■ただの備品置き場ではなかった「行燈部屋」

吉原をはじめとする遊郭には、最も華やかな張り見世や遊女たちの生活する部屋の他にも、様々な部屋がありました。

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その中でもちょっと面白いのが「行燈(あんどん)部屋」でした。


夜、遊女と客が過ごす部屋の照明は行燈の明かりだけで、それを昼の間しまっておくための部屋があったのです。

江戸時代、妓楼の「行燈部屋」では病気の遊女を療養させたり支払...の画像はこちら >>


Wikipedia/行燈 より

けれどもこの部屋、ただ備品をしまうだけの場所ではありませんでした。
その他にも様々なことに使われ、時には妓楼の壮絶なドラマの舞台となることもあったのです。

■病気になった遊女を療養させる

この時代の妓楼の遊女に対する待遇は、現代なら「パワハラ」と呼んでもいいほど、ひどいものでした。遊女には性病など「遊女だからこそかかかりやすい病気」がいくつも存在しました。

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しかし病気になったからといって、彼女たちが仕事を休むことは原則できませんでした。
病気だからと休んでいると、妓楼の主から「仮病を使って怠けるな!」と罵られ、見せしめとして折檻されることさえありました。

また遊女自身が多額の身代金のかたに売られてきているという事情もあり、彼女達は病気を患っていても働き続けるしかなかったのです。

そして病気が悪化して使い物にならなくなった遊女は、行燈部屋に寝かされ「養生」させられました。

「養生」といっても、手厚い看護が受けられたわけではありません。ろくに食事も与えられず、空腹に耐えかねて客の食べ残しを食べようとした遊女が厳しい「お仕置き」を受けて死亡する事件も起こりました。

ここまで過激な事態にはならなくても、行燈部屋でそのまま亡くなる遊女は、決して少なくなかったようです。


■支払いの滞った客を閉じ込める

また行燈部屋には、遊女だけでなく客が入れられることもありました。たとえば、客が代金を支払えなくなった場合。

使いの者やお供がお金の工面をしている間、逃げないように客をここに閉じ込めることがありました。

江戸時代、妓楼の「行燈部屋」では病気の遊女を療養させたり支払いの滞った客を閉じ込めていた


また客に「お供」の者がいた場合、行燈部屋がその者を1晩泊めるための待機場所となることもありました。

■遊女の恋人をこっそり隠しておくことも…

遊女たちは若い女性ですから、恋人がいることも当然ありました。しかし彼に、必ずしも金銭的な余裕があるとは限りません。

こんな場合、遊女が彼を行燈部屋に隠しておいて、妓廊で働く人々が寝静まった夜中にこっそり会いに行くことがありました。

江戸時代、妓楼の「行燈部屋」では病気の遊女を療養させたり支払いの滞った客を閉じ込めていた


これは妓楼用語で「横に行く」「横番を切る」などと呼ばれ、いわば「遊女の情夫が、他の客の揚げた遊女と密会すること」でした。バレたら、ただでは済まなかったでしょう。

遊女にとって真剣な恋愛は、文字通り「命がけ」だったのですね。

名前だけ聞くと「物置」のようなイメージの行燈部屋で、吉原ならではの事件が起こることは、決して珍しくなかったことでしょう。

参考
・『浮世絵に見る江戸吉原』佐藤要人:監修 藤原千恵子:編/河出書房新社
・吉原で常態化していた、遊女へのパワハラがむごい
・コトバンク『横番を切る』

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