1月・2月については前回ご紹介した記事をご覧下さい。
やっぱり浮世絵師・鈴木春信が好き!代表作「風俗四季哥仙」に観る春信の魅力 その1
やっぱり浮世絵師・鈴木春信が好き!代表作「風俗四季哥仙」に観る春信の魅力 その2
■風俗四季哥仙 三月
鈴木春信 風俗四季哥仙 三月
江戸時代は旧暦でしたので、三月は現在のだいたい3月下旬~5月上旬頃となります。今でも春になったら“潮干狩り”に行こうと思う方は多いでしょう。だいたい4月上旬から潮干狩りは楽しめるようです。
そうするとこの絵は4月から5月の初め頃かと思われますが。春になって男女が潮干狩りにデートでしょうか?しかし男性の手には熊手もないし、女性も何か考えているような。
絵暦(今で言うカレンダー)交換会で競い合う絵にしては、ただ単純に“潮干狩り”では弱いように思われます。
上記に描かれている雲の中の和歌を見てみましょう。

風俗四季哥仙 三月(部分)
こきませに 色をつくして よる貝ハ 錦のうらと みゆるなりけり
作品集:『斎宮貝合』より
(訳)混ぜ合わせ さまざまな色を 集めた貝殻は 錦のように美しい浜辺のようだ
なんだか歌を見ても今ひとつという気がしてしまいます。そこでこの歌の出どころである『斎宮貝合』に注目してみました。
■斎宮とは
まず“斎宮”とは何かを、非常にざっくりとご説明すると「伊勢神宮に祀られている天照大御神に天皇の代わりにお仕えする、未婚の内親王の中から占いで選ばれた皇女」のことです。“斎宮”は“斎王”とも呼ばれ、もともとはこの“斎王”が住んでいた所を斎宮と呼んでいました。
■貝合(貝合せ)
“貝合”についてとても興味深い資料がありましたので引用します。
左右二方に分かれて貝を出して比べ,貝の形や色の美しさ,大きさ,珍しさ,種類の豊富さなどが勝敗の判定規準になった。もっぱら平安時代に行われ,風流善美を尽くした洲浜(すはま)の台を作って飾ったり,貝に歌を詠みそえたりした。資料としては1040年(長久1)貝の豊富な伊勢で行われた斎宮良子内親王の貝合が最も古く(平凡社・世界大百科事典 より引用)“貝合”については上記の引用文でうかがい知ることができます。
筆者がここで特に注目するのは、“風俗四季哥仙 三月”に使われている和歌は作品集“斎宮貝合”から選ばれたものです。“斎宮貝合”は1040年6月18日に編纂されました。
1040年に斎宮を務めていたのは良子内親王であり、上記にある“資料として最も古い”とされる“貝合”で詠まれた和歌が編纂されたのがこの“斎宮貝合”だったということです。
そしてこの“貝合”は『斎宮良子内親王貝合』と呼ばれ、長久元年(1040年)5月6日に行われました。
鈴木春信が浮世絵師として初作を発表したのは1760年です。この時代、書物でを読むこと、もしくは人から教えられることでしか和歌を知り得なかったはずです。鈴木春信がこの和歌を選んだということに、教養の奥深さ、あるいは人的交流の広さを感じずにはいられません。
■洲浜
上記にある“州浜”とは、流れ込む川の勢いにまかせて出来た入り組んだ浜辺のことをいいます。日本は四方を海に囲まれています。
たとえば家紋で“洲浜紋”という紋がありますが、このような形です。

洲浜紋(ウィキペディアより)
このように入り組んだ洲浜形の台の上に、“風流善美を尽くした洲浜の台”を飾ったということですから、美しい海岸のたとえとされる“白砂青松”の言葉通り、白い砂と青々とした松をしつらえ、縁起の良い鶴亀や長寿を意味する翁や媼(老女)の人形を木の元に置き、不老不死の仙山として信仰される蓬莱山などをしつらえるなどして、華やかな島台という物を作って飾ったのでしょう。
島台は神が依り憑く場所とも考えられ、様々な宴に飾られました。

井原西鶴 武家義理物語第一巻(部分)
上記の絵の中央に置かれているのが島台です。上記の絵は結婚の宴の場面を描いたものです。江戸時代には縁起物として結婚の場にも飾られました。
鈴木春信の絵にも結婚の宴の場面を描いたものがあります。

鈴木春信 婚礼錦貞女事_杯事
上記の絵の右下に、やはり“島台”が置かれています。それにしても結婚の宴の様子が生き生きと描かれています。様々な立場の人がそれぞれに話をしている声が聞こえてくるようです。
■潮干狩り説は間違い

風俗四季哥仙 三月(部分)
二人の男女の足元を見ると、落ちている貝は巻き貝やハマグリのような貝などの様々な貝です。
単なる潮干狩りではなかったのですね。
近日公開の後編につづきます。
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