イケメン僧侶が大奥女中をオトしまくって出世をもくろんだ、世にいう「延命院事件」です。
■イケメン僧侶・日潤、江戸に現る
江戸時代の中でも最も天下太平を極めた11代将軍家斉の治世、享保の初めの頃の事でした。
日暮里の延命院というお寺にそれはそれはイケメンな僧侶・日潤(日道の説もあり)がおりました。彼はその美貌に加え、説法も上手かったため、女性の信者はどんどん彼のファンになり、熱心に延命院に通うようにました。
千代田之大奥 歌合 橋本(楊洲)周延画 Wikipedia「大奥」より
その噂が噂を呼び、大名家の娘さんや御三家の娘さんまで彼の話を聞きつけて延命院に通うように。更には江戸城内の女の園、大奥にも話は及び、男に飢えまくっている奥女中たちは外に出る機会を得ては喜んで延命院に通うようになりました。
■あまりの人気に、日潤が野心を抱く
さて、そこまでもてはやされるようになると、さすがに日潤本人も気が付きます。「あれ、俺、すげえ身分の高い女にモテてんじゃね?」と。
はじめは真面目に説法していた日潤も、信者の女性たちがどんな目で自分を見ているかという事に気が付いたのです。
熱心な信者の中には大名や御三家の娘、江戸幕府に対して大きな影響力を持っている大奥の女中たちもいる。あまりにもVIPすぎる信者の層を見て、彼はこう考えました。
「この女たちをうまく利用すれば、金はもちろん、延命院の地位を高めて大きな力を手に入れる事ができるかもしれない」。
■裏・日潤始動!
彼はそれからというもの、奥女中や良家の娘さんのような女性信者たちと個人的にアポを取るようになり、表向きはありがたい説法や祈祷をし、その後、彼女たちを本堂の中の部屋へと導き入れるようになりました。
何をしていたかというと、もちろんその部屋に用意されていた1組の布団であんなことやこんなことをしていたのです……。
男性と触れ合う機会などない身分の高いお嬢様や奥女中たちはもうメロメロです。特に常に男性飢餓状態の大奥では、この延命院の秘密の日潤サロンの噂が爆発的に広まったのです。
(後編につづく)
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