国民的人気者といっても過言ではないキャラクター「鬼太郎」。テレビアニメ『ゲゲゲの鬼太郎』は好評放送中、さらに原作者の水木しげると妻をモデルにしたドラマ『ゲゲゲの女房』の再放送も好評です。


その鬼太郎の原型となったのが、昭和8年に生まれた紙芝居『ハカバキタロー(墓場奇太郎)』であることは、これまでお伝えしたとおりです。

ゲゲゲの鬼太郎の原型! 幻の紙芝居「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【1】

ゲゲゲの鬼太郎の原型! 幻の紙芝居「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【2】

鬼太郎の原型を作ったのは危険人物?ゲゲゲの鬼太郎の原型「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【3】

では、初めて子どもたちの前に現われた「キタロー(奇太郎)」は、いったいどんな姿をしていたのでしょうか。今回は、あの水木しげる以前に、最初にキタローを描いた紙芝居画家・辰巳恵洋に迫っていきます。

■残された絵から想像する、失われたキタローの姿

現在、文献やインターネット上で見ることができる、辰巳が描いたとされるキタローの絵は、たった1枚です。紙芝居『墓場奇太郎』の表紙らしき絵で、これが現存する唯一の辰巳版キタローと考えられます。

街頭紙芝居では、人気が出た作品はシリーズ化され何巻も作られました。『ハカバキタロー』もそうです。

それなのに、なぜ残っていないのか。

当時の街頭紙芝居は、1つきりの直筆原版を、紙芝居屋のおじさんたちが使い回していました。それでも『ハカバキタロー』の原版は倉庫に保管されていたのですが、昭和20年に空襲によって倉庫ごと焼失してしまったのです。

そんななかで、なぜこの1枚が残ったのかも謎ですが、ともかく貴重な資料であることは確かです。ここから辰巳が描いた“最初のキタロー”を想像していきましょう。

ただし著作権の所在が不明なため、ここでは言葉のみの説明となるのをお許しください。

その表紙は、描かれた年代は不詳です。

大きく書かれた「墓場奇太郎」のタイトルと「富士會」の表記。タイトルの下に「作・イト マサミ」「画・タミ 恵洋」の名前が並んでいます。伊藤正美と辰巳恵洋のペンネームでしょう。

そして真ん中に描かれた少年が、主人公の「奇太郎(キタロー)」であることは間違いありません。地面に掘られた穴から顔を出しています。墓の中で生まれた少年・墓場奇太郎です。

左目は小さく、右目は大きくギョロっと見開いていて、アンバランスな印象を与えます。前歯は大きな出っ歯です。

髪は坊っちゃん刈りというか、現代の男の子にもある髪型で、普通な感じが意外です。しかし、加太こうじは「『ハカバキタロー』は長髪を振り乱した少年」であると記しています。
おそらく戦前は、これでも長髪だったのでしょう。

服装は上半身しか見えませんが、和服を着ているのはわかります。ちゃんちゃんこ、もしくは半纏を羽織っているようにも見えます。

水木しげるとは絵のタッチが違います。だけど目や髪型など、キャラクターデザインは共通する部分があります。
しかし、ゲゲゲの鬼太郎の原型! 幻の紙芝居「ハカバキタロー」と紙芝居作家たち【2】 で書いたように水木は『ハカバキタロー』の現物を見ていません。

それでも共通点があるのは、加太こうじや鈴木勝丸から説明を聞き、イメージをふくらませたからでしょう。

加太によれば、辰巳のキタローは「グロテスクな形相」だったといいます。確かにおどろおどろしさはありますが、線がきれいで端正な印象もあります。加太は、辰巳の絵は「達者な筆使いと正確な時代考証で、素人っぽい画家が多い紙芝居の世界では異例だった」とも表現しています。

つまりキタローは、どぎついだけでない深みのあるキャラクターだったと考えられるわけです。

水木しげるの前にキタローを書いた男!ゲゲゲの鬼太郎の原型「ハ...の画像はこちら >>


辰巳が描いたキタローは、ほとんど失われました。
しかしその他の作品で現存するものがあります。詳細は後述しますが、そこから辰巳の画力を知ることができます。

怪奇もので評判を呼んだ辰巳の絵は、流麗で艶っぽさもあります。水木とは別の魅力をもった画風であり、キタローであったことが想像できるのです。

■辰巳の経歴と紙芝居界でのポジション

紙芝居草創期から活躍し、ブームの一翼を担った辰巳恵洋ですが、彼自身についての情報は少ないです。

わかっているのは、関西で看板書きをしていて、大正初期から東京で仕事をするようになったこと。そして昭和8年頃から紙芝居画家を生業にするようになったことです。
ちょうど伊藤正美と同じ頃に紙芝居業界に入ったわけで、この2人がそろわなければキタロー、さらには鬼太郎のヒットはなかったかもしれません。不思議な縁です。

