旧暦10月は神無月。しかし島根県出雲市では「神在月」の神事が行われます。
くしくも島根県はINSIDE編集長、山崎浩司がイード(*)の開発拠点「松江ブランチ」の立ち上げで、20代をすごした思い出の土地でもあります。
そこで、島根県出雲市出身で日本だけにとどまらず世界で活躍する企業の代表にお集まりいただきざっくばらんな鼎談を実施。鼎談場所も出雲市の食材をふんだんに使った郷土料理を堪能できる「がっしょ出雲」と出雲づくしなロケーションで、故郷と世界の関わり、モノづくりで「ダークサイド」に落ちないための取組、人間の秘めたる無限の可能性まで幅広いお話を伺いました。
(*)INSIDEの運営企業。2015年に島根県松江市に開発拠点を設立。
アカツキ代表取締役CEO 塩田 元規
『八月のシンデレラナイン』などの開発、運営を行うモバイルゲーム事業を展開。ゲームだけでなくリアル体験を提供するライブエクスペリエンス事業も。
IZM designworks代表取締役 直良 有祐
2018年2月に『Fate/Grand Order』の企画・開発・運営を行うディライトワークスのアートデザインを統括するクリエイティブオフィサーに就任。過去にアートディレクターとして『ファイナルファンタジー』シリーズに参加。
モンスター・ラボ代表取締役CEO 鮄川 宏樹
12カ国21都市の拠点を活用したグローバルソーシングによって、モバイルアプリやWebサービスの企画、開発、運用まで幅広く手がける。インターネットBGM「モンスター・チャンネル」、自社ゲームなどの自社プロダクトも展開。
取材場所協力がっしょ出雲 https://goo.gl/wzk7rW
取材・文 小野憲史
企画・構成 山﨑浩司
山高OBの三名、起業のきっかけを語る
――皆さん、同じ島根県出雲市出身で、しかも同じ高校のOBとお聞きしているのですが、どれくらい年齢差があるのでしょうか?
直良有祐氏(以下、直良)自分が今47歳で、山高の40期です。本当は出雲高校っていうんですが、小さな山の上にあるので「山高」と呼ばれています。
鮄川宏樹氏(以下、鮄川)俺が今43歳だから、44期か。塩田君とは9歳違いなんじゃないかな?
塩田元規氏(以下、塩田)そうです。僕、35歳で2000年に卒業なんで。だから51期ですね。
鮄川9歳違うって、すごいよね。まるまる小学校と中学校分だけ違うんだから。
塩田鮄川さんが高校生1年生の時に、小学校に入学したわけですからね。鼎談が始まる前も「席をどうする?」「自分が一番下座だろう」みたいな話をしていました(笑)。
――皆さん、地元を離れて世界的に活躍をされつつ、一方で島根や地方とも繋がりを持つなど、幅広く活躍されていらっしゃいますよね。起業までの経緯を教えていただけますか?
直良高校を卒業後、すぐに東京に出て。
――ディライトワークスのクリエイティブオフィサーも兼務されていますよね。
直良実は社長(庄司顕仁氏)がスクエニ時代の後輩なんです。出雲と東京を往復する生活をしているうちに、またゲームを作りたいなあと。「じゃあ一緒にやりましょうか」って声をかけてもらってクリエイティブオフィサーという仕事を兼業でやらせてもらっています。月の半分は東京、もう半分は出雲でのんびりやっていますね。
鮄川自分は高校を出て1年浪人して、神戸大学の理学部数学科に進学しました。自分なりに視野を広げたくて、PWCコンサルティングという外資系のコンサル会社に就職したんです。ちょうど2000年くらいかな。その頃ってインターネットや新しいテクノロジーが海外からガッときていた時期で、このまま大企業相手のコンサルをしていても、時代においていかれると思うようになったんです。それでエンジニアとしてやり直そうと思って、ベンチャー企業に転職しました。
――起業のきっかけはなんだったんですか?
鮄川3歳年下にバンドをやっている弟がいて、弟も出雲高校出身なんです。そういうのもあって、インディーズで活躍しているアーティストを世に送り出すためのプラットフォームを作りたいなあと。それで起業して「MONSTAR.FM」というサービスを作りました。そこからリアル店舗向けのストリーミングサービス「モンスター・チャンネル」を開始したり、ゲームやアプリ開発をしたりと事業を広げながら、現在に至っています。
塩田自分は高校生の頃から会社を経営するって決めていたんですよね。親戚に経営者が多かったし、おやじが中学1年生の時に他界しているので、自分の人生について早いうちから考えるようになったんですよ。当時はITベンチャーが流行り始めたころで、横浜国立大学の電子情報学科で学生ベンチャーを立ち上げたりしていました。そんな頃に会社や経営についてもっと深く知りたくなって、「ハッピーカンパニープロジェクト」を立ち上げたんです。
そこでは幸せそうな会社の経営者に突撃して、「会社とは何か」「経営にとって一番大切なことは何か」といった具合に、インタビューをする試みをやっていました。そうした取り組みが、いまアカツキが掲げているビジョンに繋がっています。
ちょうど理系の大学院に1年飛び級で入ったんですが、それを辞退して、一橋大学のMBAに入って経営の勉強を2年間やった後、DeNAに入ってモバゲータウンの広告営業などをやりました。
もともと『ファイナルファンタジー』シリーズの大ファンだったんで、大学の入試でも「自分の夢は『FF』を越えるゲームを作ることです」といって、面接官から「専門学校に行った方がいい」と言われたくらいで(笑)。今日は直良さんに会えて嬉しいです。
鮄川うちは親が厳しくて、ファミコンとか一切禁止だったんですよね。友達の家で地味にやったりしましたけど。
塩田当時、友達の家に集まってゲームをするって、ありましたよね。
直良うちもファミコン、買ってもらえなかったんです。むしろ高校をサボってゲーセンに行くことが多かったかなあ。だからスクウェアに入るまで、実は『ファイナルファンタジー』をやったことなくて。面接の時も間違えて『ドラゴンクエスト』って言っちゃいました。
塩田当時はまだ、ライバル企業同士でしたからね。
島根県と海外の意外な結びつきとは?
――島根県って、あまりなじみがない人が多いと思うんです。鳥取県とごっちゃになってる人も多いんじゃないかなと。
直良同じ島根県でも西と東でずいぶん違うんですよね。横に長いから。
鮄川東の方は鳥取県との結びつきも強いんですよ。近年では島根県の出雲市と松江市、鳥取県の境港市・安来市・米子市が中心になって「中海・宍道湖・大山圏域市長会」が設立されて、一緒に盛り上げていこうという感じになっています。そこの5市が集まると人口60万人くらいになって、まあまあの経済規模になるので。
塩田県を越えて地域でまとまるということですね。どんなことをやっているんですか?
鮄川インドのケーララ州と経済提携などを結んでいて、インド人のエンジニアを島根県に連れてくるみたいなことをやってますね。うちも1人採用したんですが。
塩田それはむちゃくちゃよさそう。
鮄川 松江市にアプリの開発拠点を2014年に作ったのも、まだ会社が小さかった頃に塩田さんに紹介されて、松江市の助成金の話を伺ったんですね。
塩田島根県にはRuby(*)アソシエーションがあって、エンジニアもいるし。助成金の額もハンパない。ただ、人口が少ないので、分母も少ないんですよね。
(*)プログラミング言語のひとつ。島根県松江市にRuby開発者であるまつもとゆきひろ氏が在住しており、Rubyによる地域振興を行っている。
鮄川松江市の開発拠点でいえば、まだエンジニアが10人ぐらい。だけど、全員Iターンなんですよ。しかも、そのうち4人が外国人で、インド人1人とベトナム人が2人、最近キプロスからも1人来て。
塩田もはやキプロスの場所も分からない(笑)
鮄川ケーララ州も田舎なので、意外とみんな東京で働きたいとは限らないんですよね。日本に来たけれど、島根に開発拠点があるなら、そっちで働きたいという人間ばかりでした。
――京都に外国人のインディゲーム開発者が多い理由とも似ていますね。外国人からすれば、京都の方が住みやすいですし、ザ・日本ですしね。
鮄川実際、松江に行ったメンバーはめちゃくちゃ島根ライフをエンジョイしてますよ。外国人も日本人も。
塩田外国人の方は、出雲や松江のどの辺が魅力的だって言ってますか?
鮄川まず自然。あと、Rubyのコミュニティがあるところ。エンジニア同士の横のつながりがあって、勉強会をしたり。うちだと松江城で開発合宿をやったりしていますよ。生活費も安いですしね。
塩田海外の方からすれば、めちゃくちゃびっくりですよね。城で開発できるって。
直良モンスター・ラボってサービスとアイディアと社会貢献がセットになってる感じがして、すごいなあと思ってるんですよね。そこって意識的にやられているんですか?
鮄川営利企業だからまずは利益を出しながら、地域のためにとか、途上国で雇用を生み出したりとか、そういうのはあります。バングラデシュにも開発拠点を作りましたし。
直良なかなかできることじゃないなあと。創業時から考えられていたんですか?
鮄川うちは多様性を生かす仕組みを創ることを経営理念に掲げていて、それとは別に個人をエンパワーしたいなと。それがアーティストだったり、エンジニアだったり、クリエイターだったりするんです。事業領域が変わっても、そこは変わってないですね。
塩田根っこの部分は僕らも近いですね。僕らは感情をキーワードにしてるんですけど、人の心を動かして、その人が自分らしく輝いて、それが世界中に広がっていくっていうイメージ。「感情を報酬に」というキーワードを掲げています。
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モノづくりで「ダークサイド」に落ちないために
直良僕らみたいな現場のクリエイターと違って、お二人とも経営という視点から入られているじゃないですか。普段そういった方々とお話しする機会が無いので、どういうふうに考えてるんだろうって。
――アカツキさんのように、ゲーム業界でそうした理念をちゃんと表に出されているところって、ほとんどないですよね。
鮄川僕もすごい印象に残ってます。はじめてウェブサイト見たときに、かなり理念が打ち出されてたんで。
塩田ゲーム業界って難しいことも多いんですけど、僕らはピュアでいたいと思っているんですね。人間のモチベーションって、そういうところに起因すると思うんですよ。実際、起業って大変だから、何かやめない理由が必要だと思うんですよね。それがビジョンだったりするわけで。
鮄川会社の規模が大きくなっていくと、いろんな人が入ってくるじゃないですか。その時にビジョンを浸透させるみたいなことは、やられていますか?
