『桃太郎』といえば昔話、昔話といえば『桃太郎』。日本の昔話の代表といっても過言ではないほど有名なのが『桃太郎』です。
桃から生まれた桃太郎が、犬・猿・キジをお供に鬼ヶ島へ旅して、鬼退治をする…。
そんなあらすじも説明の必要がないほどですね。ところが、このあらすじとは別パターンの桃太郎が存在することをご存じですか?
違うのは出だしの「桃から生まれた」の部分です。
最も有名なのは「川で洗濯をしていたおばあさんが、流れてきた桃を拾い、それを割ったら中から赤ちゃんが誕生!」というバージョンです。ところが、この他に「川で拾った桃を、おばあさんとおじいさんが食べて若返り、夫婦の間に赤ちゃんが誕生!」という展開の桃太郎が存在するのです。
昔話の研究者や民俗学者の間では、前者が「果生型」、後者が「回春型」と呼ばれているそうです。それにしても、なぜ「ふたつの桃太郎」が存在するのでしょうか? なぜ現在は「桃から生まれた」パターンのみが知られているのでしょうか?
また、テレビで何度か紹介された「“桃から生まれた桃太郎”は明治時代に作り変えられたもの」という説が話題になりました。しかし、その他に「“桃から生まれた桃太郎”は江戸時代以前から存在していた」という説もあることをご存じですか?
日本一有名な昔話『桃太郎』の謎に、今回は「昔話はどのように伝えられてきたか」という視点から迫っていきます。
■人気番組で紹介された「若返り説」の真実
先に挙げた「若返ったおばあさんが桃太郎を産む」のバージョンをご存じの方、実は多いと思います。なぜなら、テレビの人気番組『チコちゃんに叱られる!』で、この説が紹介されたからです。さらに、かつて一世を風靡した『トリビアの泉』でも同様の説が紹介されています。
そして先日放送された『博士ちゃん』にも、桃太郎博士ちゃんが登場し、この「若返り説」も紹介されました。
いずれも「赤本」や「黄表紙」などとよばれる江戸時代の草双紙、今でいう絵本に描かれた『桃太郎』を中心に説明されたものです。
要点をまとめると、「江戸時代まで桃太郎は回春型だった。それが明治時代に、教育上よろしくないという理由で果生型に変えられた」と読み取れる内容でした。
しかしこれに対して、昔話を研究している人には異論があるようです。情報を受け取る側に、偏ったイメージを与える可能性があるからです。果たして桃太郎が生まれたのは「桃から」か? 「おばあさんから」か?
どちらが本当でしょうか?
結論から先に言ってしまいます。どちらも本当です。ふたつのパターンは江戸時代以前から共存していました。「桃から生まれる」という展開は、明治時代に急に作られたものではないのです。

どうしてひとつの物語に、いくつものパターンが存在するのでしょうか。それを理解するには、「昔話を伝える=絵本を読み聞かせる」という思い込みから離れる必要があります。
桃太郎誕生の真実には、「絵本」として流通した桃太郎だけを見るのだけではなく、形のない「語り」によって伝承した桃太郎を知らなければ、近づくことはできません。
■囲炉裏端の桃太郎と、絵本の中の桃太郎
桃太郎に限らず昔話は、「絵本」と「語り」のふたつの表現方法によって伝えられてきました。「絵本」の日本での始まりは室町時代に作られた御伽草子で、貴族や武家に楽しまれたものでした。庶民に広まったのは、出版技術が発達した江戸時代以降のことです。
「語り」は絵本の読み聞かせでなく、記憶した物語を、何も見ず語り聞かせることを指します。いわゆる口頭伝承であり、こちらの方が歴史は古いです。
語りで物語を伝える行為は、文字が生まれる前から行なわれてきました。昔話においては、語り手は主に祖父母で、聞き手は孫です。
たとえば農家の囲炉裏端で、おばあさんが孫に昔話を語って聞かせました。孫もまた大人になると、自身の子や孫に昔話を聞かせたのです。

