現代でもお正月や成人式、七五三などの改まった席では、私たちも和服を着る事があります。しかし、髪型まで昔ながらの日本髪にする機会は、和装での結婚式以外ほとんどないのではないでしょうか。
ところが現代でも、大相撲の力士と舞妓さんは、日常的に地毛で伝統的な日本髪を結っています。
いったいなぜなのでしょうか?
もしかしたら「髷を結って着物を着た姿では、あまり遠くへは行けないだろうから」という、新人の逃亡防止対策でしょうか?
・・・いえいえ、断じてそんなことはありません。髷を結っていようが着物を着ていようが、現代ならその気になればどこまででも逃亡はできてしまいます!
■舞妓さんと芸妓さんは、どちらも元々は地毛だった
芸妓と舞妓は、もともとはどちらも地毛で日本髪を結っていました。
違っていたのは、その髪型でした。
芸妓になる前の見習い期間である舞妓の髪型は、舞妓になってからの年数によって違います。出たての舞妓は「割れしのぶ」という髪型で、少し年数を重ねた「おねえさん」になると「おふく」という髪型に変わります。
そして「襟替え」して芸妓になる前の2週間くらいの間結うのが「先笄(さっこう)」。
どの髪型も髪の長さが必要となるため、現代でも舞妓さんはみんな髪を長く伸ばしています。
一方芸妓は「島田髷」という髷を結いますが、この髪型にするには相当な髪の長さが必要となります。そのため、昔は舞妓と同じように地毛で髷を結っていた芸妓の中にいつしかカツラをかぶる人が現れ、それが一般的になっていったのです。
ちなみに舞妓さんは、コンビニ・ファストフード・映画館・カラオケなどへの出入りが禁止されているのだとか。
しかし芸妓さんはカツラがあるおかげで、普段は普通の髪型・服装で過ごし、出入り禁止の場所も特になくなります。
■明治維新の「断髪令」があっても生き延びた力士の髷
一方、力士が髷を結っている理由は、少し違っているようです。
明治維新とともに「文明開化」の波が押し寄せた時代、当時の男性が結っていた「丁髷(ちょんまげ)」は外国人からあまり評判が良くなかったため、「外国と対等に付き合うには、まず髪型から!」と考えた政府により「断髪令」が発令されました。
しかし相撲の力士だけは、髷を結ったままでOKとされました。それどころか1909(明治42)年には「関取は大銀杏を結うこと」という規定も作られました。

こうなった背景には、伊藤博文など政府の要人に相撲好きがいたこと、大銀杏の規定が作られた1909(明治42)年には大相撲の興行を行うための会場が「国技館」と名付けられたことなどが関わっていたようです。
「日本の国技」なら「日本の伝統に根ざしていなくては」と考えられ、髷も含めた伝統文化がそのまま継承されたのです。
ちなみに行司の服装も、この時までは江戸時代と変わらない裃(かみしも)と袴でした。
しかし「相撲は神事であるから」という理由で、より伝統的で威厳のある烏帽子(えぼし)に直垂(ひたたれ)という、現在の行司の衣装に変更されたのです。
今では、外国人力士もみんな髷を結ったままで生活を送っています。
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