日本初の株式会社といわれる亀山社中を前身に持つ「海援隊」坂本龍馬の暗殺後はどうなった?

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「日本初の株式会社」と称される亀山社中を前身に持つ「海援隊」。幕末期における混とんとした時代に結成された団体と比べて亀山社中がユニークだったのはその利益の上げ方。

薩摩藩から資金提供を受けたうえで経営を亀山社中が行うという現在でいえば、株式会社のようなシステムでしたが、これは当時の日本においては非常に画期的なことでした。

そして、「株主」を薩摩藩から土佐藩に変えて生まれたのが海援隊というわけです。

ところが、です!本格的な経済活動を行なおうという矢先に坂本龍馬が暗殺されてしまいます。龍馬の指揮のもとに海援隊が活動できたのは、わずか半年にすぎませんでした。

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海援隊を率いた坂本龍馬

龍馬が暗殺された際、海援隊の所属隊士は京都と長崎に分かれて活動していたが、かろうじて存続はできました。

龍馬の秘書室長だった長岡謙吉は、1868(慶応4)年1月、官軍の一員として海援隊の同志たちと瀬戸内海に浮かぶ塩飽諸島を訪れ、一帯を鎮めることに尽力。高松藩の居城である高松城の接収なども行います。

これらの統率により、同年4月には長岡が海援隊の二代目隊長に就任しましたが、新宮馬之助や陸奥陽之助(陸奥宗光)、佐藤与之助、伊東祐亨など、隊士たちが新政府に出仕していたため、同年閏4月、株主である土佐藩からの通告によって海援隊は消滅してしまいます。

その後、龍馬と仲の良かった岩崎弥太郎は海援隊から船や水夫などを譲り受け、三菱財閥の初期の基盤であった海運業を成功させました。龍馬の遺志を岩崎が引き継いだというわけですね。

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龍馬の遺志を継いだ岩崎弥太郎

その後、弥太郎の築いた三菱の海運会社は日本郵船と合併します。日本郵船の社旗こそ、白地に赤二本線を配した海援隊の旗と同じなのは、龍馬の遺志が、海援隊、三菱と経て、日本郵船に引き継がれていったことを意味しているのです。

参考

  • 平尾道雄『坂本龍馬 海援隊始末記』(2009年 中公文庫)
  • 磯田道史『龍馬史』 (2013 文春文庫)

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