塩田めちゃくちゃやっています。例えばですけど、毎週、社員の前で「ゲンちゃんズトーク」をしています。というのも、自分の名前が元規だから。そこで、いつも「われわれはなぜ仕事をしてるのか」っていう話をしています。
鮄川全社ミーティングですか?
塩田全社です。毎回全員の前で会社の理念、エンターテイメントの本質みたいなことを話すんです。新入社員や中途社員に対しては、僕が毎回3時間使って、会社の理念と社史を包み隠さず話していますし。3カ月に1回ぐらい、合宿みたいなのもしていますね。
鮄川すごいですね。今は何人ですか?
塩田正社員だとグループ会社も含めて250人くらい。アルバイトや契約社員を全部入れると、海外も含めて900人くらい。
鮄川その人数になってもそれをやってるのは、すごいですね。
塩田一昨日まで台湾オフィスにいたんですよ。そこでもゲンちゃんズトークをしてきたんですけど、向こうもすごく文化が熱いですね。
鮄川かなり時間を費やしていますね。
塩田それで最近、思うんですが、モノづくりをしていると、対象物に深く入りこんでいくじゃないですか。その時に、ダークサイドに転落するフェーズがありそうな気がして。実際、モノを生みだすって、苦しいじゃないですか。
深く入り込むのはいいと思うんですけど、完全にダークサイドには落ちないって、僕は決めたんです。ダークサイドに落ちて、つながりとかわくわくとか心にとって大事なものを失ってしまうのは絶対にやめようと。実際、ゲーム業界には多分ダークサイドに落ちて、すごくつらそうになってる人もいるんじゃないかなと思うんです。直良さん、長くゲーム業界にいらっしゃって、どうなんでしょうか?
直良自分の場合は、絵描きが基礎なんで、頭に絵が浮かんじゃったら、形に出さないと駄目だと思っているんです。じゃあ、いわゆる「神様が降りてくる仕組み」って、どういう感じなのかについて解明しようとしていて、スタッフと共有をはじめています。
塩田アイディアがわいてくる仕組みを可視化してるってことですか。
直良そうです。これまでは自分一人で何となくやってたんですが・・・。
塩田そのマニュアルを見たい。
直良そんなに難しいことはしていないです。「ひらめき型」と「積み上げ型」があるんですが、同じアプローチでゴールに到達する方がみんな幸せになるだろうと思って。それは「闇落ち」をしないためでもあります。そんなふうに方法論が確立していると、コンセプトがしっかりするし、迷ったときもコンセプトに戻れば良いから、闇に落ちなくてすむ。
塩田なるほど。
直良ただ、こういうノウハウって属人的になりやすいし、共有されにくいんですよね。その辺をできるだけ可視化していくと、チームとしての力が増していくんじゃないかと今朝も午前2時半くらいまでプロデューサーと飲みながら話し込んでいて。もっと可視化して、何社かで共有して、仲良くしていこうみたいなことを話していました。
塩田それ、僕も混ぜてください!アカツキでも是非やりたい。アートの領域って、ロジックで落としきれないある種の天才性みたいなものがあるような気がしていて。
直良もちろん人それぞれの強みは当然あると思います。ただ、もうAIが絵を描く時代になってきちゃったから。人間の強みって、最終的にはアイディアや、魂の部分になると思っていて。逆にそれ以外のところは共有できると思うんです。実際、自分たちの仕事が奪われそうな感じもしますよね。
地方都市ならではの人的ネットワーク
塩田そういう危機感があるんですね。
直良何年か前から、絵描きは不要になるんじゃないかって恐怖感があって。AIがそのうち絵を描くようになるだろう、アイディアも出すようになるだろう、と。
鮄川最後まで残りそうな気もしますけどね。
塩田そうですね、それが結局、ロジックから遠そうだから。
直良そんな時代になっても残るものって、結局は感情や衝動、何かエモーショナルなものだと思っていて。実際、今年のマイテーマは「衝動」なんです。
塩田衝動か~。直良さんのアートスタイルは、どの辺で確立されたんですか?
直良わりと早いうちですね。もともと絵がそんなに得意じゃなかったんです。
塩田出雲高校、普通高校ですからね。どういう経緯で絵の道に進まれたのか、気になって。
直良ルーツは授業中の落書きなんです。教科書の隅でパラパラ漫画を描いたり、偉人の絵にラクガキしてみたり。
塩田かなりのキャリアチェンジですよね。
直良ゲームも遊んでいたし、絵を描くのも好きだったんで、両方できるのはゲーム開発の仕事くらいかなと・・・。けっこう安直だったんですよ。ただ、他にも山高出身がスクウェア・エニックスにもいましたよ。
鮄川僕も同級生で漫画家になっている友達がいますよ。ドラマにもなった『クロコーチ』を手がけたコウノコウジくんで、この店で再会しました。けっこう締切がつらそうでしたね。
塩田やっぱり、そうなんすね。お二人とも出雲高校卒業生としては、かなりレアですよね。
直良そういう奴らって、やっぱりすぐ出雲から出ちゃうんですよね。
鮄川就職先がないんですよね。直良さんのお父さんはどういうことされていたんですか?
直良うちのおやじ、市議会議員をやったこともあって、わりと政治家系の一族なんです。だから自分がこういった仕事をしているのも多分、そうした堅い仕事からの反動でしょうね。
塩田仕事をつげと言われなかったんですか?
直良長男だから、いまだに田舎に帰ると「選挙に出るの?」とからかわれます。そのたびに「ファイナルなファンタジーな政治をしていいなら」って。そう言うと周りからも「やめて」って感じです。
塩田やってほしいけどな。僕はそれを、まじで。
直良政治には向かないですね。そこは鮄川さんがすごいなと思っていて。行政から助成金を受けて開発拠点を立ち上げたり、市町村ともコラボしてプロジェクトを回されたりしているじゃないですか。ああいうのって、どうやって切り開いていってるんですか。
鮄川単純に人と人との繋がりですよ。県庁所在地の市役所と県庁って、あんまり仲良くないことも多いですけど、松江市と島根県ってがっつりと連携しているんで、やりやすいんです。
直良情報を教えてもらったりとか、人を紹介してもらったりとか?
鮄川そうですね。ちなみに山陰合同銀行(*)からも出資してもらいました。実際に島根県出身で、地元でも事業を興す人って、そんなに多くはないので。だから、気にかけてもらっているところはあります。
(*)島根県松江市に本店を置く、山陰地方で最大規模の地方銀行。
直良確かに。俺も田舎に帰ったら、合銀に勤めてる同級生が来てくれたり。
鮄川実際、個人保証なしでお金貸してくれたのは、合銀が初めてだったんですよ。けっこう嬉しいもんじゃないですか。
塩田それは確かに。起業するときって、法人口座の開設が最初のハードルになりますしね。
次ページ:田舎で育ったことの良さとは
田舎で育ったことの良さとは
――松江市って20万人ぐらいの都市ですよね。近隣を合わせて60万人くらいだと言われましたが、それってカナダのケベック・シティと同じくらいですね。自治体のゲーム産業支援が非常に盛んな地域なんですが、人口が少なくて、周りがみんな知り合いだから、悪いことができないって言っていました。
塩田それは良いですね。でも出雲って、こういうコンセプトでいくんだみたいな物がないですよね。
鮄川たしかに、出雲はなかなか。
塩田みんな仲はいいけど、要は、この市をこういうビジョンで、こういう場所にしていくんだっていう、そういうリーダーシップがないんじゃないかなって思っていて。
鮄川ばらばらですよね。直良さんの会社では地元で採用をされているんですか?
直良まだ弟と2人だけなんです。ただ、弟子を一人採ろうと思っています。自分が高校生の時、絵の道に進みたいなと思っても、誰も教えてくれる人がいませんでした。自分がガキだった時に「こんなのあったら良かったのに」といったことを、少しずつやりながら地元に恩返ししていきたいと思っていて。ちょうど出雲北陵高校に美術コースができたこともあり、そこで講演をさせていただいたり、生徒さんに職場見学に来てもらったりしています。ネットワークはあるので、弟子にいろいろと教えながら、誰かを引き合わせたりもできるでしょうし。
塩田直良さんの弟子は僕もやってみたいぐらいです。一回かばん持ちをしてみたいな。どういう感じでやってんのか。
鮄川田舎で育ってよかったなって思います?