そして「ふたつの桃太郎」においては、「桃から生まれた」が主に語りの桃太郎で、「おばあさんから」が主に江戸時代の絵本の桃太郎であるといえます。それが明治以降に「桃から」に統一されます。
昔話としての『桃太郎』の起源はわかりませんが、少なくとも室町時代には語られていたといわれています。
赤本には『さるかに合戦』『舌切り雀』など、昔話を題材にした作品があります。これらは作家のオリジナルでなく、すでに知られていた昔話をもとに書かれたものです。そこには時代の流行や、作家によるアレンジが加わっています。『桃太郎』も同様です。
■名もなき人々が語り継いだ物語
昔話の種となるものは、古代から中世の間に生まれたと考えられます。それがいつしか物語として形作られ、長い時間をかけて西へ東へ、日本各地に広まります。
ほとんどが口伝でよるもので、その過程で伝言ゲームのように変化していきました。語り手がアドリブで変えた設定が、その地域では定着することもあったでしょう。ですから、桃太郎ひとつとってみても、設定やディテールが違うものが無数に存在します。
桃太郎の生まれ方も、「箱から生まれる」「タンスから生まれる」など、何だそりゃ!?というものがいっぱいです。そのなかに「おばあさんが桃を食べたら、桃太郎が生まれた」とするものもあります。もしかしたら赤本の作者は、それを土台にしたのかもしれません。
とはいえ「桃を食べたら生まれる」展開は、全体から見れば一部です。口頭伝承の桃太郎誕生シーンの主流は「桃から生まれる」だったようです。
また、赤本は流行したとはいえ、主たる読者は都市に住む町人だったでしょう。交通事情などを考えれば、全国の山村漁村にまで赤本が行き渡ったとは考えにくいです。
つまりテレビやインターネットのように、ひとつのイメージを固定してしまうほどの影響力はなかったでしょう。

民俗学者の柳田国男は、赤本版に対して否定的でした。昔話を研究し『桃太郎の誕生』を著わした柳田は、桃太郎は地方で語られる果生型こそ先にあると考えたのです。
そうした名もなき村人たちが語り継いできた昔話も、大正時代から現代にかけて採集されることになります。民俗学者や昔話の研究者たちが、語り手たちから聞き取り記録しました。
こうして昔話集などに収録されたそれは、数万単位の膨大な量で、そのなかで桃太郎の類話は大きな割合を占めています。これが、いろいろな桃太郎が存在した証といえるでしょう。
■変な桃太郎がいっぱい!……だったのに
「若返り説」を全否定するわけではないんです。江戸時代の絵本は貴重な資料であり、「出版された桃太郎」の元祖であることは間違いないでしょう。ただ、「これが桃太郎の唯一無二の原作だ!」という解釈が浸透し、昔話の広大無辺な世界が狭まってしまうのが、もったいないのです。
桃太郎という名の少年の物語は、星の数ほど存在します。桃が川を流れてくる音も「どんぶらこ」だけではありません。「おばあさんから生まれた桃太郎」も、たくさんの桃太郎の一部なのです。
そんな桃太郎が、明治時代には近代的な絵本になり、教科書に載り唱歌として歌われます。こうした出版物では、赤本のような回春型が消え、果生型が主流になりました。それだけでなく、物語がひとつの型にはめらるという現象がおこります。
文明開化によって変わった桃太郎。そこには「教育上よろしくない」だけでない事情がありました。
参考文献:
『図説 日本の昔話』石井正己(河出書房新社)
『桃太郎はニートだった! 日本昔話は人生の大ヒント』石井正己(講談社+α新書)
『昔話と絵本』石井正己 編(三弥井書店)
『新・桃太郎の誕生 日本の「桃ノ子太郎」たち』野村純一(吉川弘文館)
『定本 柳田國男集 第八巻』(筑摩書房)
『小澤俊夫の昔話講座①入門編 こんにちは、昔話です』小沢俊夫(小澤昔ばなし研究所)
『桃太郎話 みんな違って面白い』立石憲利 編著(岡山市デジタルミュージアム)
『昔話の発見ー日本昔話入門ー』武田正(岩田書院)
画像出典:写真AC
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