今日の日本のエンターテイメントで「アイドル」は欠かせない存在になっていますが、江戸時代にも、今で言うところのアイドル的な存在の女性たちがいました。
江戸時代の遊郭の遊女や芸者さんたちが”プロ”のアイドルやモデル的な存在だったのに対して、”素人アイドル”的な存在だったのが、茶屋で働く「茶屋娘」です。
まさに江戸時代の素人アイドル!?その美貌に溺れる男が続出した水茶屋娘たちまとめ
今回はそんな茶屋娘の中でも、当時圧倒的な人気だった茶屋娘「笠森 お仙(かさもり おせん)」を紹介します。
■人気絵師も大絶賛の笠森 お仙
「笠森 お仙」は、1763年(宝暦13年)ごろから水茶屋で働いていた女性で、働いていた茶屋は、江戸谷中の笠森稲荷門前に店を構えていた「鍵屋」。笠森稲荷門前のお店で働いていた”お仙”という名の娘なので、「笠森 お仙」よ呼ばれるようになりました。
江戸時代は茶屋と一言に言っても、待合茶屋、色茶屋、陰間茶屋などを筆頭に裏の顔を持つ茶屋もありましたが、お仙が働いていた「鍵屋」は、お茶、お菓子、お団子などを提供する健全な水茶屋です。
茶屋で売春?男色を売る男娼までいた?江戸時代には色んなタイプの茶屋があった
お仙の人気はかなりのものだったそうです。当時は、庶民の娯楽として人気だった浮世絵の題材としてどれほど取り上げられていたのか?が、人気者のバロメータとも言えたかと思いますが、当時、美人画の人気絵師であった鈴木春信が、お仙をモデルにした多くの作品を残しています。
笠森お仙 鈴木春信 画
笠森お仙 鈴木春信 画
なお、鈴木春信がお仙を描いた作品がきっかけで、お仙の人気に火がついたとも言われています。お仙をモデルとした人気絵師たちの作品は庶民たちに大絶賛され、お仙をひと目見ようと、連日、鍵屋にファンが訪れていたそうです。
また、お仙は、当時同じく人気の高かった浅草寺奥山の楊枝屋・柳屋の「お藤」、二十軒茶屋の水茶屋・蔦屋の「およし」と共に、明和三美人としてもてはやされていたそうです。
人気はとどまることを知らず、遂には、今日まで歌い継がれるわらべ歌「向こう横町のお稲荷さん」の歌詞にまで登場してしまうのです。
♪向う横丁のお稲荷さんへ
一銭あげて
ざっとおがんで お仙の茶屋へ
腰をかけたら 渋茶を出した
渋茶よこよこ 横目で見たらば
米の団子か 土の団子か
お団子 団子
この団子を 犬にやろうか
猫にやろうか
とうとう とんびに さらわれた♪
このお仙の人気ぶりに、お仙が働いていた鍵屋もここぞとばかりに動きます。お仙を看板娘として売り出し、遂にはグッズ販売まで始めてしまったんだとか。
胸元開いたセクシーお仙 鈴木春信 画
そんな大人気ぶりを発揮していたお仙でしたが、突如として鍵屋から姿を消してしまいます。お店を辞めた原因は何だったのか?当時はいろいろな憶測が囁かれたに違いありません。
鍵屋お仙 鈴木春信 画
実はお仙、1770年に、笠森稲荷の地主のもとに嫁いでいたのです。その後は9人もの子宝に恵まれ、享年77歳という当時としては長寿を全うしました。お仙のお墓は東京都中野区にある「正見寺」にあり、中野区登録有形文化財に指定されています。
お仙が働いていた「鍵屋」は現在、東京都台東区谷中の「功徳林寺」にある笠森稲荷が跡地とされています。また、同じく谷中にある「大円寺」には、「笠森阿仙之碑」が建てられていますので、興味のある方はぜひ、お仙の足跡を巡る谷中散歩を楽しんでみてはいかがでしょうか?
江戸時代の遊郭の遊女や芸者さんたちが”プロ”のアイドルやモデル的な存在だったのに対して、”素人アイドル”的な存在だったのが、茶屋で働く「茶屋娘」です。
まさに江戸時代の素人アイドル!?その美貌に溺れる男が続出した水茶屋娘たちまとめ
今回はそんな茶屋娘の中でも、当時圧倒的な人気だった茶屋娘「笠森 お仙(かさもり おせん)」を紹介します。
■人気絵師も大絶賛の笠森 お仙
「笠森 お仙」は、1763年(宝暦13年)ごろから水茶屋で働いていた女性で、働いていた茶屋は、江戸谷中の笠森稲荷門前に店を構えていた「鍵屋」。笠森稲荷門前のお店で働いていた”お仙”という名の娘なので、「笠森 お仙」よ呼ばれるようになりました。
江戸時代は茶屋と一言に言っても、待合茶屋、色茶屋、陰間茶屋などを筆頭に裏の顔を持つ茶屋もありましたが、お仙が働いていた「鍵屋」は、お茶、お菓子、お団子などを提供する健全な水茶屋です。
茶屋で売春?男色を売る男娼までいた?江戸時代には色んなタイプの茶屋があった
お仙の人気はかなりのものだったそうです。当時は、庶民の娯楽として人気だった浮世絵の題材としてどれほど取り上げられていたのか?が、人気者のバロメータとも言えたかと思いますが、当時、美人画の人気絵師であった鈴木春信が、お仙をモデルにした多くの作品を残しています。
笠森お仙 鈴木春信 画