塩田僕は思います。ピュアでいられたのが良かった。
鮄川それありますよね。
塩田みんな自然の中で遊んで育つじゃないですか。東京で子育てとか、すごく難しそうだなと感じていて。こないだ出雲高校で講演させてもらった時、先生がたの中に、おやじの知り合いがいたんです。アカツキで大事にしているビジョンについて話したんですが、講演が終わったあとで、「元規くんは気づいてないかもしれないけど、君の父親も、同じようなことを昔、言っていたんだよ」と聞き、驚きました。
直良そんなドラマが・・・。
塩田その時に、そういった考え方というのが、島根県の出雲市のあの場所で、あの自然の中で育ったことで、自然に育まれたんだなと気づきました。だから自分の子どもも、出雲市かは別として、同じような場所で育てたいなっていう想いがあります。
鮄川自分も同じですね。自分の親はもともと広島県出身なんですよ。島根県立中央病院の医者だったので、自分も出雲で育ったんですが、親が定年になって、広島に戻っちゃったんです。ただ、自分が育ったのは島根じゃないですか。それもあって、開発拠点ができて地元に帰ることが増えました。それが縁で、また繋がりが増えて。
塩田良いですね。
「足るを知る」ユニークな県民性
直良前に町おこし事業の一環として、地元の意識調査をしたことがあるらしくて、結構な人数が現状で満足しているという結果を見たことがあったんですよ。
鮄川地域別の最低賃金でも最低ランク(*1)なんですよね。だけど幸福ランキング(*2)は上位に位置していて。
(*1)地域別最低賃金の全国一覧 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/minimumichiran/
(*2)47都道府県「幸福度」ランキング
https://toyokeizai.net/articles/-/221831?page=3
塩田それ面白い。ブータンみたいですね。
鮄川企業が出す求人の給与水準と、求職者が求める給与水準を比べても、求職者が求めるほうが低かったんです。欲がなさすぎるっていう。
塩田「足るを知る」を身につけているというか。
鮄川逆にいうと、ハングリーさがなさすぎるのかもしれない。
塩田世間の風潮とは逆じゃないですか。今の世の中は競争が是とされている社会ですよね。僕も以前は、そういったハングリーさがない点に歯がゆさを感じていたところもありましたが、それはそれですごいなって思うようになりました。そんな県民性なんだ、島根っ子は。
鮄川最近だと、出雲村田製作所にブラジル人の従業員が300人くらいいるよね。しかも同じエリアに集中してるから、教育現場が混乱していると聞きました。母国語がポルトガル語だから。
直良大みそかに、近所のお寺に鐘つきに行こうと思って歩いてたら、ポルトガル語で、「最近できた24時間のスーパーはどこですか?」と、片言で聞かれましたよ。
鮄川松江市にもRubyで外国人エンジニアが集まっていて。東京より人件費も安くて済むし、落ち着いて開発をしてくれています。東京だと生活に慣れたあたりで、いろんな誘惑もあったりして、途中で転職ってのも多いんですけど。
塩田仕事をするうえで、家族と暮らす時間を増やすのは、やりやすそうですよね。それがビジョンなのかも、出雲市の。幸せ度を上げるというのが。
――外国人労働者といえば、浜松市の例が有名ですが、景気に左右されがちなんですよね。工場労働者がメインだから、景気が悪くなると雇い止めにあったりする。ただ、IT業界だと雇用調整による弊害が少ないかもしれませんね。
鮄川そもそも、全体として人が足りないですから。それにクリエイティブ系だと話は違うかもしれませんが、プログラマーだとプログラミング言語が共有言語だったりします。
直良クリエイティブでも外国人と仕事する機会が増えてきていますよ。特に中国との協業が多いですね。また台湾が顕著ですが、そもそも文化的な親和性が高いので、仕事がすごくしやすい。コミュニケーション面でも、漢字を見てるとなんとなく伝わるところがあるし。だからクリエイティブでも、ボーダーレスになってきてる感じはすごくしますね。
塩田台湾に開発拠点があるので、めちゃくちゃ実感してます。しかも成長スピードがまじで速くないですか? すごいですよね。
直良美大系が充実しているようで、みんな基礎画力がある。日本人って自分もそうなんですが、落書きや趣味から始める人が多いんで、基礎画力が弱いんです。そうした下地があるうえで、会社でも教えてもらえる、日本的なコンテンツにも憧れがある、ネットでも作品を披露できるとなると、たしかに成長速度は早いですね。
――しかも上海の方が東京より人件費が高かったりしますからね。出雲空港(出雲縁結び空港)は国内線のみですが、米子空港(米子鬼太郎空港)にはソウル便と香港便があるので、もっとアジア圏との交流が深まると良いですね。
地方と東京と世界、それぞれの距離感
塩田アジアの玄関と言えば福岡ですよね。アカツキも福岡にオフィスがありますが、福岡はハブ化してますよ。むちゃくちゃアジアの人たちが集まってる。
直良米子市にはデジタルハリウッドSTUDIO米子があるので、どのくらいクリエイティブ系の素養があるのか、今月末に戻ったら、見てこようと思っています。
鮄川デジタルハリウッドはフランチャイズだから、やろうと思ったら開校できると思いますよ。
塩田直良さんに学長をやってもらう。
鮄川直良さんは人柄も良いから。
直良まさに高知県が会社の誘致を始めた(*)じゃないですか。だから何か面白いことができる土壌だとは思うんです。ただ、エンジニアにしてもIターンが中心と伺って、ちょっと考え方を変えないといけないかなとは思いました。
(*)参考ゲームと漫画が地方を盛り上げる!課題先進地”高知県”が取り組む地域振興 https://www.inside-games.jp/article/2018/05/30/115033.html
鮄川いっそ外から人を集めるのでもいいんじゃないかなと思いますけどね。
塩田確かに直良さんの弟子を1人とはいわず、たくさん採るといったら、東京からでもバーっと行くんじゃないかなと思います。実際、アカツキからも送りたいと思いましたもん。
直良まじですか。
――20代後半で、人生で最初の踊り場にさしかかってるような人たちが、1~2年修行をかねて、無給で良いから行かせてくださいという需要は、結構あると思いますけどね。
鮄川しかも生活費安かったら、企業も行かせやすい。
塩田むしろインターン費で出すぐらいの感じで。直良塾を開校してもらって。日本のクリエイティブを高める人、フロム島根みたいな。
鮄川それいいじゃないですか。島根県はまつもとゆきひろさん(*)だけじゃないぞと。
(*)プログラミング言語、Rubyの開発者。松江市在住。
塩田そう。Rubyの次はクリエイティブだって。両方がそろってる県なんてないから。
――地方と東京と海外のバランスをどのように捉えていますか?
鮄川モンスター・ラボだと12カ国21都市に展開しています。自分たちに特徴があれば東京を経由せずに、海外から直接仕事をとってきたり、地方から海外に直接クリエイティブなものを発信していったり、普通にできるかなと。地方企業でも海外に拠点を置くことで、そこから視野が広がることはあると思います。
塩田出雲や地方って、基本、東京見る人が多いですもんね。
――地方だと外国人と出会う機会が少ないという点も、理由の一つにあると思います。
直良実は子どものときから、なぜかおやじの友達でベルギー人がいて、しょっちゅう家に来てたんです。そのため、外国の人に全然抵抗がないんです。
鮄川それは珍しいですね。実際、子どもの頃は外国人を、ほとんど見たことなかったですもんね。
直良世界中どこに行っても絵を描いて見せればわかる、みたいなところもあって、あんまりこだわりがないというか。それこそもう、iPadが1枚あれば、どこでも仕事できちゃうんで。
鮄川そんな風に考えると、地方で月の半分を過ごすという働き方も、もっと増えてもよさそうですよね。特にクリエイティブやエンジニアとか。
直良自分も人に勧めているんです。いいもんですよ。東京って仕事をしにくる場所だという感覚が強いので。それに対して地方は生活する場所というか。いろんなものを感じたり、体験できたりすることが多いから、インアウトの関係ができていいんです。
ただ、鮄川さんの場合は、もっとわけがわからなくなりそうですね。世界中を跳び回られているので。時差ぼけはしないんですか?ちょっと前にボストン行ったときも、とにかく眠くて仕方がなくて。
鮄川ヨーロッパとか西側は大丈夫ですけど、アメリカはきついです。ボストンといえば、すごくIT系やクリエイティブ系で盛り上がっている街の一つですよね。国っていうよりも、今は繁栄の単位が都市単位になっている気がする。
――20世紀は第二次産業が中心でしたから、経済発展には工場が必要でしたが、今は違っていて。特にIOT産業は人が重要ですよね。モントリオールにしろ、バンクーバーにしろ、メルボルンにしろ、ゲーム産業では都市単位で発展しているところがあります。
鮄川ですよね。だから確かに「中海・宍道湖・大山圏域市長会」にしても、わりと筋が良い話で。問題はそこにどんな絵を描くかですよね。構想だったり、戦略だったり、人材の意識改革だったりが求められていく。
塩田さっきのIターンの話じゃないですけど、今や世界中のどこでも働けるわけじゃないですか。だからこそ、何かで突き抜けてブランド化される必要がありますよね。それができれば、世界と繋がれる。
縁結びの街、縁作りの街、出雲
鮄川地元で何か将来したいことってあります?
塩田心躍る街、エンタメシティを作りたいんです。そう遠くない時期にやりたいと思っていて。それが出雲である可能性も、ゼロじゃないのかなとは思っているんですけど。
直良フリーになったとき、ディライトワークス社長の庄司と、徳島の「マチ☆アソビ」というイベントを視察に行ったんです。あの規模でイベントを定期的にやってるのがすごくて、将来的に出雲でやるのもアリかなと思ったんですよね。
塩田おもしろそうですね。
直良そんな風に何かしら「点と点」があるのは分かってきたんで、その先の将来像やビジョンみたいなのが出てくると、もう少しおもしろそうなことできそうな気がして。
――「マチ☆アソビ」のようなイベントが地元にあれば、出ていった人が一時的にでも帰ってくるきっかけになりやすいですよね。
塩田むちゃくちゃあると思います。東京の人たちって、基本的にすごく忙しいじゃないですか。「忙」という字は「心を失くす」と書くわけで。そうした状況をリブートする必要は絶対あるから。どこか地方でイベントがあると、行きたくなりますもんね。それでその街のことを好きになったりする。
鮄川ありますね。
――「NHKのど自慢」が一番盛り上がるのは、人口30万人ぐらいの都市らしいですね。お互いがお互いを知っているから。あそこのあの子が、鐘一つだったみたいな。
塩田それもまた地方都市ならではですよね。
直良自分はまだ、町おこしなんて大それたとこまでは考えられませんが、きっかけにはなれる部分もあるのかも、とは思います。地元に帰ったのも、仕事のモチベーションにつなげたいというところがあるので。逆にお二人の話を聞いていて、ちょっとうらやましいと思っちゃうんです。仕事を通して、そういったことまで表現できるというのが、すごいなと。
塩田直良さんのクリエイティブがあれば大丈夫ですよ。逆にいうと、最強のコンテンツがあるわけだから。結局、最初の火をつけるのが一番大変じゃないですか。それを表現できる能力は唯一無二だから。それを広げるのは、僕らでもできると思う。
直良塾でもつくりますか。
塩田直良塾は是非つくってほしいですね。
直良考えてみますか。古民家かなんかを借りて改造して。いろいろと考えて、また相談に乗っていただくことがあるかもしれません。
塩田ぜひ。相談したいことは僕も山ほどあります。直良さんは本当に、市長をやったらいいんじゃないですか?
