幕末期、近藤勇や土方歳三、沖田総司など数々の歴史上の有名人を輩出した新選組。局長の近藤勇が下総国流山で降伏し、斬首の刑に処せられたのち、土方は榎本武揚らとともに蝦夷地へ移り、1869(明治2)年5月、当時、旧幕府軍の拠点であった五稜郭にて降伏。


こうして1863(文久3)年の「壬生浪士組」の結成以来、続いた新選組は6年2か月の歴史に幕を下ろしました。

さて戊辰の役が終わると、世の中は官軍で活躍した人々が支配する時代になりました。戊辰の役の際、新選組として先頭に従事し、生き残った隊士たちはその後どんな人生を歩んだのでしょうか。

幕末を生き残った隊士たちの中でよく知られている人物が永倉新八と斎藤一の両名です。

永倉は明治以降、松前藩へ帰藩。藩医である杉村松伯の娘と結婚。そのまま杉村家の養子に入り、「杉村義衛」と名乗りました。後に新選組の供養塔建立や『新撰組顛末記』の上梓など、新選組の事績をこの世に残すことに尽力しました。

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前列中央の人物が永倉新八

一方、斎藤一のほうは会津戦争の際に会津藩士として降伏。謹慎ののちに東京へ移り、「藤田五郎」という名前で警視局に勤め、後は東京師範学校の守衛を務めました。

幕末を生き残り明治時代の世をたくましく生きた新選組の元隊士たち


斎藤一

箱根戦争まで戦った島田魁は、降伏の三年後、京都にて剣術道場や雑貨商を営み、1886(明治19)年からは西本願寺の夜間の守衛をも兼務しています。

島田には、「新政府で働かないか」という誘いもあったそうですが、「若くしてこの世を去り、地下に眠っている友人たちはどうするのだ?」と返答し、断固として官職につくことはなかったそうです。


幕末を生き残り明治時代の世をたくましく生きた新選組の元隊士たち


島田魁

他にも「安倍七号」というリングの栽培に精を出した阿部十郎や、横浜市会議員、神奈川県議員を歴任した近藤芳助(川村三郎)、小学校の用務員として働いた山野八十八(やまの やそはち)、戊辰戦争の御陵衛士の墓碑を建立した篠原泰之進などそこには多様な人生模様があったようです。

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時代そのものは変わってしまっても、元隊士たちの心の中にはいつまでも新選組時代の経験が深く刻まれていたのかもしれません。

参考

  • 永倉新八『新撰組顛末記』KADOKAWA
  • 歴史ナレッジ.com

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