江戸時代、体を売っていた女性を「遊女」や「花魁」と呼びました。しかし、呼び名はこれらだけではありません。
銭湯だと「湯女(ゆな)」、路上では「夜鷹(よたか)」、尼の恰好だと「売比丘尼(うりびくに)」など。そして、船で商売する女性を「船まんじゅう」と呼んだのです。

船まんじゅうは、海上や河川での交通が発達していた江戸の町ならではの娼婦だといえるでしょう。人が集まれば自然と商売する人が増えていくように、同じく体を売る女性が通ってくるようにもなります。

そして、「船まんじゅう」と呼ばれる娼婦が誕生したのです。船まんじゅうと呼ばれる理由は、表向き「まんじゅう」を売っていたからだといわれています。

■船でひと回りする間に商売していた船まんじゅう

船まんじゅうは川岸で客に声をかけて、話がまとまれば客を船に乗せて水上へ船を出します。彼女たちが乗る船は、2人か3人程度しか乗れない狭い船でした。

また、船まんじゅうしか乗っていない船もありましたが、船頭が乗っていれば、ひと回りの時間は船頭のさじ加減だったそうです。そのため、30分の場合もあれば、1時間のときもあったとか。

江戸時代、船でひと回りする間に体を売る女性「船まんじゅう」値...の画像はこちら >>


盲文画話より(国立国会図書館デジタルコレクション)

船まんじゅうは最下級の遊女なので、30分でも1時間でも値段は32文だったそうです。ちなみに、32文は現代の価値にすると800円だとか。
同じく最下級といわれる夜鷹の相場が24文だったので、夜鷹よりは少し上だったのかもしれません。

江戸時代に色を売っていた「夜鷹(よたか)」はとってもハード!下層社会の現実とは?

■船まんじゅうの中でも有名だったお千代

最下級の娼婦である船まんじゅうですが、そんな中でも有名になったお千代という船まんじゅうがいました。江戸時代の風俗や珍しい話をまとめた書物「只今御笑草」に、「ぽちやぽちやおちよ」という言葉が残っていることから、よほど印象深い娼婦だったのでしょう。

江戸時代、船でひと回りする間に体を売る女性「船まんじゅう」値段は800円だった!?


間合俗物譬問答より(国立国会図書館デジタルコレクション)

実際に江戸でのお千代はなかなかの知名度を誇っており、あの平賀源内も「お千代伝」という書物を残しているほど。あまりにも有名になりすぎて、お千代は船まんじゅうの代名詞として江戸の人たちに知られていたのだそうです。

参考書籍:江戸を賑わした 色街文化と遊女の歴史

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