直良親戚に市長やってた方がいたので真似できないですよ。
――そんなふうに、知り合いに○×がいるみたいな話が、普通に出てくるところが地方都市のよさですね。
塩田それは確かにそうだと思います。
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誰とやるか、何をやるか、どこでやるか
――個人的には、せっかく出雲大社もありますし、日本中から八百万の神様が集まってくる地域だから、いろんな神様のキャラクターを作ってほしいですね。GDCなどで海外の人と話をしても、なかなかイメージがつかないらしくて。
塩田世界のほとんどの国々は一神教ですからね。
直良一神教と多神教の話もそうですけど、古文書の勉強をしているんです。歴史博物館にも同級生がいるのが分かったので、いろいろ勉強しにいったりして。本当に出雲は縁の国だなあと思います。今年の目標の一つに、出雲出雲の神話をモチーフにした絵を描こうと思ってます。
塩田出雲には世界に誇れる哲学というか、考え方がありますからね。
直良こうやってお会いできるのもそうなんですが、お二人とも、やたら縁が濃くないですか? 地元だけじゃなくて、いろんなところで。
塩田やたら運がいい気はします。守られてるのかな、みたいなのは感じますね。
直良地元で事務所として借りているマンションの大家さんから、飲みたいって誘われたんですよ。話を聞いてみると、仮面ライダーで爆発のCGエフェクトを地元でつけてる人だったんですね。また事務所にコピー機を入れた時に、業者の方がやけに中をきょろきょろしていたんですよ。その人もゲームが好きで、自分のTwitterをフォローしてくれている人だったりして。その人とも今度、飲みに行きましょうって話をして。やたら縁が広がっている感じです。
鮄川縁を大事にしていくと、縁がまた広がっていきますからね。
――アカツキさんは地方のイベントにも、いろいろ協賛されてらっしゃいますよね。
塩田結構してますね。コミュニティ貢献もその一つですしね。先日、決算説明を出したんですけど、その中で営業利益の1パーセントを社会還元するっていうルールを作ったんです。その理由として、アウトドア用品メーカーのパタゴニアという企業が「地球税」という考え方を打ち出しているんですね。株主のためでも社員のためでもなく、地球のために貢献するという姿勢を表明しているんです。
僕らも同じで、人が輝くことにかけてるから、今年から営業利益の1パーセントをそういう目的で使うことにしました。対外的に表明したことで、より加速して進めていくことになると思います。これって、楽しくないですか?
鮄川いいですね。絶対いいと思います。
塩田そうした行動って、会社にとっても返ってくると思っていて。協賛などを通して、輝いてる人と繋がれるじゃないですか。それが一番大事だと思うんです。
鮄川本当に、人を引きつけて、人を採用して、人に残ってもらうのが、すごく難しい時代になってきてるから。そういう会社にならないとって思います。
塩田結局ね、心で経営している会社しか生き残らないと信じているんです。地方開催のイベント協賛もその一環ですね。
以前、面白法人カヤックの柳澤大輔さんと話してて、その通りだなと思ったことがあるんです。『ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の原則』という本に「何をやるかよりも、誰をバスに乗せるかが大切だ」という一節があって。チームを作ってから、その後に目的を決めるという話なんですね。僕はこの考え方がすごく好きなんですけど、柳澤さんと話しながら、今の時代もう一個先があるなと思ったんですよ。「誰とやるか、何をやるか、どこでやるか」だという。
企業って結局は地域コミュニティに依存しているじゃないですか。だから、どういう場所で、どういう空気感で自分たちは仕事してるかについて、場所から考えないと駄目なんだろうなと思っているんです。そのためには仕事をしている場所という垣根を越えて、そこの地域とつながって進めていくのが、一番いいんだろうなあと思います。その意味で市役所や県庁とかとつながるのも、すごく良いことだと思っていて。コミュニティ全体がうまくいかないと、会社もうまくいかないっていうのは、正しいんじゃないかなと。
鮄川同じ海外で開発拠点を作るにしても、既に成熟しているところよりも、発展途上のところの方が、地域の人たちとの熱量が一致しやすいっていうのはありますね。バングラデシュも人の情熱がすごくて、それで進出を決めたところがあるんです。いろいろ論理的に考えて、メリット・デメリットを考えて進出先を決めるというよりも、最後はぐっとくるかという、テンションの有無が大切で。
塩田それ、めちゃくちゃ重要ですよね。
――インターネットで世界につながれるからこそ、場所の重要性が、逆に増しているかもしれませんね。
塩田そうですね。グローバルになればなるほど、ローカルの熱量が逆に効いてくるという話だと思います。
直良昨日もちょうど、飲みながらそんな話をしていたんです。ある人が持つ熱量に対して、どんな風にハブをかませたり、チームをアサインしたりすると、その熱さが最大化されるのかっていう。それも考えてみると面白いかもって話だったんですね。でも、それって最終的には、場所の問題に帰結するんですよね。
一流の人の背中を見せるだけで、人は変われる
――人と場所だと、やはり学校ですね。
塩田学校は重要ですよ。直良塾。
鮄川人と場所、最高じゃないですか。
――お三方とも会社経営を通じて社員を育成されているわけですから、何らかの形で人材教育に関わってらっしゃることになるわけですし。
塩田うちはそうですね。会社って結局、人がすべてなんで。
――出雲から、いい人材を育てて、どんどん世界に排出してもらえれば。
直良確かに、出雲まで来てもらうっていうのは、やっぱり大事ですよね。
塩田人生でどういうチョイスをしてもいいんですけど、可能性があるってことは、若いうちに理解しといたほうがいい。出雲の人も、外に出てもいいし、出なくてもいい。そんな風に制約がないっていうことが重要で、それって自分がやりたいことで、突き抜けれられる時代だということなので、最高に幸せなことじゃないですか。
人材育成でいえば、スキルの話もあるけれど哲学や、自分の内面がどういうふうに成長していくかが、本当は一番重要。それって、売上や利益だけじゃなくて、幸せになるっていうエフェクトの話だと思うんです。それに気づいてもらうことが、教育では本当に大切な気がする。
鮄川ただ、学校の先生だけだと、なかなかそれを伝えるのが難しくて。地元から出たことがない人が大半ですからね。
直良最初にそういった可能性を感じさせてもらったのは、広島東洋カープで投手をつとめた大野豊さんなんです。出雲市出身で、おやじの友達だったんですよ。
――出た、地方ネットワーク。軟式から直接プロ野球に進んだんですよね。
直良子どものとき、巨人ファンだったんですけど、大野さんが里帰りされたときに何回かお会いしたことがあるんです。その後、試合を観戦して、世界の王・張本相手に堂々と渡り合っている姿を観て。出雲市出身でも大丈夫なんだって。そういう可能性を見せてもらいました。
鮄川プロ野球つながりでいえば、落合博満が現役時代に、野球教室か何かのイベントで来たことがあるんです。その頃、自分も中学校で野球をやっていたんですよ。当時の僕らの教わり方って、とにかくボールをたたきつけて、転がせみたいな感じだったんですよね。それに対して落合って、めちゃくちゃアッパースイングだったんですよ。
――はいはい。
鮄川それで誰かが「何でアッパースイングなんですか?」と質問したんですよね。そうしたら「そうじゃないと、ホームランが打てない」って、当たり前の答えが返ってきたんですよ。それを聞いて、今まで習ったことは何だったんだろうって感じたのを良く覚えています。そんな風に、最先端の分野で活躍してる人の姿をちょっと見るだけでも、それまで常識だと思ってたことが、がらっと変わるみたいなことがありますよね。
塩田人間って無意識のうちに、自分の可能性を縛っているんですよね。逆に思考が変わるだけで、無限の可能性を秘めているというか。メジャーリーグだって、野茂・イチローが行って成功したから、続々と挑戦するようになったわけじゃないですか。だから世界一になんていくらでもなれるということを、僕らの話を聞いたり、ゲームを遊んでもらったりして、感じてもらうみたいな還元の仕方はありますよね。
直良やって見せて、それをまねてもらったり、踏み台に使ってもらったりということですよね。講演をして、生徒だけではなく、先生方から喜ばれることも多いですし。自分たちでは伝えられないことを、いろいろと話していただけたって。
塩田起業するにしても、そんな大したことないですし。
鮄川頑張ってたら、道が開けますもんね。選択肢を広げてあげる、思考の枠を外してあげるってのは大事ですよね。
直良基本的にやろうと思ったら、いくらでもできる。世界中で、どこででも働ける。そこで友達が増えていけば、どんどんおもしろいことができそうですね。
塩田最高に可能性にあふれた時代になってきてるので、僕はうれしいです。
――そのうえで今日は、幸福度が高い県民性という話が一番心に残りました。
直良「足るを知る」の話は、本当にすとんと落ちますね。
塩田経済最優先の時代で、1周回っていて、今や違う軸で勝ってる。
鮄川めちゃめちゃいいですね。
――直良塾という話もありましたが、近い将来この鼎談がきっかけで、何か皆さんでコラボが実現するようなことがあれば嬉しいです。
塩田いやもうそれ、やりましょうか。
直良なにかできるといいですね、この三人で。
鮄川ぜひ。
――その時は真っ先に取材させてください。今日はありがとうございました。
どこでも働ける時代に、どこで働くかが重要になってくる。出雲市から世界に飛び出した3人は、まさしくこの言葉の通り、東京だけにとどまらず地域と関わりながら精力的に活動を続けています。直良塾に限らず、“無限の可能性”を秘めた人々を豊かにするコラボレーションが3社の間で生まれ、世界に広がれば。そんな楽しそうな未来を夢見ずにはいられません。
そんなふうに、日本中から八百万の神様が集まる出雲大社を抱える出雲市から、3人のクリエイターが世界に向けて飛び出しました。
くしくも島根県はINSIDE編集長、山崎浩司がイード(*)の開発拠点「松江ブランチ」の立ち上げで、20代をすごした思い出の土地でもあります。
そこで、島根県出雲市出身で日本だけにとどまらず世界で活躍する企業の代表にお集まりいただきざっくばらんな鼎談を実施。鼎談場所も出雲市の食材をふんだんに使った郷土料理を堪能できる「がっしょ出雲」と出雲づくしなロケーションで、故郷と世界の関わり、モノづくりで「ダークサイド」に落ちないための取組、人間の秘めたる無限の可能性まで幅広いお話を伺いました。
(*)INSIDEの運営企業。2015年に島根県松江市に開発拠点を設立。
アカツキ代表取締役CEO 塩田 元規
『八月のシンデレラナイン』などの開発、運営を行うモバイルゲーム事業を展開。ゲームだけでなくリアル体験を提供するライブエクスペリエンス事業も。
IZM designworks代表取締役 直良 有祐
2018年2月に『Fate/Grand Order』の企画・開発・運営を行うディライトワークスのアートデザインを統括するクリエイティブオフィサーに就任。過去にアートディレクターとして『ファイナルファンタジー』シリーズに参加。
モンスター・ラボ代表取締役CEO 鮄川 宏樹
12カ国21都市の拠点を活用したグローバルソーシングによって、モバイルアプリやWebサービスの企画、開発、運用まで幅広く手がける。インターネットBGM「モンスター・チャンネル」、自社ゲームなどの自社プロダクトも展開。
取材場所協力がっしょ出雲 https://goo.gl/wzk7rW
取材・文 小野憲史
企画・構成 山﨑浩司
山高OBの三名、起業のきっかけを語る
――皆さん、同じ島根県出雲市出身で、しかも同じ高校のOBとお聞きしているのですが、どれくらい年齢差があるのでしょうか?
直良有祐氏(以下、直良)自分が今47歳で、山高の40期です。本当は出雲高校っていうんですが、小さな山の上にあるので「山高」と呼ばれています。
鮄川宏樹氏(以下、鮄川)俺が今43歳だから、44期か。塩田君とは9歳違いなんじゃないかな?
塩田元規氏(以下、塩田)そうです。僕、35歳で2000年に卒業なんで。だから51期ですね。
鮄川9歳違うって、すごいよね。まるまる小学校と中学校分だけ違うんだから。
塩田鮄川さんが高校生1年生の時に、小学校に入学したわけですからね。鼎談が始まる前も「席をどうする?」「自分が一番下座だろう」みたいな話をしていました(笑)。
――皆さん、地元を離れて世界的に活躍をされつつ、一方で島根や地方とも繋がりを持つなど、幅広く活躍されていらっしゃいますよね。起業までの経緯を教えていただけますか?
直良高校を卒業後、すぐに東京に出て。
いろいろあって、スクウェア・エニックスに入社しました。そこで『ファイナルファンタジー』シリーズなどのタイトルにかかわった後に、2016年に退職して出雲に帰ったんですね。スクエニには24年くらい在籍したのかな?
――ディライトワークスのクリエイティブオフィサーも兼務されていますよね。
直良実は社長(庄司顕仁氏)がスクエニ時代の後輩なんです。出雲と東京を往復する生活をしているうちに、またゲームを作りたいなあと。「じゃあ一緒にやりましょうか」って声をかけてもらってクリエイティブオフィサーという仕事を兼業でやらせてもらっています。月の半分は東京、もう半分は出雲でのんびりやっていますね。
鮄川自分は高校を出て1年浪人して、神戸大学の理学部数学科に進学しました。自分なりに視野を広げたくて、PWCコンサルティングという外資系のコンサル会社に就職したんです。ちょうど2000年くらいかな。その頃ってインターネットや新しいテクノロジーが海外からガッときていた時期で、このまま大企業相手のコンサルをしていても、時代においていかれると思うようになったんです。それでエンジニアとしてやり直そうと思って、ベンチャー企業に転職しました。
そこで5年間お世話なった後、別のコンサルに転職して、2006年に起業したという流れです。
――起業のきっかけはなんだったんですか?
鮄川3歳年下にバンドをやっている弟がいて、弟も出雲高校出身なんです。そういうのもあって、インディーズで活躍しているアーティストを世に送り出すためのプラットフォームを作りたいなあと。それで起業して「MONSTAR.FM」というサービスを作りました。そこからリアル店舗向けのストリーミングサービス「モンスター・チャンネル」を開始したり、ゲームやアプリ開発をしたりと事業を広げながら、現在に至っています。
塩田自分は高校生の頃から会社を経営するって決めていたんですよね。親戚に経営者が多かったし、おやじが中学1年生の時に他界しているので、自分の人生について早いうちから考えるようになったんですよ。当時はITベンチャーが流行り始めたころで、横浜国立大学の電子情報学科で学生ベンチャーを立ち上げたりしていました。そんな頃に会社や経営についてもっと深く知りたくなって、「ハッピーカンパニープロジェクト」を立ち上げたんです。
そこでは幸せそうな会社の経営者に突撃して、「会社とは何か」「経営にとって一番大切なことは何か」といった具合に、インタビューをする試みをやっていました。そうした取り組みが、いまアカツキが掲げているビジョンに繋がっています。
ちょうど理系の大学院に1年飛び級で入ったんですが、それを辞退して、一橋大学のMBAに入って経営の勉強を2年間やった後、DeNAに入ってモバゲータウンの広告営業などをやりました。
その後、DeNAを離れて起業した時も、自分の好きなことで世界を変えていける分野に挑戦してみたいなと思って。まずはゲーム会社としてスタートして、そこからいろんなエンタテインメントに広げていっている感じです。
もともと『ファイナルファンタジー』シリーズの大ファンだったんで、大学の入試でも「自分の夢は『FF』を越えるゲームを作ることです」といって、面接官から「専門学校に行った方がいい」と言われたくらいで(笑)。今日は直良さんに会えて嬉しいです。
鮄川うちは親が厳しくて、ファミコンとか一切禁止だったんですよね。友達の家で地味にやったりしましたけど。
塩田当時、友達の家に集まってゲームをするって、ありましたよね。
直良うちもファミコン、買ってもらえなかったんです。むしろ高校をサボってゲーセンに行くことが多かったかなあ。だからスクウェアに入るまで、実は『ファイナルファンタジー』をやったことなくて。面接の時も間違えて『ドラゴンクエスト』って言っちゃいました。
塩田当時はまだ、ライバル企業同士でしたからね。
それは普通にアウトですよね(笑)
島根県と海外の意外な結びつきとは?
――島根県って、あまりなじみがない人が多いと思うんです。鳥取県とごっちゃになってる人も多いんじゃないかなと。
直良同じ島根県でも西と東でずいぶん違うんですよね。横に長いから。
鮄川東の方は鳥取県との結びつきも強いんですよ。近年では島根県の出雲市と松江市、鳥取県の境港市・安来市・米子市が中心になって「中海・宍道湖・大山圏域市長会」が設立されて、一緒に盛り上げていこうという感じになっています。そこの5市が集まると人口60万人くらいになって、まあまあの経済規模になるので。
塩田県を越えて地域でまとまるということですね。どんなことをやっているんですか?
鮄川インドのケーララ州と経済提携などを結んでいて、インド人のエンジニアを島根県に連れてくるみたいなことをやってますね。うちも1人採用したんですが。
塩田それはむちゃくちゃよさそう。
鮄川 松江市にアプリの開発拠点を2014年に作ったのも、まだ会社が小さかった頃に塩田さんに紹介されて、松江市の助成金の話を伺ったんですね。
それがきっかけでした。
塩田島根県にはRuby(*)アソシエーションがあって、エンジニアもいるし。助成金の額もハンパない。ただ、人口が少ないので、分母も少ないんですよね。
(*)プログラミング言語のひとつ。島根県松江市にRuby開発者であるまつもとゆきひろ氏が在住しており、Rubyによる地域振興を行っている。
鮄川松江市の開発拠点でいえば、まだエンジニアが10人ぐらい。だけど、全員Iターンなんですよ。しかも、そのうち4人が外国人で、インド人1人とベトナム人が2人、最近キプロスからも1人来て。
塩田もはやキプロスの場所も分からない(笑)
鮄川ケーララ州も田舎なので、意外とみんな東京で働きたいとは限らないんですよね。日本に来たけれど、島根に開発拠点があるなら、そっちで働きたいという人間ばかりでした。
――京都に外国人のインディゲーム開発者が多い理由とも似ていますね。外国人からすれば、京都の方が住みやすいですし、ザ・日本ですしね。
鮄川実際、松江に行ったメンバーはめちゃくちゃ島根ライフをエンジョイしてますよ。外国人も日本人も。
塩田外国人の方は、出雲や松江のどの辺が魅力的だって言ってますか?
鮄川まず自然。あと、Rubyのコミュニティがあるところ。エンジニア同士の横のつながりがあって、勉強会をしたり。うちだと松江城で開発合宿をやったりしていますよ。生活費も安いですしね。
塩田海外の方からすれば、めちゃくちゃびっくりですよね。城で開発できるって。
直良モンスター・ラボってサービスとアイディアと社会貢献がセットになってる感じがして、すごいなあと思ってるんですよね。そこって意識的にやられているんですか?
鮄川営利企業だからまずは利益を出しながら、地域のためにとか、途上国で雇用を生み出したりとか、そういうのはあります。バングラデシュにも開発拠点を作りましたし。
直良なかなかできることじゃないなあと。創業時から考えられていたんですか?
鮄川うちは多様性を生かす仕組みを創ることを経営理念に掲げていて、それとは別に個人をエンパワーしたいなと。それがアーティストだったり、エンジニアだったり、クリエイターだったりするんです。事業領域が変わっても、そこは変わってないですね。
塩田根っこの部分は僕らも近いですね。僕らは感情をキーワードにしてるんですけど、人の心を動かして、その人が自分らしく輝いて、それが世界中に広がっていくっていうイメージ。「感情を報酬に」というキーワードを掲げています。
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モノづくりで「ダークサイド」に落ちないために
直良僕らみたいな現場のクリエイターと違って、お二人とも経営という視点から入られているじゃないですか。普段そういった方々とお話しする機会が無いので、どういうふうに考えてるんだろうって。
――アカツキさんのように、ゲーム業界でそうした理念をちゃんと表に出されているところって、ほとんどないですよね。
鮄川僕もすごい印象に残ってます。はじめてウェブサイト見たときに、かなり理念が打ち出されてたんで。
塩田ゲーム業界って難しいことも多いんですけど、僕らはピュアでいたいと思っているんですね。人間のモチベーションって、そういうところに起因すると思うんですよ。実際、起業って大変だから、何かやめない理由が必要だと思うんですよね。それがビジョンだったりするわけで。
鮄川会社の規模が大きくなっていくと、いろんな人が入ってくるじゃないですか。その時にビジョンを浸透させるみたいなことは、やられていますか?
塩田めちゃくちゃやっています。例えばですけど、毎週、社員の前で「ゲンちゃんズトーク」をしています。というのも、自分の名前が元規だから。そこで、いつも「われわれはなぜ仕事をしてるのか」っていう話をしています。
鮄川全社ミーティングですか?
塩田全社です。毎回全員の前で会社の理念、エンターテイメントの本質みたいなことを話すんです。新入社員や中途社員に対しては、僕が毎回3時間使って、会社の理念と社史を包み隠さず話していますし。3カ月に1回ぐらい、合宿みたいなのもしていますね。
鮄川すごいですね。今は何人ですか?
塩田正社員だとグループ会社も含めて250人くらい。アルバイトや契約社員を全部入れると、海外も含めて900人くらい。
鮄川その人数になってもそれをやってるのは、すごいですね。
塩田一昨日まで台湾オフィスにいたんですよ。そこでもゲンちゃんズトークをしてきたんですけど、向こうもすごく文化が熱いですね。
鮄川かなり時間を費やしていますね。
塩田それで最近、思うんですが、モノづくりをしていると、対象物に深く入りこんでいくじゃないですか。その時に、ダークサイドに転落するフェーズがありそうな気がして。実際、モノを生みだすって、苦しいじゃないですか。
深く入り込むのはいいと思うんですけど、完全にダークサイドには落ちないって、僕は決めたんです。ダークサイドに落ちて、つながりとかわくわくとか心にとって大事なものを失ってしまうのは絶対にやめようと。実際、ゲーム業界には多分ダークサイドに落ちて、すごくつらそうになってる人もいるんじゃないかなと思うんです。直良さん、長くゲーム業界にいらっしゃって、どうなんでしょうか?
直良自分の場合は、絵描きが基礎なんで、頭に絵が浮かんじゃったら、形に出さないと駄目だと思っているんです。じゃあ、いわゆる「神様が降りてくる仕組み」って、どういう感じなのかについて解明しようとしていて、スタッフと共有をはじめています。
塩田アイディアがわいてくる仕組みを可視化してるってことですか。
直良そうです。これまでは自分一人で何となくやってたんですが・・・。
塩田そのマニュアルを見たい。
直良そんなに難しいことはしていないです。「ひらめき型」と「積み上げ型」があるんですが、同じアプローチでゴールに到達する方がみんな幸せになるだろうと思って。それは「闇落ち」をしないためでもあります。そんなふうに方法論が確立していると、コンセプトがしっかりするし、迷ったときもコンセプトに戻れば良いから、闇に落ちなくてすむ。
塩田なるほど。
直良ただ、こういうノウハウって属人的になりやすいし、共有されにくいんですよね。その辺をできるだけ可視化していくと、チームとしての力が増していくんじゃないかと今朝も午前2時半くらいまでプロデューサーと飲みながら話し込んでいて。もっと可視化して、何社かで共有して、仲良くしていこうみたいなことを話していました。
塩田それ、僕も混ぜてください!アカツキでも是非やりたい。アートの領域って、ロジックで落としきれないある種の天才性みたいなものがあるような気がしていて。
直良もちろん人それぞれの強みは当然あると思います。ただ、もうAIが絵を描く時代になってきちゃったから。人間の強みって、最終的にはアイディアや、魂の部分になると思っていて。逆にそれ以外のところは共有できると思うんです。実際、自分たちの仕事が奪われそうな感じもしますよね。
地方都市ならではの人的ネットワーク
塩田そういう危機感があるんですね。
直良何年か前から、絵描きは不要になるんじゃないかって恐怖感があって。AIがそのうち絵を描くようになるだろう、アイディアも出すようになるだろう、と。
鮄川最後まで残りそうな気もしますけどね。
塩田そうですね、それが結局、ロジックから遠そうだから。
直良そんな時代になっても残るものって、結局は感情や衝動、何かエモーショナルなものだと思っていて。実際、今年のマイテーマは「衝動」なんです。
塩田衝動か~。直良さんのアートスタイルは、どの辺で確立されたんですか?
直良わりと早いうちですね。もともと絵がそんなに得意じゃなかったんです。
塩田出雲高校、普通高校ですからね。どういう経緯で絵の道に進まれたのか、気になって。
直良ルーツは授業中の落書きなんです。教科書の隅でパラパラ漫画を描いたり、偉人の絵にラクガキしてみたり。
塩田かなりのキャリアチェンジですよね。
直良ゲームも遊んでいたし、絵を描くのも好きだったんで、両方できるのはゲーム開発の仕事くらいかなと・・・。けっこう安直だったんですよ。ただ、他にも山高出身がスクウェア・エニックスにもいましたよ。
鮄川僕も同級生で漫画家になっている友達がいますよ。ドラマにもなった『クロコーチ』を手がけたコウノコウジくんで、この店で再会しました。けっこう締切がつらそうでしたね。
塩田やっぱり、そうなんすね。お二人とも出雲高校卒業生としては、かなりレアですよね。
直良そういう奴らって、やっぱりすぐ出雲から出ちゃうんですよね。
鮄川就職先がないんですよね。直良さんのお父さんはどういうことされていたんですか?
直良うちのおやじ、市議会議員をやったこともあって、わりと政治家系の一族なんです。だから自分がこういった仕事をしているのも多分、そうした堅い仕事からの反動でしょうね。
塩田仕事をつげと言われなかったんですか?
直良長男だから、いまだに田舎に帰ると「選挙に出るの?」とからかわれます。そのたびに「ファイナルなファンタジーな政治をしていいなら」って。そう言うと周りからも「やめて」って感じです。
塩田やってほしいけどな。僕はそれを、まじで。
直良政治には向かないですね。そこは鮄川さんがすごいなと思っていて。行政から助成金を受けて開発拠点を立ち上げたり、市町村ともコラボしてプロジェクトを回されたりしているじゃないですか。ああいうのって、どうやって切り開いていってるんですか。
鮄川単純に人と人との繋がりですよ。県庁所在地の市役所と県庁って、あんまり仲良くないことも多いですけど、松江市と島根県ってがっつりと連携しているんで、やりやすいんです。
直良情報を教えてもらったりとか、人を紹介してもらったりとか?
鮄川そうですね。ちなみに山陰合同銀行(*)からも出資してもらいました。実際に島根県出身で、地元でも事業を興す人って、そんなに多くはないので。だから、気にかけてもらっているところはあります。
(*)島根県松江市に本店を置く、山陰地方で最大規模の地方銀行。
直良確かに。俺も田舎に帰ったら、合銀に勤めてる同級生が来てくれたり。
鮄川実際、個人保証なしでお金貸してくれたのは、合銀が初めてだったんですよ。けっこう嬉しいもんじゃないですか。
塩田それは確かに。起業するときって、法人口座の開設が最初のハードルになりますしね。
次ページ:田舎で育ったことの良さとは
田舎で育ったことの良さとは
――松江市って20万人ぐらいの都市ですよね。近隣を合わせて60万人くらいだと言われましたが、それってカナダのケベック・シティと同じくらいですね。自治体のゲーム産業支援が非常に盛んな地域なんですが、人口が少なくて、周りがみんな知り合いだから、悪いことができないって言っていました。
塩田それは良いですね。でも出雲って、こういうコンセプトでいくんだみたいな物がないですよね。
鮄川たしかに、出雲はなかなか。
塩田みんな仲はいいけど、要は、この市をこういうビジョンで、こういう場所にしていくんだっていう、そういうリーダーシップがないんじゃないかなって思っていて。
鮄川ばらばらですよね。直良さんの会社では地元で採用をされているんですか?
直良まだ弟と2人だけなんです。ただ、弟子を一人採ろうと思っています。自分が高校生の時、絵の道に進みたいなと思っても、誰も教えてくれる人がいませんでした。自分がガキだった時に「こんなのあったら良かったのに」といったことを、少しずつやりながら地元に恩返ししていきたいと思っていて。ちょうど出雲北陵高校に美術コースができたこともあり、そこで講演をさせていただいたり、生徒さんに職場見学に来てもらったりしています。ネットワークはあるので、弟子にいろいろと教えながら、誰かを引き合わせたりもできるでしょうし。
塩田直良さんの弟子は僕もやってみたいぐらいです。一回かばん持ちをしてみたいな。どういう感じでやってんのか。
鮄川田舎で育ってよかったなって思います?
塩田僕は思います。ピュアでいられたのが良かった。
鮄川それありますよね。
塩田みんな自然の中で遊んで育つじゃないですか。東京で子育てとか、すごく難しそうだなと感じていて。こないだ出雲高校で講演させてもらった時、先生がたの中に、おやじの知り合いがいたんです。アカツキで大事にしているビジョンについて話したんですが、講演が終わったあとで、「元規くんは気づいてないかもしれないけど、君の父親も、同じようなことを昔、言っていたんだよ」と聞き、驚きました。
直良そんなドラマが・・・。
塩田その時に、そういった考え方というのが、島根県の出雲市のあの場所で、あの自然の中で育ったことで、自然に育まれたんだなと気づきました。だから自分の子どもも、出雲市かは別として、同じような場所で育てたいなっていう想いがあります。
鮄川自分も同じですね。自分の親はもともと広島県出身なんですよ。島根県立中央病院の医者だったので、自分も出雲で育ったんですが、親が定年になって、広島に戻っちゃったんです。ただ、自分が育ったのは島根じゃないですか。それもあって、開発拠点ができて地元に帰ることが増えました。それが縁で、また繋がりが増えて。
塩田良いですね。
「足るを知る」ユニークな県民性
直良前に町おこし事業の一環として、地元の意識調査をしたことがあるらしくて、結構な人数が現状で満足しているという結果を見たことがあったんですよ。
鮄川地域別の最低賃金でも最低ランク(*1)なんですよね。だけど幸福ランキング(*2)は上位に位置していて。
(*1)地域別最低賃金の全国一覧 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/koyou_roudou/roudoukijun/minimumichiran/
(*2)47都道府県「幸福度」ランキング
https://toyokeizai.net/articles/-/221831?page=3
塩田それ面白い。ブータンみたいですね。
鮄川企業が出す求人の給与水準と、求職者が求める給与水準を比べても、求職者が求めるほうが低かったんです。欲がなさすぎるっていう。
塩田「足るを知る」を身につけているというか。
鮄川逆にいうと、ハングリーさがなさすぎるのかもしれない。
塩田世間の風潮とは逆じゃないですか。今の世の中は競争が是とされている社会ですよね。僕も以前は、そういったハングリーさがない点に歯がゆさを感じていたところもありましたが、それはそれですごいなって思うようになりました。そんな県民性なんだ、島根っ子は。
鮄川最近だと、出雲村田製作所にブラジル人の従業員が300人くらいいるよね。しかも同じエリアに集中してるから、教育現場が混乱していると聞きました。母国語がポルトガル語だから。
直良大みそかに、近所のお寺に鐘つきに行こうと思って歩いてたら、ポルトガル語で、「最近できた24時間のスーパーはどこですか?」と、片言で聞かれましたよ。
鮄川松江市にもRubyで外国人エンジニアが集まっていて。東京より人件費も安くて済むし、落ち着いて開発をしてくれています。東京だと生活に慣れたあたりで、いろんな誘惑もあったりして、途中で転職ってのも多いんですけど。
塩田仕事をするうえで、家族と暮らす時間を増やすのは、やりやすそうですよね。それがビジョンなのかも、出雲市の。幸せ度を上げるというのが。
――外国人労働者といえば、浜松市の例が有名ですが、景気に左右されがちなんですよね。工場労働者がメインだから、景気が悪くなると雇い止めにあったりする。ただ、IT業界だと雇用調整による弊害が少ないかもしれませんね。
鮄川そもそも、全体として人が足りないですから。それにクリエイティブ系だと話は違うかもしれませんが、プログラマーだとプログラミング言語が共有言語だったりします。
直良クリエイティブでも外国人と仕事する機会が増えてきていますよ。特に中国との協業が多いですね。また台湾が顕著ですが、そもそも文化的な親和性が高いので、仕事がすごくしやすい。コミュニケーション面でも、漢字を見てるとなんとなく伝わるところがあるし。だからクリエイティブでも、ボーダーレスになってきてる感じはすごくしますね。
塩田台湾に開発拠点があるので、めちゃくちゃ実感してます。しかも成長スピードがまじで速くないですか? すごいですよね。
直良美大系が充実しているようで、みんな基礎画力がある。日本人って自分もそうなんですが、落書きや趣味から始める人が多いんで、基礎画力が弱いんです。そうした下地があるうえで、会社でも教えてもらえる、日本的なコンテンツにも憧れがある、ネットでも作品を披露できるとなると、たしかに成長速度は早いですね。
――しかも上海の方が東京より人件費が高かったりしますからね。出雲空港(出雲縁結び空港)は国内線のみですが、米子空港(米子鬼太郎空港)にはソウル便と香港便があるので、もっとアジア圏との交流が深まると良いですね。
地方と東京と世界、それぞれの距離感
塩田アジアの玄関と言えば福岡ですよね。アカツキも福岡にオフィスがありますが、福岡はハブ化してますよ。むちゃくちゃアジアの人たちが集まってる。
直良米子市にはデジタルハリウッドSTUDIO米子があるので、どのくらいクリエイティブ系の素養があるのか、今月末に戻ったら、見てこようと思っています。
鮄川デジタルハリウッドはフランチャイズだから、やろうと思ったら開校できると思いますよ。
塩田直良さんに学長をやってもらう。
鮄川直良さんは人柄も良いから。
直良まさに高知県が会社の誘致を始めた(*)じゃないですか。だから何か面白いことができる土壌だとは思うんです。ただ、エンジニアにしてもIターンが中心と伺って、ちょっと考え方を変えないといけないかなとは思いました。
(*)参考ゲームと漫画が地方を盛り上げる!課題先進地”高知県”が取り組む地域振興 https://www.inside-games.jp/article/2018/05/30/115033.html
鮄川いっそ外から人を集めるのでもいいんじゃないかなと思いますけどね。
塩田確かに直良さんの弟子を1人とはいわず、たくさん採るといったら、東京からでもバーっと行くんじゃないかなと思います。実際、アカツキからも送りたいと思いましたもん。
直良まじですか。
――20代後半で、人生で最初の踊り場にさしかかってるような人たちが、1~2年修行をかねて、無給で良いから行かせてくださいという需要は、結構あると思いますけどね。
鮄川しかも生活費安かったら、企業も行かせやすい。
塩田むしろインターン費で出すぐらいの感じで。直良塾を開校してもらって。日本のクリエイティブを高める人、フロム島根みたいな。
鮄川それいいじゃないですか。島根県はまつもとゆきひろさん(*)だけじゃないぞと。
(*)プログラミング言語、Rubyの開発者。松江市在住。
塩田そう。Rubyの次はクリエイティブだって。両方がそろってる県なんてないから。
――地方と東京と海外のバランスをどのように捉えていますか?
鮄川モンスター・ラボだと12カ国21都市に展開しています。自分たちに特徴があれば東京を経由せずに、海外から直接仕事をとってきたり、地方から海外に直接クリエイティブなものを発信していったり、普通にできるかなと。地方企業でも海外に拠点を置くことで、そこから視野が広がることはあると思います。
塩田出雲や地方って、基本、東京見る人が多いですもんね。
――地方だと外国人と出会う機会が少ないという点も、理由の一つにあると思います。
直良実は子どものときから、なぜかおやじの友達でベルギー人がいて、しょっちゅう家に来てたんです。そのため、外国の人に全然抵抗がないんです。
鮄川それは珍しいですね。実際、子どもの頃は外国人を、ほとんど見たことなかったですもんね。
直良世界中どこに行っても絵を描いて見せればわかる、みたいなところもあって、あんまりこだわりがないというか。それこそもう、iPadが1枚あれば、どこでも仕事できちゃうんで。
鮄川そんな風に考えると、地方で月の半分を過ごすという働き方も、もっと増えてもよさそうですよね。特にクリエイティブやエンジニアとか。
直良自分も人に勧めているんです。いいもんですよ。東京って仕事をしにくる場所だという感覚が強いので。それに対して地方は生活する場所というか。いろんなものを感じたり、体験できたりすることが多いから、インアウトの関係ができていいんです。
ただ、鮄川さんの場合は、もっとわけがわからなくなりそうですね。世界中を跳び回られているので。時差ぼけはしないんですか?ちょっと前にボストン行ったときも、とにかく眠くて仕方がなくて。
鮄川ヨーロッパとか西側は大丈夫ですけど、アメリカはきついです。ボストンといえば、すごくIT系やクリエイティブ系で盛り上がっている街の一つですよね。国っていうよりも、今は繁栄の単位が都市単位になっている気がする。
――20世紀は第二次産業が中心でしたから、経済発展には工場が必要でしたが、今は違っていて。特にIOT産業は人が重要ですよね。モントリオールにしろ、バンクーバーにしろ、メルボルンにしろ、ゲーム産業では都市単位で発展しているところがあります。
鮄川ですよね。だから確かに「中海・宍道湖・大山圏域市長会」にしても、わりと筋が良い話で。問題はそこにどんな絵を描くかですよね。構想だったり、戦略だったり、人材の意識改革だったりが求められていく。
塩田さっきのIターンの話じゃないですけど、今や世界中のどこでも働けるわけじゃないですか。だからこそ、何かで突き抜けてブランド化される必要がありますよね。それができれば、世界と繋がれる。
縁結びの街、縁作りの街、出雲
鮄川地元で何か将来したいことってあります?
塩田心躍る街、エンタメシティを作りたいんです。そう遠くない時期にやりたいと思っていて。それが出雲である可能性も、ゼロじゃないのかなとは思っているんですけど。
直良フリーになったとき、ディライトワークス社長の庄司と、徳島の「マチ☆アソビ」というイベントを視察に行ったんです。あの規模でイベントを定期的にやってるのがすごくて、将来的に出雲でやるのもアリかなと思ったんですよね。
塩田おもしろそうですね。
直良そんな風に何かしら「点と点」があるのは分かってきたんで、その先の将来像やビジョンみたいなのが出てくると、もう少しおもしろそうなことできそうな気がして。
――「マチ☆アソビ」のようなイベントが地元にあれば、出ていった人が一時的にでも帰ってくるきっかけになりやすいですよね。
塩田むちゃくちゃあると思います。東京の人たちって、基本的にすごく忙しいじゃないですか。「忙」という字は「心を失くす」と書くわけで。そうした状況をリブートする必要は絶対あるから。どこか地方でイベントがあると、行きたくなりますもんね。それでその街のことを好きになったりする。
鮄川ありますね。
――「NHKのど自慢」が一番盛り上がるのは、人口30万人ぐらいの都市らしいですね。お互いがお互いを知っているから。あそこのあの子が、鐘一つだったみたいな。
塩田それもまた地方都市ならではですよね。
直良自分はまだ、町おこしなんて大それたとこまでは考えられませんが、きっかけにはなれる部分もあるのかも、とは思います。地元に帰ったのも、仕事のモチベーションにつなげたいというところがあるので。逆にお二人の話を聞いていて、ちょっとうらやましいと思っちゃうんです。仕事を通して、そういったことまで表現できるというのが、すごいなと。
塩田直良さんのクリエイティブがあれば大丈夫ですよ。逆にいうと、最強のコンテンツがあるわけだから。結局、最初の火をつけるのが一番大変じゃないですか。それを表現できる能力は唯一無二だから。それを広げるのは、僕らでもできると思う。
直良塾でもつくりますか。
塩田直良塾は是非つくってほしいですね。
直良考えてみますか。古民家かなんかを借りて改造して。いろいろと考えて、また相談に乗っていただくことがあるかもしれません。
塩田ぜひ。相談したいことは僕も山ほどあります。直良さんは本当に、市長をやったらいいんじゃないですか?
