京都、江戸、仙台に見られる「四神相応の地」は、土地全体を見て自然環境エネルギーの充満する大吉相の地と判断され、長く繁栄する場所が決められました。
恐るべし伊達政宗!キトラ古墳の世界観が仙台城下には隠されていた
大地が発するパワーを感知して城を建て、治水工事を行い城下を守るために北東に寺社を置き鬼門封じをしました。
■鬼門とは
北東から鬼がやってくるのを防ぐために、二人の神様を門番に置いて都を守る、という中国から入ってきた考え方です。
本場中国では艮(うしとら)は物事が生じ変化する門、新風が通る場所であり、変化、交代、改革などの意味合いもあるようですが、日本では独自の解釈によって忌むべき方角とされてきました。
鬼は、頭に角、虎皮のパンツというスタイルですが、これは「丑うし」「寅とら」が接する45度の部分が北東の鬼門であるところからきています。
桃太郎は、鬼退治に行くために猿、雉、犬をお供にしました。陰陽五行説で西は”金”の方角、十二支で西に属するものは申・酉・戌、そして桃も西に属します。
桃太郎は鬼の財宝(金)を持ち帰るために、同じ西に属する仲間を選び、験を担いだのです。
江戸城の場合 徳川家康は、江戸城の鬼門に寛永寺、神田明神、浅草寺を置き、裏鬼門には増上寺、日枝神社を置いて、これでもかと霊的な守りを固めました。
また江戸の鬼門として水戸を、さらにその先には仙台があります。(仙台が江戸の鬼門であるかもしれないという推理は©星の街仙台によるオリジナルの創作です)
家康の側近南光坊天海は、陰陽道、風水学の知識を持っており、江戸の町の都市計画を初期から完成まで関わり、城の本丸の場所や鬼門も家康に助言したとされます。
仙台城の場合 伊達政宗は仙台城の公式鬼門として、定禅寺を筆頭とする寺社群を幕府に報告していました。が、その先には仙台東照宮があります。
政宗にとっての陰陽道、風水学の知識は、幼少時からの教育係だった虎哉和尚、そして伊達の三傑のひとり茂庭綱元と思われます。
城下の六芒星は左に約15度の傾きを持っていますが、この傾きが無ければ、正確な鬼門方位を取ることができなかったことがわかります。
政宗以前に、国分氏が支配していた時代では、仙台城のある青葉山には国分氏の城があり、よってその鬼門に天神社があったということになります。
不思議なことに、仙台城の裏鬼門は、史料もなくいまのところだれにもわかりません。
【その2】はこちら
参照:星の街仙台
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