仙台城本丸を起点として、伊達家の主要神社を線で結ぶと、みごとな六芒星が浮かび上がりました。この星形は左に15度の傾きを持っており、その傾きに合わせて主要道路(奥州街道、定禅寺通り、柳町通など)と町割りがなされているのは一目瞭然です。
この傾きには重要な意味がありますが、のちほど解説していきます。

当時の思想の基本となる学問に「陰陽五行」や「易経」という占いがありました。これらの思想では十二支にいろいろな意味を持たせています。
子(ね)は、方角は北、季節は冬11月、他に「水」の意味がある。子は十二支の始まりであり、冬至の時期とも重なり、これから太陽がエネルギーを増していくイコール太陽が生まれ変わる「誕生」に結びつき、1年の始まりという考えがあった。
午(うま)は、方位は南、季節は夏5月、「火」という意味がある。冬至とは逆に夏至を含んでおり、徐々に昼が短くなっていき、太陽が衰退していくことを「死」と意味づけられた。
この’子’と’午’を結ぶと”子午(ねご)”と呼び、誕生と死を表すことになり、仏教の輪廻転生から発想された’再生’を願う呪術となります。
【三合の理(さんごうのり)】

仙台の街には多くの呪術が施されていますが、特に子午の呪術を見ると城下に現れた六芒星の意味がわかってきます。北を頂点とした三角形と、南を頂点とした三角形が重なって六芒星を形成しています。
易経では、誕生・盛ん・死の三種の変転を生(せい)・旺(おう)・墓(ぼ)とした「三合の理」というものがあり、それを十二支へ配当して図で表すと正三角形を描きます。この時、北を頂点とした三角形を「子の三合」、南を頂点とした三角形を「午の三合」と呼びます。
このふたつを重ねると六芒星となり、子午の呪術と考えることができるのです。

子午の三角形を先天易で「天・地」と見ると、城下の人を加えれば「三才」が完成することになります。
【近畿の五芒星】
唐の都長安を模倣して、日本に本格的な都が作られたのは奈良の平城京です。その後都は京都に移り平安京となりますが、この時代に活躍した陰陽師に安倍晴明という人がいます。(仙台出身の羽生結弦選手が演じた「SEIMEI」ですね)
天皇が政治の中心にあったとき、国の機関に陰陽寮というものがあり、いわゆる国家公務員であった陰陽師たちは、中国古代の陰陽五行説と密接な関連を持つ天文学、暦学、易学、時計、占い等を仕事としていました。
都に結界を張るのも陰陽師の重要な役目です。「近畿の五芒星」は、日本神話に登場する五か所の聖地を結んだレイラインですが、世界的にも類を見ないほどの巨大さです。

星形を作る一辺が111km。当時の測量技術からして天文観察によるものと考えられますが、それにしてもこの正確さは驚異的です。
仙台の六芒星は一辺が約4kmですから、日本地図上で比べてみるともはや「点」にしか見えません。六芒星は、ユダヤ教では神聖な図形としてイスラエルの国旗にも描かれダビデの星と呼ばれていますが、日本でも古来より五芒星や六芒星は、魔除けの図形として用いられてきました。
伊達政宗公は、安倍晴明の子孫である土御門家(つちみかどけ)の当主を仙台に招いて接待したという記録が残っているようで、六芒星の結界を張るために陰陽師を呼んだのではないかと想像します。
また、京都五山を模して仙台にも北山五山を配していますし、六道の辻もあり、政宗公の街づくりはかなり京都を意識していたと思われます。
正室の愛姫は豊臣秀吉の人質として京都の聚楽第に住み、愛姫と政宗の第一子である五郎八姫(いろはひめ)も京都で生まれ育ちました。伊達政宗の美意識は、安土桃山文化の影響を受け、寺社建築にも取り入れられています。
結界は、怨霊悪霊や魑魅魍魎(ちみもうりょう)など姿の見えない敵から城下を守るための「呪術」です。
現代においても除夜の鐘、節分の豆まき、雛流し等々呪術は身近に存在していますが、都を守る結界というものは、今も生きているのだろうか。
【その2 へつづく】
参考:星の街仙台
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan