そもそも「府」とは、軍事・政治の拠点や大都市のことで、もともと大政奉還後に明治政府が、幕府直轄地のうち奉行が支配した土地や開港した港などを『府』、代官の支配地を『県』と称したのが始まりでした。
1868年、京都府をが設置されたのを皮切りに、江戸府、神奈川府、奈良府、大阪府、長崎府など、当初は10か所ありました。その後、神奈川府が設置されてからわずか2カ月足らずで神奈川県に変わるなどし、地方制度や境界線はめまぐるしく変わりました。
翌年、政府は「京都、東京、大阪以外は府と呼ばない」という内容の太政官布告を発令。「府」は、3都市のみの呼称となりました。その背景には、江戸以来、最重要地だった3都市を、他と「別格扱い」する狙いがあったようです。
さらに現在の23区に相当する地域は東京市として扱われ、市長もいました。そのため、東京府知事と東京市長の権限争いや二重行政がみられました。
ところが、太平洋戦争中に「二重行政はよくない、戦争に勝つためにも一致団結しなければならない!」ということから、1943年7月1日 東京都制により東京府と統合されて東京市は廃止。35区は「東京都」の行政区となりました。
戦後は、地方自治法の施行で「府」の立場は「都」「道」「県」と対等となり、名称だけが引き継がれることになったのでした。
行政上は消えてしまった「東京市」ですが、当時の人たちは、そのまま痕跡を消してしまうのはフェアではないと考えたのでしょう。
また、「都民の日」である10月1日は、一般市制による東京市発足の日に因んでいたりと、東京市の痕跡を偲ぶことができます。
- 『東京府のマボロシ -失われた文化、味わい、価値観の再発見』
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日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan