平将門を射止めんと挑む平貞盛(右)。
その資質は子孫たちにも受け継がれ、後の世に多くの英雄たち(源義家、平清盛、足利尊氏、新田義貞、北条早雲など)を輩出しました。
さて、そんな「英雄」平貞盛ですが、単なる正義のヒーローではなかったようで、時としてゲスの極みとも言える所業に手を染めたこともありました。
そこで今回は、日本最大の説話集である『今昔物語集』より、とある貞盛の胸〇エピソードを紹介したいと思います。
■不治の病に効く妙薬「児干」を求めて
今は昔、平将門を退治した貞盛が順調に出世街道を進み、丹波国(現:京都府中部&兵庫県の一部)の国司(丹波守)として赴任していた時のことです。
詳しい状況は不明ですが、貞盛がとある事で矢傷を負い、それが悪化して腫瘍ができてしまいました。
いよいよ症状が重くなり、命の危険が迫った貞盛は京の都より何の某(原典では欠字)という高名な(止事無・やんごとなき)医師に往診させました。

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「こらあきまへんわ……諦めなはれ」
そんな、あんまりだぁ!……とばかり、どうにか助かりたい一心で懇願する貞盛に、医師は重い口を開きます。
「……いや、助かる方法がない事もおまへんが……せやけど……」
「あるなら疾々(とっと)とそれを申せ!」
半狂乱で詰め寄る貞盛。医師はそれを伝えました。
「……児干(じかん)や。あんさんの腫瘍を治すには、そうそれしかおまへん」
「ジカン?」
「せや。児の干(きも。
「……何じゃと?」
医師の話では、児干として薬効があるのは胎児のそれに限られる……つまり、入手するためには「妊婦の腹を掻っ捌いて、中の赤ん坊を取り出す」という鬼畜の所業に手を染めなくてはならないのです。

まさに鬼畜の所業。歌川国芳「風流人形の内 一ツ家の図 祐天上人」
「……どないしまひょ。あんさん、よう考えなはれ……そこまでして助かりとおすか?」
深刻な顔で訊ねる医師を、貞盛は笑い飛ばします。
「何じゃ。それで助かるなら、赤子の一人や二人。そうと判ればすぐにでも……そうじゃ!」
何か思いついた貞盛は、すぐさま我が子の左衛門尉(さゑもんのじょう。養子の維叙—これのぶと推定される)に会いに行きました。
■息子を脅迫し、その妻子を……
「……時にそなたの妻は、いま身ごもっておったな。実はかくかくしかじかにて、胎児の生き肝が入用なんじゃ。
貞盛はサラリと言ってのけますが、今日の臓器提供などとは違い医療技術など無きに等しい時代。それはつまり「お前の妻と、これから生まれて来る子を殺せ」と言っているのと同じこと。
息子の動揺にもお構いなしで、貞盛はいけしゃあしゃあと続けます。

討ち取られた平将門。その矢が貞盛が射たものかは不明。成田山新勝寺の絵葉書、昭和初期。
「かつて神鏑(しんてき。神の射た鏑矢)をもって平将門を討ち滅ぼしたこの貞盛サマが、人間の矢で傷つけられるようなか弱い男と思われては外聞が悪いし、命助かりたさに赤子の生き肝をよそから求めたとあっては更に外聞が悪い。そこで内々に、そなたの妻の子を……」
つまり「世間体のために妻と子の命を捧げろ」と言っているのに等しく、とてもそんな要求は呑めません。
「父上!冗談でh「……よいな?」
貞盛は家来の判官代(ほうがんだい。職名で、実名不詳)に命じ、武装した配下に左衛門尉をずらりと取り囲ませました。「妻と子を差し出せ。
■妻子の命を助けるには?
「……ぐぅっ……!」
「いやぁ~、若君は大変な『孝行息子』にございますなぁ~……」
刃を突きつけてくる判官代の下卑た笑いを背に受けて、ここに進退窮まった左衛門尉は、その場でこそ仕方なく「……仰せのままに」と答えますが、身柄を解放されるや否や、すぐさま医師の元を訪ねます。
「……自分が助かりたいから、息子の嫁と赤子を殺そうなどと狂気の沙汰……先生、どうかお助け下され!」
ふむ、と医師も考えます。確かに、年寄りのエゴを優先して未来ある若者たちを死なせるのはあまりに忍びないものです。
「……ようおす。わてに任せなはれ」

「えぇ考えがおます」
「かたじけない、先生だけが恃みにございますれば……!」
藁にもすがる想いでその場を辞した左衛門尉と入れ替わりに、貞盛がやって来ました。その用件は、もちろん「児干」を入手するアテができた報告と、治療開始の依頼です。
さて、医師は左衛門尉の妻子を助けることが出来るのでしょうか?……その続きは、また次回に。
中編はこちら
ゲスの極み!鬼畜の所業!平貞盛が自分の孫を殺そうとした理由がエゴすぎる【中編】
※参考文献:
乃至政彦『平将門と天慶の乱』講談社現代新書、平成三十一2019年4月10日
正宗敦夫『日本古典全集 今昔物語集』日本古典全集刊行会、昭和七1932年
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