先月、完成間近の記事が反響を読んだ、初代『ダライアス』のアーケード版筐体の自作。その後4月11日に製作者Hidecadeさんのブログにて完成の報告がされました。
ゲームセンターでの稼動から29年、現代にその姿を蘇らせたHidecadeさんとはどんな人物なのか? 『ダライアス』筐体の制作話も含めて、Hidecadeさんにお話を聞いてみました。

――まずはご出身や生まれ年など簡単な経歴をお聞かせ下さい。

1969年生まれの45歳です。愛媛県で高校生まで過ごし、大学の時に大阪に出まして10年ちょっと前に愛媛に戻りました。

――ビデオゲーム遍歴は?

小学校4、5年生の頃かな? 祖母が喫茶店をやっていて『ギャラクシアン』、『インベーダー』、『ブロックくずし』などが置いてあって、遊びに行った時に閉店後に従兄弟と一緒にプレイさせてもらったのがきっかけでした。その後は、近所の駄菓子屋で『ドンキーコング』とかプレイしていました。

そして、小学校6年生の頃に近くにマイコンショップが登場したんです。そこに行くと、高校生がマイコンでゲームをしているんですよ。それを見てすごく楽しそうだなと思ったので、親に良い様に言ってねだりました。そうすると、最初は父親が使う目的で購入したのですが、結局父は使わず僕のものになりました。

――機種は何だったのでしょうか?

MZ-80K2Eです。そこからプログラミングをはじめて、市販のゲームは高価だったので、プログラムの投稿雑誌「I/O」とか「ベーマガ」を買ってきて(掲載されている)プログラムを打ち込みながら、最初はベーシックを覚えてマシン語を中学校の頃に一生懸命やったのですがマシン語は上手くできなかったですね。
プログラムを雑誌に投稿しようと一生懸命やったのですが、結局は完成しなくて、投稿出来ませんでした。それが中学校1年生の頃ですね。

――ファミコンはプレイされなかったのですか?

中学2年生の頃にファミコンが出たのですが、高価なマイコンを買ってもらったのでファミコンが欲しいとは言えず、でも友達がどんどん所有していき、あまりにも(MZ-80K2Eとの)画質の違いにパソコンでのゲーム制作の情熱が薄れたんですよ(笑)。ファミコンは最終的には買ったと思うのですが、当時セガが好きで、セガマスターシステムを『ファンタジーゾーン』とセットで購入したことを覚えています。高校生の時でした。しかし、当時はそこまでゲームばかりをやっていたわけではなかったですね。

――今振り返るとご自身はどういう子どもだったと思いますか?

やっぱりオタクですね。小学校の頃はプラモデルとかラジコン、中学校の頃はパソコン。高校に入ると、キーボードやピアノ、クラブ活動をしたり友達と遊んだりするんですけど。高校生の頃、学校帰りゲーセンに1時間ほど友達と寄って、その時に出会ったのが『ダライアス』『アウトラン』『スペースハリアー』でした。

――その後のゲーム遍歴は?

大学に入って、ひとり暮らしになり時間があったので、メガドライブを買ったんですよ『大魔界村』とかプレイしました。同時期に『ダライアス』がPCエンジンで出ていたのを知り、それを買ってやり込んでいました。
他には『グラディウスII』とか。結構のめり込むんで、やったゲームは少ないけど、買ったゲームは結構やりこみましたね。

プレイステーションまでは買ったのですが、プレステ2は買わなかったです。当時は仕事も忙しくゲームから離れつつありました。またゲームをやるようになったのは、結婚した時に嫁がゲームをする人で、ニンテンドー64を持っていて『スーパーマリオ64』とか一緒にプレイしたりしましたね。一緒にプレイする人がいたらやるようになるんですよね。

――アーケードゲーム基板や筐体へ興味を持った理由は?

職場のスタッフで50代の女性の方がいて「最近テレビゲームってやっていても面白くないよね」って話をしていたんです。よくよく話を聞いていると、その方は二十歳ぐらいの頃、会社員になった時にインベーダブームがあって、ものすごいインベーダにハマったらしくて。「やっぱりあの独特なレバーと雰囲気でやったから楽しかったんじゃない?」という話になったので、じゃあその環境づくりをやってみようかなということになったんですよ。

でもその時は、いきなり筐体を購入というところまではいかなかったです。それが3年前のブログをはじめるちょっと前だったんです。気になってネットで調べていたら、コントロールパネルや筐体を自作している人のブログなどを見つけて、もともと工作とか好きだったので、なんか作れるのかな? と思い出し面白そうだからと作り始めたんです。


ジョイスティックもネットで調べたらセイミツとか売っているところが見つかったので、購入して木も買ってきて制作をはじめました。

――工作スキルは元々あったんですか?

