今回の『ゲーム19XX~20XX』は、この『スーパーマリオメーカー2』にちなんで、元祖『スーパーマリオブラザーズ』が一大旋風を巻き起こした、1985年のゲームを紹介していきます。
※1:任天堂2020年第3月期の第1四半期決算参考資料より
※2:2019年7月10日の公式Twitterアカウントより
この年は8月12日に起きた日航ジャンボ機墜落事故が世の中を揺るがしました。乗員乗客524名を乗せた日本航空123便が群馬県御巣鷹山に墜落。歌手の坂本九さん、中埜肇阪神球団社長らを含む520人が死亡する日本航空機史上最悪の惨事となりました。
阪神タイガースの優勝も1985年を語る上で欠かせません。長年優勝から見放されていた阪神でしたが、この年はバース、掛布、岡田らを擁する猛虎打線が爆発。21年ぶりにセ・リーグを制覇し、日本シリーズでも西武ライオンズを破って日本一となりました。この阪神の躍進に関西ではトラ・フィーバーが巻き起こり、道頓堀に飛び込むファンが続出。以降、この道頓堀へのダイブはお祭り騒ぎが起きたときの恒例イベントとなりました。
音楽シーンではチェッカーズの『ジュリアに傷心』、C-C-Bの『Romanticが止まらない』、中森明菜の『ミ・アモーレ』などがヒット。映画では幽霊退治会社の男たちの奮闘を描いたSFコメディ『ゴーストバスターズ』(公開は1984年)、シルベスター・スタローン主演のアクション大作の続編『ランボー 怒りの脱出』、黒澤明監督の『乱』などが人気を博しました。マンガでは吉田秋生の『BANANA FISH』、北条司の『シティーハンター』が、この年から連載開始。
それでは、1985年に発売された珠玉のゲームたちを紹介していきましょう。
スーパーマリオブラザーズ
発売日:1985年9月13日
機種:ファミリーコンピュータ
販売元:任天堂
言わずと知れたゲーム史上屈指の傑作です。ジャンプやダッシュといったアクションを駆使して、敵を倒しながらひたすら右へと進んでいく。雲が浮かぶ青空の下を進むカラフルな地上ステージや背景が黒一色のちょっと不気味な地下ステージ、水の中を泳ぎながら進む水中ステージなど、全8ワールド32ステージからなるゲーム世界は変化に満ちており、多くのプレイヤーが引き込まれました。
マリオのパワーアップやさまざまな隠し要素も大きな魅力になっていました。スーパーキノコで巨大化し、ファイアフラワーでファイアマリオに変身。星形のアイテム・スターを取ったら無敵になって敵を蹴散らす。さらに、マリオの残り人数が増える1UPキノコや、コースをショートカットしたり別のワールドに移動したりできるワープゾーンなどなど、これほど豊富かつ多彩な隠し要素を持つゲームはそれまでほとんどありませんでした。
そうした隠し要素や裏技の中で、特に有名なのが無限増殖です。階段を降りて来るノコノコをひたすら踏み続けることでマリオの残り人数を限界まで増やせるというもので、多くの人が一度は目にしたことがあるでしょう。今ではシリーズの定番テクニックになっていますが、本作の無限増殖は正真正銘のバグを利用した裏技だっただけに当時のプレイヤーたちは狂喜したものです。
かくして『スーパーマリオ』は国内のみならず、海外でも爆発的ヒットを記録。攻略本もベストセラーになるなど社会現象を巻き起こすと同時に、ファミリーコンピュータの人気を不動のものとしました。さらに、1993年にスーパーファミコン向けに発売された『スーパーマリオコレクション』(任天堂)や2004年にファミコンミニの第一弾として発売されたゲームボーイアドバンス版など他機種でのリメイク作もスマッシュヒット。国内累計出荷本数681万本、世界では累計4024万本(※3)というとてつもない記録を打ち立てました。すべてがケタ違いで、ゲームの枠を超え、人類の歴史にその名を刻む不朽の名作です。
※3:一般社団法人コンピュータエンタテインメント協会発行の『2018CESAゲーム白書』より
スペースハリアー
発売日:1985年12月
機種:アーケード
販売元:セガ(現セガ・インタラクティブ)
鈴木裕氏率いるセガのAM2研が生み出した体感型3Dシューティングゲームです。この年の7月にAM2研はアーケード向けの体感型バイクゲーム『ハングオン』をリリース。真っ赤なオートバイ型の筐体にまたがってプレイするというもので、マシンを左右に傾けてコーナーを曲がっていくという、本物のバイクさながらの操作が受け、大人気となりました。
この『ハングオン』のヒットを受け、鈴木氏とAM2研が次に送り出したのが『スペースハリアー』です。超能力戦士ハリアーとなって、眼前に迫りくる敵をランチャーで撃ち落としていくというもので、3Dテイストのスピーディーかつスタイリッシュな映像に当時のゲームファンは度肝を抜かれました。
さらにプレイヤーを楽しませたのが、操縦桿での操作に合わせて前後左右に稼働する体感型の筐体です。この筐体の動きがなかなか激しく、画面のスピード感も相まって極めつけの臨場感を生み出していました。
グラディウス
発売日:1985年5月
