日本を代表するこの山は、古くから霊峰として人々の信仰を集めてきました。
それは、一説には、山岳信仰を広めた修験者たちが、山にこもって厳しい修行をする中で、特に女性に対する愛欲や求道心を惑わすものとして、山中は女性との交渉を一切禁止としたものが、長い月日を過ぎるうちに、血の穢れの思想とも結びつき、女性が本質的に神仏に近づいてはならない風潮が生まれてしまい、これが真理であるかのように定着していったとされています。
また山の神は女神であることが多く、霊峰に限らず、そもそも山に女性が登ることは山の神の嫉妬を産むことになり、禁止されていたことがそのまま「女人禁制」につながったとも考えられています。
富士山で「女人結界」が解かれたのは1872(明治5)年のこと。しかし、それ以前に富士山の山頂に登った初めての日本人女性がいます。彼女の名前は「高山たつ」。
彼女は、キリシタン大名として知られる高山右近の直系の親族ともいわれている女性で、もと尾張名古屋藩の奥女中だったと伝えられています。
彼女が富士登頂をしたのは1833(天保3)年のこと。不二道の開祖・小谷三志という人物の手引きで、男性5人と富士中宮に籠もったのち登頂したと伝えられています。たつはこのとき、わざわざ髷を結って男装までして登ったのだそう。
当時25歳のことでした。富士登頂後、たつは、男女平等を説き、富士山への女性登頂の道を拓くことにも尽力したそうですが、1876(明治9)年、64歳で亡くなりました。
高山たつが富士登頂を経験して得た境地とその後の活動は、確実に世の中に影響を与え、女性が何に臆することなく富士登頂ができるきっかけを作ったのです。
参考
- 『冨士講の歴史―江戸庶民の山岳信仰』(岩科 小一郎 1984)
- 『富士山と女人禁制』(竹谷 靱負 2011)
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