キタロー以後もコンビを組んだ伊藤と辰巳ですが、プライベートまで一緒ではなかったようです。年齢差があったからと思われます。辰巳の正確な生年はわからないのですが、昭和8年頃には30~40代だったと考えられます。
20代から見れば相当な大人です。

辰巳も、伊藤のように喫茶店に仲間と集まることはなかったようです。血気盛んな若者たちを一歩引いたところから見ていたのでしょう。

また辰巳は、紙芝居の世界では山川惣治に並ぶ大物だったといいますから、若者にとっても近寄りがたかったかもしれません。

■娘・辰巳まさ江は挿し絵画家に

辰巳恵洋の娘・まさ江もまた、絵の道に進んでいました。
昭和20年代、挿し絵画家として活躍したのです。少女向け雑誌のイラストや児童書の挿し絵等を描き、人気を集めました。

まさ江の絵は可愛らしく怪奇の要素はありません。だけど、描かれた女性の艶やかさに辰巳の絵の名残も見えます。ここから辰巳版キタローを想像するのも、不可能ではなさそうです。

■辰巳画の傑作紙芝居「猫三味線」が復活していた

紙芝居『ハカバキタロー』を見ることはできません。しかし辰巳の絵の魅力を味わうことはできます。
というのも、辰巳が絵を担当した紙芝居『猫三味線』が、形を変えて平成に復活していたのです。新たな演出を加えた舞台上演版で、平成18(2006)年にDVD化されています。

猫三味線 [DVD]

DVDに納められているのは、紙芝居師・梅田佳声さんの口演によるものです。データによれば、上演時間3時間におよぶ計600枚・全56巻通し上演とのことですから、かなり見応えありそうです。

もちろん辰巳恵洋の絵もたっぷり見られます。猫に取り憑かれた少女、すなわち猫娘は不気味さと妖艶さを併せ持っています。でも、どこか猫の可愛らしさがにじみ出ています。

水木しげるの前にキタローを書いた男!ゲゲゲの鬼太郎の原型「ハカバキタロー」【4】


傑作と呼ばれる怪奇紙芝居『猫三味線』は、怨念うず巻く復讐譚です。『ハカバキタロー』もそうだったように、重く暗い怪奇物語は当時の子どもたちの心をつかみました。

また、『猫三味線』も富士会製作ですが、脚本担当は伊藤正美ではなく「入江将介」という紙芝居作家です。入江の代表作には『コケカキイキイ』があります。
実はこちらも水木しげるが同名の漫画を書いています。
入江版と水木版は内容が異なるそうですが、なかなか興味深いです。

ところで、この『猫三味線』が、なんと今年再演されます。下記のサイトに詳しい情報が掲載されています。今回は活動写真弁士・坂本頼光さんによる全巻通し上演なんだそうです。

出版評論社@Web

……と、ここまで紹介しておいて恥ずかしい話ですが、筆者はこの紙芝居を未見です。昭和平成を越えて令和に甦った紙芝居を、いつかぜひ見たいと思います。

■幻の紙芝居

戦火に消え、幻となった『ハカバキタロー』の紙芝居。
かつて『探偵!ナイトスクープ』に「探してほしい」という依頼があったものの、発見されなかったといいます。
ナイトスクープで見つからないなら、もう無理かもしれません。それでも「実は、とある屋敷の蔵の中にあった!」なんていう奇跡を望んでしまいます。

  • 参考文献:
    『紙芝居昭和史』加太こうじ(岩波書店)
  • 『紙芝居がやってきた!』鈴木常勝(河出書房新社)
  • 『メディアとしての紙芝居』鈴木常勝(久山社)
  • 『乙女のふろく 明治・大正・昭和の少女雑誌』村崎修三(青幻舎)
  • 『乙女のロマンス手帖』堀江あき子・編(河出書房新社)
画像出典:写真AC

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