人とかなら安心して話ができるんですけど、まったく知らない人とはあまり。なので、友達の友達を……というふうに交流できるよう会員制にしてます。
──友達を集めていったらこのお店になっていったということですか。
橋本:飾ってあるサインやイラストも、僕が頼める方に声をかけてお願いしたものなんですよね。「『ファイナルファンタジー』はないんですか?」とか「『逆転裁判』はないんですか?」とか言われることもあるんですが、繋がりのある人にお願いしているのでこうなっています。あと、お店のフロアにはゲーム関係のものを飾っているのですが、トイレにはそれ以外(漫画家や芸人など)の方にサインをお願いしています。
──ゲーム業界と飲食業界、だいぶ違う業界のように思えますが苦労はされませんでしたか?
橋本:飲食業界のことはまったく知らなかったので、本を一冊読んで「じゃあなんとかなるか」という感じでした(笑)。細かい問題は確かにあったんですが、苦労というほどのものはないですね。楽しいと思いながらやれています。
猿楽庁では誰かが作ったゲームのバランス調整やアドバイスを行ったり、要は縁の下の力持ち的なことをやっていたわけですね。少し形は変わっていますが、このお店でやっていることも似ていて、人と人を繋げて活動を応援したり、ゲーム業界の横の繋がりを助けられればいいなと思っています。
──もともと人との繋がりを活かす仕事が得意だったのでしょうか。
橋本:割とお節介焼きなので、人を繋ぐようなことは好きですね。猿楽庁ではライブとかボードゲームが楽しめるクローズドのイベントをやっていたんですが、「それを毎日やればいいんだな」と考えて行動に移したような感じです。
──ところで、お店のメニューは家庭料理がメインになっていますが、プレミアムモルツの超達人店としてビールを出していますし、京都の有名なお店「第一旭」のラーメンがメニューにあったりと、こだわっていますよね。
橋本:それも人との縁によるものですね。ビールは行きつけの居酒屋で働いていた知人がサントリーに就職した縁からだし、ラーメンも第一旭に18歳のころから通っていたからという理由で……。本当に縁ですね。
会員、つまりお客さんにも恵まれています。お客さんは常連会員になるとほかの人を紹介できるんですが、連れてくる人を本当に信頼できるか見極めてから来てくれるんですよね。うちには芸能界の方も遊びに来てくれるんですが、おかげでそういった方たちも安心して飲めるような場になっています。
◆これからも流されて
──猿楽庁を退社してこれからどのような展開をされていく予定でしょうか。
橋本:何も考えてないですね。僕は人生設計なんかしたことがなくて、ずっと流されてここまで来ましたから。猿楽庁を作った時も声をかけてもらったからだし、この先に店をどうしたいとかも決めないでいこうと思ってます。決めちゃうと達成できなかった時に凹んじゃいますから(笑)。ノープランでも真面目にやればなんとかなるというのが僕のやり方ですかね。この店もいつまであるかわからないです。
──わからないというと、どこかに移転するというようなことですか?
橋本:先のことは決めてないので、急にやめてしまうかもしれませんね。以前、店を移転した時もお客さんに前もって連絡しなくて驚かせたことがあります。そんな風にいつも流されるような生き方をしているので、流れに身を任せて楽しくやっていこうと思います。
──最後に読者の方へメッセージをお願いできますか。
橋本:「84」は会員制のお店ではありますが、暗くてジャズが流れてて値段が高くて……、みたいなイメージとはまったく違う実家のような場所になってます。お店を探すのもゲームのような楽しみのうちだと考えているので、頑張って会員カードを持っている人を探して遊びに来てください。あ、エディットモードのほうでも次の展開を考えているので期待していてください。
──本日はありがとうございました。
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「84」の成り立ちやお店の雰囲気には、やはり店長である橋本さんの人柄が大きく影響しています。周囲にさまざまな人が集まってうまく行くのは、その人徳や親しみやすさを証明しているのでしょう。
橋本さんはほかの席に座っているゲームメーカーの方を紹介してくれたり、カレンダーやステッカーをプレゼントしてくれたりと、本当に初対面とは思えないような親切ぶりでした。それでいて嫌味でないのですから、このお店に人が集まるのも道理なのかもしれません。