そう思いがちですが、どうやら少し違うようです。
さて、高い徳を積んだお坊様は死後どうなるのか、とある禅僧のエピソードを紹介したいと思います。
■120歳までパワフルに生きた唐の禅僧・趙州和尚
今回の主人公は日本から西へ海を隔てた唐(とう。中国大陸の古代国家)の禅僧・趙州従諗(じょうしゅう じゅうしん)。
大暦十三778年に曹州(現:山東省)で生まれ、幼い内から出家して南泉普願(なんせん ふがん)に師事。
趙州和尚、Wikipediaより。
やがて大悟(たいご。悟りを開くこと)して普願の法嗣(ほうし。仏法の継承者)となり、還暦を迎えると修行の旅に出て、禅の境地をより深めていきます。
20年の流浪を経て趙州(現:河北省)の観音院を終の栖(すみか)と定めたため、みんなから「趙州和尚(じょうしゅうおしょう)」と呼ばれるようになりました。
そこで40年間もの永きにわたって禅の思想を広めますが、独特なユーモア(皮肉?)を効かせた説法は「口唇皮禅(こうしんひぜん)」と呼ばれ、禅界に異彩を放ち続けます。
そして乾寧四897年、120歳という伝説的な長寿を誇って大往生を遂げると、真際禅師(しんざいぜんじ。真実に際まる≒近づいた者、の意)と諡(おくりな=贈り名。生前の功績や偉業を示した称号)されたのでした。
60歳で修行の旅に出ようとするだけでも凄いのに、その旅が20年にもわたり、更に定住してからも40年間生き続けたパワフルさに脱帽です(きっと「ピンピンコロリ」だったことでしょう)。
■功徳を積んで地獄に堕ちる!?趙州和尚の珍問答
そんな趙州和尚がある日、檀家からこう尋ねられました。
「和尚様のように功徳を積まれた方でしたら、きっと来世も人間に生まれて来られるんでしょうね」
檀家とすれば高僧として名高い趙州和尚をヨイショしておこうと思ったのかも知れませんが、和尚はそっけなく答えます。
「うんにゃ、わしの来世はロバか犬じゃろうな」

趙州和尚の来世(イメージ)。
檀家は内心「そう言いながら、本心はもっと持ち上げて欲しんだろうな」と思いながら続けます。
「またまたぁ~、そんなご謙遜を……ではそのまた来世は?」
檀家が再び尋ねると、趙州和尚はさも当然とばかりに答えます。
「……そのロバや犬のひり出した、屎(くそ)にたかる蛆虫(うじむし)じゃよ」
いやいや、いくらなんでも謙遜が過ぎる……いささか辟易した檀家は、ちょっとムキになってきました。
「和尚様のように功徳を積まれた方がそんな境遇なら、私ども凡俗は一体どうなってしまうのですか!和尚様は亡くなったら、極楽浄土へいらっしゃるのでしょう?」
檀家の顔色などいっかな構わず、趙州和尚は鼻で笑って答えます。
「そんなもの、地獄行きに決まっておろうが」

地獄でのたうち回る亡者たち。Wikipediaより。
功徳を積めば(地獄ではなく)極楽浄土に行けて、来世も(万物の霊長と信じる)人間に生まれて来られる……そんな期待に仏の教えを信じる檀家にとって、これほど絶望的な宣告はありません。
「そんなバカな!和尚様ほどの方が地獄に行くとしたら、私たちはいったい何を希望とすればよいのですか?!」
死後、自分が「極楽浄土に行けるか、地獄に堕とされるか」が現代とは比較にならないほど死活問題だった時代ですから、檀家の嘆き悲しみようは尋常ならざるものだった事でしょう。
ほぼ半狂乱にすがりつく檀家に、趙州和尚は微笑を湛(たた)えて答えました。
「……わしが地獄へ行かなんだら、誰がそなたを救うんじゃ」その静かな声と穏やかな表情に秘められた済度(さいど。仏が迷い苦しむ衆生を救うこと)の決意を感じ取った檀家は、たちまちにして悟ったとの事です。
【原文】我地獄に入らざれば誰か地獄に入らん
■終わりに
僧侶が俗世を離れて煩悩を断ち切り、厳しい修行に明け暮れるのは「自分が極楽浄土に行くため」「来世も人間に生まれてくるため」と言った「我欲」ではなく、あくまで迷える衆生を済度するため。

仏の慈悲は、救われるべき者たちにこそ。
極楽浄土に仏がいるのは当然ですが、むしろ衆生が煩悩にまみれてもがき苦しむ地獄にこそ、仏は必要とされているのではないでしょうか。
「人生の最も苦しい いやな 辛い 損な場面を真っ先きに微笑みを以って担当せよ」誰もが「得をしたい、楽をしたい」と願い、その極致である「極楽浄土」「人間としての来世」を見返りとして功徳を積む中で、あえて地獄を選び、損な役回りを引き受けようとする趙州和尚の生き方は、私たちに何かを訴えかけるようです。
※小原国芳(おばら くによし。明治二十1887年生~昭和五十二1977年没。教育者)
参考文献:蔡志忠『マンガ 禅の思想』講談社+α文庫
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