直良親戚に市長やってた方がいたので真似できないですよ。
――そんなふうに、知り合いに○×がいるみたいな話が、普通に出てくるところが地方都市のよさですね。
塩田それは確かにそうだと思います。
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誰とやるか、何をやるか、どこでやるか
――個人的には、せっかく出雲大社もありますし、日本中から八百万の神様が集まってくる地域だから、いろんな神様のキャラクターを作ってほしいですね。GDCなどで海外の人と話をしても、なかなかイメージがつかないらしくて。
塩田世界のほとんどの国々は一神教ですからね。
直良一神教と多神教の話もそうですけど、古文書の勉強をしているんです。歴史博物館にも同級生がいるのが分かったので、いろいろ勉強しにいったりして。本当に出雲は縁の国だなあと思います。今年の目標の一つに、出雲出雲の神話をモチーフにした絵を描こうと思ってます。
塩田出雲には世界に誇れる哲学というか、考え方がありますからね。
直良こうやってお会いできるのもそうなんですが、お二人とも、やたら縁が濃くないですか? 地元だけじゃなくて、いろんなところで。
塩田やたら運がいい気はします。守られてるのかな、みたいなのは感じますね。
直良地元で事務所として借りているマンションの大家さんから、飲みたいって誘われたんですよ。話を聞いてみると、仮面ライダーで爆発のCGエフェクトを地元でつけてる人だったんですね。また事務所にコピー機を入れた時に、業者の方がやけに中をきょろきょろしていたんですよ。その人もゲームが好きで、自分のTwitterをフォローしてくれている人だったりして。その人とも今度、飲みに行きましょうって話をして。やたら縁が広がっている感じです。
鮄川縁を大事にしていくと、縁がまた広がっていきますからね。
――アカツキさんは地方のイベントにも、いろいろ協賛されてらっしゃいますよね。
塩田結構してますね。コミュニティ貢献もその一つですしね。先日、決算説明を出したんですけど、その中で営業利益の1パーセントを社会還元するっていうルールを作ったんです。その理由として、アウトドア用品メーカーのパタゴニアという企業が「地球税」という考え方を打ち出しているんですね。株主のためでも社員のためでもなく、地球のために貢献するという姿勢を表明しているんです。
僕らも同じで、人が輝くことにかけてるから、今年から営業利益の1パーセントをそういう目的で使うことにしました。対外的に表明したことで、より加速して進めていくことになると思います。これって、楽しくないですか?
鮄川いいですね。絶対いいと思います。
塩田そうした行動って、会社にとっても返ってくると思っていて。協賛などを通して、輝いてる人と繋がれるじゃないですか。それが一番大事だと思うんです。
鮄川本当に、人を引きつけて、人を採用して、人に残ってもらうのが、すごく難しい時代になってきてるから。そういう会社にならないとって思います。
塩田結局ね、心で経営している会社しか生き残らないと信じているんです。地方開催のイベント協賛もその一環ですね。
以前、面白法人カヤックの柳澤大輔さんと話してて、その通りだなと思ったことがあるんです。『ビジョナリーカンパニー 時代を超える生存の原則』という本に「何をやるかよりも、誰をバスに乗せるかが大切だ」という一節があって。チームを作ってから、その後に目的を決めるという話なんですね。僕はこの考え方がすごく好きなんですけど、柳澤さんと話しながら、今の時代もう一個先があるなと思ったんですよ。「誰とやるか、何をやるか、どこでやるか」だという。
企業って結局は地域コミュニティに依存しているじゃないですか。だから、どういう場所で、どういう空気感で自分たちは仕事してるかについて、場所から考えないと駄目なんだろうなと思っているんです。そのためには仕事をしている場所という垣根を越えて、そこの地域とつながって進めていくのが、一番いいんだろうなあと思います。その意味で市役所や県庁とかとつながるのも、すごく良いことだと思っていて。コミュニティ全体がうまくいかないと、会社もうまくいかないっていうのは、正しいんじゃないかなと。
鮄川同じ海外で開発拠点を作るにしても、既に成熟しているところよりも、発展途上のところの方が、地域の人たちとの熱量が一致しやすいっていうのはありますね。バングラデシュも人の情熱がすごくて、それで進出を決めたところがあるんです。いろいろ論理的に考えて、メリット・デメリットを考えて進出先を決めるというよりも、最後はぐっとくるかという、テンションの有無が大切で。
塩田それ、めちゃくちゃ重要ですよね。
――インターネットで世界につながれるからこそ、場所の重要性が、逆に増しているかもしれませんね。
塩田そうですね。グローバルになればなるほど、ローカルの熱量が逆に効いてくるという話だと思います。
直良昨日もちょうど、飲みながらそんな話をしていたんです。ある人が持つ熱量に対して、どんな風にハブをかませたり、チームをアサインしたりすると、その熱さが最大化されるのかっていう。それも考えてみると面白いかもって話だったんですね。でも、それって最終的には、場所の問題に帰結するんですよね。
一流の人の背中を見せるだけで、人は変われる
――人と場所だと、やはり学校ですね。
塩田学校は重要ですよ。直良塾。
鮄川人と場所、最高じゃないですか。
――お三方とも会社経営を通じて社員を育成されているわけですから、何らかの形で人材教育に関わってらっしゃることになるわけですし。
塩田うちはそうですね。会社って結局、人がすべてなんで。
――出雲から、いい人材を育てて、どんどん世界に排出してもらえれば。
直良確かに、出雲まで来てもらうっていうのは、やっぱり大事ですよね。
塩田人生でどういうチョイスをしてもいいんですけど、可能性があるってことは、若いうちに理解しといたほうがいい。出雲の人も、外に出てもいいし、出なくてもいい。そんな風に制約がないっていうことが重要で、それって自分がやりたいことで、突き抜けれられる時代だということなので、最高に幸せなことじゃないですか。
人材育成でいえば、スキルの話もあるけれど哲学や、自分の内面がどういうふうに成長していくかが、本当は一番重要。それって、売上や利益だけじゃなくて、幸せになるっていうエフェクトの話だと思うんです。それに気づいてもらうことが、教育では本当に大切な気がする。
鮄川ただ、学校の先生だけだと、なかなかそれを伝えるのが難しくて。地元から出たことがない人が大半ですからね。
直良最初にそういった可能性を感じさせてもらったのは、広島東洋カープで投手をつとめた大野豊さんなんです。出雲市出身で、おやじの友達だったんですよ。
――出た、地方ネットワーク。軟式から直接プロ野球に進んだんですよね。
直良子どものとき、巨人ファンだったんですけど、大野さんが里帰りされたときに何回かお会いしたことがあるんです。その後、試合を観戦して、世界の王・張本相手に堂々と渡り合っている姿を観て。出雲市出身でも大丈夫なんだって。そういう可能性を見せてもらいました。
鮄川プロ野球つながりでいえば、落合博満が現役時代に、野球教室か何かのイベントで来たことがあるんです。その頃、自分も中学校で野球をやっていたんですよ。当時の僕らの教わり方って、とにかくボールをたたきつけて、転がせみたいな感じだったんですよね。それに対して落合って、めちゃくちゃアッパースイングだったんですよ。
――はいはい。
鮄川それで誰かが「何でアッパースイングなんですか?」と質問したんですよね。そうしたら「そうじゃないと、ホームランが打てない」って、当たり前の答えが返ってきたんですよ。それを聞いて、今まで習ったことは何だったんだろうって感じたのを良く覚えています。そんな風に、最先端の分野で活躍してる人の姿をちょっと見るだけでも、それまで常識だと思ってたことが、がらっと変わるみたいなことがありますよね。
塩田人間って無意識のうちに、自分の可能性を縛っているんですよね。逆に思考が変わるだけで、無限の可能性を秘めているというか。メジャーリーグだって、野茂・イチローが行って成功したから、続々と挑戦するようになったわけじゃないですか。だから世界一になんていくらでもなれるということを、僕らの話を聞いたり、ゲームを遊んでもらったりして、感じてもらうみたいな還元の仕方はありますよね。
直良やって見せて、それをまねてもらったり、踏み台に使ってもらったりということですよね。講演をして、生徒だけではなく、先生方から喜ばれることも多いですし。自分たちでは伝えられないことを、いろいろと話していただけたって。
塩田起業するにしても、そんな大したことないですし。
鮄川頑張ってたら、道が開けますもんね。選択肢を広げてあげる、思考の枠を外してあげるってのは大事ですよね。
直良基本的にやろうと思ったら、いくらでもできる。世界中で、どこででも働ける。そこで友達が増えていけば、どんどんおもしろいことができそうですね。
塩田最高に可能性にあふれた時代になってきてるので、僕はうれしいです。
――そのうえで今日は、幸福度が高い県民性という話が一番心に残りました。
直良「足るを知る」の話は、本当にすとんと落ちますね。
塩田経済最優先の時代で、1周回っていて、今や違う軸で勝ってる。
鮄川めちゃめちゃいいですね。
――直良塾という話もありましたが、近い将来この鼎談がきっかけで、何か皆さんでコラボが実現するようなことがあれば嬉しいです。
塩田いやもうそれ、やりましょうか。
直良なにかできるといいですね、この三人で。
鮄川ぜひ。
――その時は真っ先に取材させてください。今日はありがとうございました。
どこでも働ける時代に、どこで働くかが重要になってくる。出雲市から世界に飛び出した3人は、まさしくこの言葉の通り、東京だけにとどまらず地域と関わりながら精力的に活動を続けています。直良塾に限らず、“無限の可能性”を秘めた人々を豊かにするコラボレーションが3社の間で生まれ、世界に広がれば。そんな楽しそうな未来を夢見ずにはいられません。
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