笠森お仙 鈴木春信 画
なお、鈴木春信がお仙を描いた作品がきっかけで、お仙の人気に火がついたとも言われています。お仙をモデルとした人気絵師たちの作品は庶民たちに大絶賛され、お仙をひと目見ようと、連日、鍵屋にファンが訪れていたそうです。
また、お仙は、当時同じく人気の高かった浅草寺奥山の楊枝屋・柳屋の「お藤」、二十軒茶屋の水茶屋・蔦屋の「およし」と共に、明和三美人としてもてはやされていたそうです。
人気はとどまることを知らず、遂には、今日まで歌い継がれるわらべ歌「向こう横町のお稲荷さん」の歌詞にまで登場してしまうのです。
♪向う横丁のお稲荷さんへ
一銭あげて
ざっとおがんで お仙の茶屋へ
腰をかけたら 渋茶を出した
渋茶よこよこ 横目で見たらば
米の団子か 土の団子か
お団子 団子
この団子を 犬にやろうか
猫にやろうか
とうとう とんびに さらわれた♪
このお仙の人気ぶりに、お仙が働いていた鍵屋もここぞとばかりに動きます。お仙を看板娘として売り出し、遂にはグッズ販売まで始めてしまったんだとか。
グッズには手拭いやお人形、双六などが並んでいたそうです。

胸元開いたセクシーお仙 鈴木春信 画
そんな大人気ぶりを発揮していたお仙でしたが、突如として鍵屋から姿を消してしまいます。お店を辞めた原因は何だったのか?当時はいろいろな憶測が囁かれたに違いありません。

鍵屋お仙 鈴木春信 画
実はお仙、1770年に、笠森稲荷の地主のもとに嫁いでいたのです。その後は9人もの子宝に恵まれ、享年77歳という当時としては長寿を全うしました。お仙のお墓は東京都中野区にある「正見寺」にあり、中野区登録有形文化財に指定されています。
お仙が働いていた「鍵屋」は現在、東京都台東区谷中の「功徳林寺」にある笠森稲荷が跡地とされています。また、同じく谷中にある「大円寺」には、「笠森阿仙之碑」が建てられていますので、興味のある方はぜひ、お仙の足跡を巡る谷中散歩を楽しんでみてはいかがでしょうか?
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