工作に関する知識は、これをはじめてからですね。この1年ぐらい前にちょっとだけスピーカーを作りたくて作ったりしていたんですけど、木材とかホームセンターでカットしてもらってボンドで付けてやっていた程度です。工作は2、3年前に本格化してきまして、やりはじめるとちょっと暴走するタイプなので、機材とか一杯買ってしまうんですよね。木工の工具も買ったのですが、トリマー(切削工具の一種)で加工をしていたときに、ちょっと失敗したら手が飛んでしまいそうなぐらいの怪我をしてしまって、刃物が怖くなってしまったんですよ。そこで普通なら辞めるのですが…。

――辞めなかったと(笑)

最初はジグソーで作ったんですよ、コントローラーを。でも全然キレイにできないんです。左右対称でもないし真っ直ぐにも、垂直にも切れない。ノコギリでもやったけど、全然ブログに載せられるような出来でなかったんですよ。その後半年ぐらい飽きて作ってなかったんです。その頃、職場でアクリルをカットするためにレーザー加工機を買ったんですよ。
それでアクリルを切っていたのですが、それを見てもしかしたら木材も切れるのでは? と思い切ってみると思いの外切れたんです。それで繋がったんですよ、レーザー加工機を使ってコントローラーを作るということが。

試しに作ってみたら割と簡単にできたんですよ。プリンターと同じような感じで出来て、レーザー加工機だとデータに忠実に切り出してくれるので。タブレットのNexus7用にアクリルのコントロールパネルを作ったのがはじめてです。しかし、あまりそれではプレイをしていても面白くなくて、そうなるとやっぱり本物しかないかと、ネットオークションで『アルカノイド』入りのテーブル筐体を購入しました。すると全然違うんですよね、ブラウン管でプレイするゲームは。液晶と動きが違いました。そこからですねハマったのは。その後は、ブログにリアルタイムで制作の模様を書いています。

――ダライアスの筐体制作で苦労したことは?

レーザー加工機で加工出来るサイズが最大60cm×40cmなので、それを考慮した設計や組み合わせに苦労しました。

――設計図などどのように制作したのでしょうか?

目コピーですね。
ネットで筐体が写っている荒い写真を見て再現しました。なので詳細はかなり想像で作っています。東京にでも居たら採寸とかやったらいいんですけど、そうもいかないので。実際に並べたら全然違うと思いますね。

――ビデオゲーム筐体の趣味についてご家族の反応は?

特に反応はないですね(笑)

――黙認されている感じ?

そうですね。気が向いたらたまにプレイしたり、子どもはプレイすると面白いみたいですね。最初はブロック崩しの『ブレイクアウト』にハマって、ものすごく上手くなるんですよね。パドルがすごく小さくなってもボール跳ね返したり。『インベーダー』とかも名古屋撃ちとかマスターしたり、レインボー出したり(笑)

――自作の筐体で一番好きな筐体は?

『ゼビウス』の筐体ですね。僕の中ではゼビウスの筐体が完成形で、これで終わりたかったのですが、なんかこれ(ダライアス筐体)を作ってしまったんですよね(笑)

――今後作りたい筐体とか欲しい筐体はありますか?

もうこれで、作りきった感じです。これ以上増やしても部屋に置けないし。欲しいテーブル筐体は全部買ったので、よっぽどカッコイイやつがでないともういいですね。


――同じようにゲーム筐体を作りたいと思う人へのメッセージを

(筐体を)作るのは楽しいです! 無かったら作りましょう、作ったら作れるので。レーザー加工機20万円ぐらいで買えるのですが、これで木工をやっている人があまりいなくて、ネットで調べても参考になる事例がないんですよ。でもドローソフトで図面さえ書ければ、正確にパーツを作れてあとは組み立てるだけなのでオススメです。

あとは折角作っていろいろな人にメッセージを頂いたのですが、家でひとりでやっていてもアレなので、どこかでみんなにお披露目をできたらいいと思っているんですけどね。

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インタビュー終了後、筆者も自作筐体の『ダライアス』を実際にプレイし、その完成度の高さに思わず中高生時代にタイムスリップした感じとなりました。シートのボディソニックが突き上げる重低音と繋ぎ目のない3画面、インストのパネルなど小物に至るまで目コピーとは思えないその出来に感動しました。その他にもジャトレの『テーブルブレイク 4』、任天堂の『スペースフィーバー』など70年代のスタイリッシュで貴重なテーブル筐体や、オレンジ色が眩しいアップライトの駄菓子屋筐体(ドラマ、ノーコンキッドを見て制作したそう)なども設置と、自宅の一室にゲームコーナーが出来上がっているレトロゲーマー垂涎の空間となっていました。

Hidecadeさんはブログで筐体制作を公開することによって、全国の基板、筐体の愛好家ともつながりが出来たそうです。今回のインタビューを通して、レトロゲームの楽しみ方のひとつとして、自作筐体、レトロゲーム筐体レストアは、今後も目が離せない動きとなりそうだと感じました。
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