現代でも密接な関わりのあるトンボですが、実は古代からトンボの存在は認知されていました。
トンボ
ということで今回は日本人とトンボの関わりを古くから紐解いてみたいと思います。
■神話時代からトンボとの関わりが!
先述した通りトンボは古代から馴染みがあり、それは神武天皇の頃からありました。

『神武天皇東征之図』/Wikipediaより
『日本書紀』によると山頂から日本を一望していた神武天皇は、「この国はトンボの交尾のような形をしている」と言いました。
トンボは古くから秋津(あきつ)と呼ばれており、先ほどの神武天皇の発言によって日本の異名『秋津洲(あきつしま)』の由来になっています。
■あの雄略天皇もトンボと馴染みが!
また雄略天皇もトンボに馴染みがありました。『古事記』によると雄略天皇が吉野宮へ行き、狩りをしようとしていました。

雄略天皇/Wikipediaより
そして、自ら射るために獲物を待っているとアブに腕を噛まれてしまいます。その瞬間にトンボがアブを食べてどこかへ飛んで行ってしまいました。
その様子を見て雄略天皇はトンボの功績を称えて日本を『蜻蛉島(あきつしま)』と名付けました。
この雄略天皇のエピソードからトンボを「勝ち虫」と呼ぶようになり、縁起の良い虫として多くの人に影響を与えるようになります。
■戦国時代になるとトンボのある動きが好まれ人気に!
戦国時代になるとトンボの前にしか進まない勇猛果敢な動きから「不退転」の精神を現すとして、「勝ち虫」エピソードと相まってトンボは一大ブームを巻き起こします。
その影響を強く受けたのが、武田信玄の家臣・板垣信方(いたがき-のぶかた)でした。信方は兜の前立てや手甲、着物に至るまで全てトンボの装飾をしたと知られています。

トンボをあしらった兜
また、兜の前立てだけですが、前田利家もトンボを起用しています。
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紙本著色 前田利家像/Wikipediaより
名を残す武将ほど、このように験担ぎで運を呼び寄せるくらいトンボは戦国武将に人気でした。
■最後に
今ではあまり見かけなくなったトンボがここまで日本人と密接な関わりがあるとは知りませんでした。
古代は神武天皇から戦国武将まで親しまれてきたトンボ。今度見かける時は色々な視点でトンボを見られそうですね。
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