彼は人気絶頂のさなか、32歳で自ら命を絶ちました。あまりにも突然であり、本人が何も語らずに亡くなったため、その死はいまだに謎に包まれています。
「助六由縁江戸櫻」の花川戸助六
今回は8代目市川團十郎の生い立ちや境遇を辿り、その謎を考察します・・・。
■偉大なる父・7代團十郎
8代目市川團十郎を語るには、まず彼の実父である7代目市川團十郎の存在が欠かせません。この7代目團十郎という人物は、成田屋が代々得意としてきた歌舞伎の荒事の申し子のような人でした。
早くに6代目團十郎が急死したため、わずか10歳で7代目市川團十郎を襲名。まもなく祖父(5代目團十郎)も亡くなり、幼くして身内の後ろ盾を失った彼は、身内の引き立てが重要な歌舞伎界で致命的な状況に陥ります。
しかしそこで諦めず、相当な苦労をしながら実力をつけて人気俳優へと成長していった彼の根性は、一筋縄ではなかった事が窺えます。苦労をしているためか、その芸風は江戸っ子好みの荒々しい豪儀な芸の中にも、どこか男らしい色気が漂っていたそう。
得意の悪人役をやってもどこか色っぽく、「色悪」という芸風を確立して庶民から絶大な人気を誇ったのでした。実は、「外郎売」や「暫(しばらく)」など、現代にいたるまで成田屋に代々伝わる歌舞伎狂言組十八番(いわゆる歌舞伎十八番)を定めたのも、この7代目團十郎。
市川宗家が江戸歌舞伎の花形だという事を世に印象付けた7代目の功績は、歴代團十郎の中でも一際大きなものでした。
■團十郎の名跡へのコンプレックス
そんなゴッドファーザーのもとに生まれた8代目團十郎は、誰に似たのか7代目とは正反対の細面で色白の優男。成田屋らしい荒々しい芸風も好んでやったものの、それよりは爽やかな二枚目役や和事の似合う役者でした。
事実、幕末を代表する二枚目役、『与話情浮名横櫛』通称「切られ与三」の与三郎は彼のために作られて大当たりしたのです。よく言えば上品、悪く言えばお坊ちゃんくささが抜けなかった8代目團十郎は、自分の芸風にコンプレックスを感じていたようで、荒事の得意な父や歴代團十郎と比べられる事を嫌ったようです。
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八代目 市川團十郎
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