■前回のあらすじ

近年、戦国時代の武士たちは「馬から下りて戦う」のが当たり前で、「騎馬合戦は絵空事だった」などとする言説が散見されますが、決してそんなことはありません(少なくとも、武士たちはそれをよしとはしていません)。

左手で手綱を操り、右手に槍を奮ってこそ大将のあるべき姿……安房国の戦国武将・正木弥九郎時茂(まさき やくろうときしげ)は幼少の頃からそう主張して鍛錬を重ね、数々の武勲を上げて「槍大膳(やりだいぜん)」の異名をとったのでした。


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「戦国時代の騎馬合戦は絵空事」説に異議!武士らしく馬上で武勲を立て「槍大膳」と称された武将【上】

■「槍大膳」の嫡男・正木信茂の武勇伝

……さて、そんな弥九郎の気風はその嫡男である正木大太郎信茂(だいたろうのぶしげ。天文九1540年生まれ)にも受け継がれ、永禄四1561年に父が亡くなると、若くして家督と「大膳亮」の官途を継承。数々の戦に武功を立て、父に劣らぬ「槍大膳」ぶりを発揮しました。

そんな「槍大膳」の最期は永禄七1564年1月、後世に言う「国府台合戦(第二次)」。房総半島に侵攻してきた関東の雄・北条氏康(ほうじょう うじやす)の軍勢と激突します。

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次々と敵将の首級を上げる槍大膳(イメージ)。

ここでも大太郎は馬上で槍を奮い、緒戦で先鋒の大将・遠山丹波(とおやま たんば)と富永三郎左衛門尉(とみなが さぶろうざゑもんのじょう)をはじめ、北条方の猛将たち(高木治部 山角越前 中条出羽 太田四郎左衛門 池沼三河 浜名近江)を刃の錆と討ち取る大殊勲。名もなき者を含めると、20から50ばかりも首級を上げたと言われています。

この戦闘で北条方の損害は700、対する里見方は300ほどと言われ、緒戦は里見方の優勢に終わりました。

しかし、これに気を良くした里見軍は油断して「これだけ痛めつければ、今日のところはもう攻めては来るまい」と、飲めや歌えやどんちゃん騒ぎ。日中の疲れもあって、ほとんどの者が泥のように眠りこけてしまいます。

そして案の定、反撃のチャンスを虎視眈々と狙っていた北条方が夜襲をしかけ、里見の陣中は大混乱に陥りました。


一振りの太刀、一領の具足に二、三人が取りすがって奪い合い、ほとんど裸で太刀だけ持つ者、鎧は着たものの素手で敵に向かっていった者など、ほとんど勝負になりません。

「戦国時代の騎馬合戦は絵空事」説に異議!武士らしく馬上で武勲を立て「槍大膳」と称された武将【下】


北条軍の夜襲を受け、逃げ惑う里見軍(イメージ)。

「御屋形様、ここは我らが食い止め申す!早うお逃げ下され!」

大太郎をはじめ、多賀新九郎(たが しんくろう)、菅谷源次郎(すがや げんじろう)、本間佐助(ほんま さすけ)と言った歴戦の勇士たちが北条方の大軍に敢然と立ち向かいます。

北条方の中山新蔵、平沢源太、山名八郎、瀬川小平六、宮崎助六と言った名高い武将たちを次々と討ち取るも、あえなく玉砕。享年25歳の若さながら、天晴れ「坂東武者の鑑」に相応しい最期を飾ったのでした。

■終わりに

以上、「槍大膳」父子二代の武勇伝を紹介してきましたが、これらの武芸は彼らが特別だった訳ではなく、戦国乱世に生きるものであれば当然に心がけるべき修練でした。

近年では「実際に馬上で槍(に見立てた棒など)を扱ってみたが大変だった。こんな状態では武士たちも到底戦えなかっただろう」という主張も散見されますが、それはあまりに武士たちを侮った物言いではないでしょうか。

ちょっと片手間で「馬に乗り、長物をいじってみた」程度の現代人と、「敵を殺さねば自分が殺される」極限状況下の武士を同列に見なすこと自体がナンセンスです。

少しでも高い位置から、リーチをとって攻撃することの優位性は、真剣に「闘った」ことがある者ならば容易に理解できます。

そこに人馬一体の機動力が備われば申し分なく、技術的に困難ではあっても、習得するだけの価値がある(戦場における生存率を高める)ことは言うまでもありません。

「戦国時代の騎馬合戦は絵空事」説に異議!武士らしく馬上で武勲を立て「槍大膳」と称された武将【下】


すべては勝つため、生き残るため。
人馬一体の機動力でユーラシア大陸を震撼せしめたモンゴル騎兵。Wikipediaより。

もちろん、殺し合いなんてしないに越したことはありませんが、殺さねば生きていけなかった厳しい時代の人々を、現代の平和に慣れた価値観から安直に解釈してしまうのは、先人たちが血を以て書き記した歴史に対する誠実さが損なわれてしまうように感じられます。

【完】

※参考文献:
佐藤正英校訂/訳『甲陽軍鑑』ちくま学芸文庫、2013年8月5日 第3刷
稲田篤信『里見軍記・里見九代記 里見代々記』勉誠出版、平成十一1999年5月20日 初版

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