いよいよオリンピック開幕まで2年を切るというタイミングで、当時世界一となった日紡貝塚女子バレーチームが引退すると言い出します。
■シマから続く日本女子スポーツの歴史
金栗四三、三島弥彦が初めてオリンピックに出場した1912年ごろ、男子スポーツでさえ世間は「かけっこして何になる」という目で見ていました。マラソンの知名度はありません。
「いだてん」では、金栗四三が全国にマラソンや駅伝を少しずつ広めるところから始まり、時代の流れとともに人々がスポーツに関心を持つようになる様子が描かれます。
そんな中、男子スポーツよりも理解が遅れたのが女子スポーツでした。金栗や三島を間近で見てきて、陸上競技にあこがれを抱いたシマに、嘉納治五郎や金栗でさえ「女子には無理だ」と否定の言葉を突き付けたのです。
それでも諦めずにスポーツを学び、後継者を育成したシマ。彼女は日本の女子スポーツの普及と発展を何よりも願っていました。
そしてその意志を受け継いだ人見絹枝は、バケモノと揶揄されても走りました。「負けても男は帰れるけど、女は帰れない」と、何が何でもメダルを持って帰りたいと言ったシーンは印象的です。彼女もまた、ここで自分が負けたら、女子スポーツ選手はこれからも外を堂々と歩くこともできないと考えたのです。
水泳の前畑秀子は、日本中の期待を背負った極度の緊張のなか、お守りを飲み込んでレースに挑みました。
戦前から戦時中までのオリンピックでは、黎明期には「日本スポーツ」を背負わねばならず、世間に受け入れられて以降は「国」を背負わねばならなかったのです。
■誰のために戦うのか
45話にきてようやく、「自分のためにスポーツをする」女子が描かれます。
結婚適齢期を過ぎて、一番花の盛りの青春を犠牲にさせてまで選手たちにバレーを強制することはできないと訴える大松監督に、選手たちは「私たちは青春を犠牲にしてなんかいない」と叫びます。「今こそが青春だ」と。
とはいえ、ドラマで描かれている以上に、結婚適齢期にスポーツに身を捧げることには葛藤もあったようです。主将の河西昌枝さんは、せめてもの抵抗として爪を伸ばし、透明のマニキュアを塗って女性らしさを大切にしていたのだとか。監督に「爪を切れ」と言われても頑なに伸ばしていたそうです。
葛藤はあっても、最終的にはバレーを続けることを選んだ選手たち。きっと世間の後押しもあったのかもしれませんが、そのためだけに続けることを選んだのではないでしょう。彼女たちは自分ではない誰かのためにバレーをやっているつもりもないし、引き際を決めるのは自分自身。
今回、「いだてん紀行」では「東洋の魔女」の谷田絹子さんのインタビューが放送されました。
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