機種:アーケード
販売元:コナミ(現コナミデジタルエンタテインメント)
横スクロールシューティングというジャンルを代表する名作です。特に革命的だったのが、自機のパワーアップシステムです。特定の敵を倒すと出現する赤いカプセルを入手すると、画面下のパワーアップゲージが点灯。入手したカプセルの数に応じて、自機をスピードアップしたり、強力なレーザーを発射できるようにしたり、自機と同じ攻撃を繰り出すオプションを追加したりすることができます。パワーアップを重ねた機体でのプレイは爽快感抜群で、これが本作の最大の魅力になっていました。
特徴的なステージの数々も見どころのひとつです。上下にスクロールできたり、無数のモアイ像が攻撃してきたり、触手の付いた細胞のような姿をした敵が出現したりと、個性的なステージ構成や仕掛けの数々は秀逸のひとこと。最後に待ち受けるボスが巨大な脳みそというのもSF的で、当時のプレイヤーに強い印象を残しました。
多彩なBGMもゲームの演出に一役買っていたと言えるでしょう。気分を盛り上げてくれる軽快かつポップなサウンドや緊張感をあおる不気味なサウンドなど、本作のBGMはどれも非常にキャッチーで、今も記憶しているという人はけっこういるのではないでしょうか。
三國志
発売日:1985年12月
機種:パソコン
販売元:光栄(現コーエーテクモゲームス)
中国の古典「三国志演義」を題材にした戦略シミュレーションの記念すべきシリーズ第1作目です。開発を手がけたのはシブサワ・コウ氏で、やはり同氏が生み出した『信長の野望』とともに歴史シミュレーションというジャンルを確立。現在に続く人気シリーズとなったことは、よく知られているとおりです。
プレイヤーは三国時代の英雄となり、さまざまな人材を登用。諸葛亮、関羽、張飛らおなじみの武将たちを従え、中華を統一すべく戦っていくことになります。現在のファンから見るとちょっとチープに見えるでしょうが、シミュレーションというジャンルがまだまだ一般的ではなかった時代に、本作の存在は際立っていたと言えます。ことに配下の武将たちを指揮できるシステムは非常に楽しく、名将たちの個性的なセリフ回しはゲームの展開を大いに盛り上げてくれました。
本作の人気を受け、1988年にファミコン版が登場。その人気はさらに広がっていきました。実際、この時代の『三国志』ファンは横山光輝のマンガか、NHKの人形劇か、このゲームのいずれかでハマったという人が大部分ではないでしょうか。
その他の1985年のヒット作も簡単に紹介しておきましょう。ファミコンではジャッキー・チェン主演の同名映画を題材にした格闘アクション『スパルタンX』(任天堂)、ファミコン初のサッカーゲーム『サッカー』(任天堂)、人気マンガ『キン肉マン』のキャラクターを操作して戦う『キン肉マン マッスルタッグマッチ』(バンダイ:現バンダイナムコエンターテインメント)がミリオンヒットとなりました。
パソコンで人気を博した堀井雄二氏による推理アドベンチャー『ポートピア連続殺人事件』(エニックス:現スクウェア・エニックス)、1対1で戦う格闘ゲームの草分け的存在『イー・アル・カンフー』(コナミ)の発売もこの年です。また、元祖アクションRPGとして名高いアーケードの人気作を移植した『ドルアーガの塔』(ナムコ:現バンダイナムコエンターテインメント)もゲームファンの支持を集めました。
アーケードではカプコンの名作横スクロールアクション『魔界村』(カプコン)や、雲に隠れている鐘を撃ってパワーアップしていくユニークなシステムが話題を呼んだシューティング『ツインビー』(コナミ)、襲い来る兵士たちを撃ち倒していく『戦場の狼』(カプコン)などがヒット。パソコンゲームでは歴史的名作として名高いアクションRPG『ザナドゥ』(日本ファルコム)、ロボットの変形アクションが話題を呼んだ『テグザー』(ゲームアーツ)、堀井雄二氏が手がけたミステリーアドベンチャー『軽井沢誘拐案内』(エニックス)などが人気となりました。
「高橋名人」ことハドソン高橋利幸氏がブレイクしたのもこの年です。きっかけとなったのは銀座松坂屋で開催された「春休みコロコロまんがまつり」で、ハドソンの新作『チャンピオンシップ・ロードランナー』のデモプレイを高橋氏が担当したところ子供たちに大受け。夏休みにハドソンが開催した全国キャラバンにも同社の新作シューティング『スターフォース』の実演者として参加し、かの有名な「16連射」を披露したことから子供たちの人気者になっていきました。
さらに、12月22日に晴海国際貿易センターで行われた『クリスマスファミコンフェスティバル』でも高橋氏は活躍。このイベントの模様が東京新聞で大々的に取り上げられたことから、「高橋名人」は一般の人からも認知されるスター的存在になりました。
いかがだったでしょうか。この時代をリアルタイムで体験した人はもう40代半ば以上になっているはずです。お父さんがそのくらいだという方は、ぜひこの時代のゲームについて聞いてみてください。きっと懐かしそうに話してくれることでしょう。