大震災などの災害の後には、物騒な事件や真偽不明のデマが起こりやすくなります。
東日本大震災の直後には様々なデマのチェーンメールが流れましたが、関東大震災後にも「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んだ」というデマが流れ、多くの朝鮮人や、日本人なのになまりがあったり貧しくて学校へ通えず字が読めなかったりで「朝鮮人ということにされた」人が殺されました。
新型肺炎のデマで混乱…。日本における過去の有事で流れた「とんでもないデマ」
2020(令和2)年4月現在も、新型コロナウイルス流行の関する様々なデマやSNSでの個人攻撃に、多くの人が苦しんでいます。
このような絶望と物騒な空気に包まれる「有事」の最中には、思わず「あれっ?」と2度見してしまうようなものが現れることがあります。
■「金庫破り」が商売に!?「マスク屋」も大繁盛
関東大震災直後の東京では、奇妙な光景が見られました。
「金庫破り」
と大きく書かれた旗を持った人が、震災後の焼け跡を歩き回っていたのです。
「金庫破り」という言葉から多くの人が想像するのは、頑丈な金庫を工具類でこじ開けて中の金品を強奪する「強盗」のイメージではないでしょうか。
そんないつ逮捕されてもおかしくない物騒な稼業の人が、わざわざ「自分は金庫破りです」という旗を掲げて堂々と出歩いているなんて、実に不思議な光景ですよね?
でもこの「金庫破り」は、決してそのような稼業ではありませんでした。この人の仕事は、震災後の火災で焼け残りはしたものの、壊れて開かなくなって持ち主が困っている金庫を開けることだったのです。
その他、新型コロナウイルスの影響でまさに品薄状態が続いているマスクを売る商売も、この時期やはり大繁盛しました。

焼け跡の瓦礫を片付ける際にホコリやすすを吸い込まないようにすることと、まだ暑い9月1日に起こった震災だったため、犠牲になった人の遺体が放つ臭いへの対策で必要だったのです。
■有事は生活様式にまで影響を与える
また飲食店の形式も、関東大震災の前と後で大きく変わりました。
それまでの飲食店といえば、土間から靴を脱いで座敷へ上がるスタイルが普通でした。

当時、この現象を
安易さに流れることに慣れた行き方の所産(『東京百年史』より)
と嘆く人も多かったようですが、実際は多くの人々が余震や2次災害に怯えていたからこそ起こった変化なのでしょう。
新型コロナウイルス流行による緊急事態宣言で、これまで対面でしかできなかった多くのサービスが「今こそオンラインに切り替えよう!」という流れになってきています。
ダンスやスポーツの指導など、完全にオンラインだけで行うことはできない職種も存在する事実にどれだけの人が気付いているかは分かりませんが、有事は時として人々の生活様式にまで、大きな影響を与えるのですね。
参考:「ザ・歴史トリビア」西沢教夫:著
日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan