華やかで艶やかな美貌と、高い教養を持ち合わせた、江戸時代の吉原の最高級の遊女・花魁。現代でも「花魁変身」が大人気ですが、当時も浮世絵になったり、最新のファッションの発信元になるなど、みんなの憧れの存在でした。
そんな花魁には、吉原ヘ売られてきた女性の誰もがなれたわけではありません。実は「花魁候補」は、子供の頃から既に選ばれていたのです。
■「花魁候補」になれる禿の条件とは?
10歳くらいまでに吉原に売られてきた少女たちは「禿(かむろ)」として花魁の身の回りの世話をしながら、吉原でのしきたりや廓言葉(いわゆる「ありんす言葉」)を身につけます。
その中で、容姿などから楼主やおかみが将来の花魁候補と見込んだ禿は「引き込み禿」となり、芸事や教養などの英才教育を受けるようになりました。

花魁と新造/画像出典:Wikipedia
引き込み禿は15歳前後になると、花魁見習いの「振袖新造」となり、花魁について接客などのノウハウを学ぶようになります。花魁の客が被った時には「名代」といって、花魁の代わりに客の相手(ただし客は振袖新造に手を出してはいけない)をすることもありました。
そして振袖新造が17歳になると、晴れて正式な遊女として客を取るようになり、その後は「昼三」「付廻し」などと呼ばれる高級遊女へとステップアップしていきました。
高級遊女になるための第一歩は、まずは引き込み禿となることだったのです。
■花魁になれない禿はどうなるの?
当然と言えば当然ですが、禿の中には「花魁候補」に選ばれない子もいました。
その場合、彼女たちはどうなるのでしょうか?
「引き込み禿」に選ばれなかった禿や、10歳を過ぎてから吉原へ来たなどの理由で遊女としての十分な教育を受けられなかった遊女は、15歳になると「留袖新造」となりました。
振袖新造と留袖新造の違いには
・服装(振袖新造は振袖、留袖新造は留め袖を着ていた)
・振袖新造は17歳までは客を取らないが、留袖新造は15歳になると客を取らされる
・留袖新造は高級遊女には上がれなかった
などがありました。
振袖新造より早くから客を取ってはいたものの、まだひとり立ちはできず、姉女郎である花魁についていました。
ここまで見ると、最高級の花魁になれるかどうかは原則として吉原に売られてきた年齢と、楼主に将来性を見込まれるかどうかにかかっているように思えます。
しかし勝山のように、湯女(私娼)から逮捕されて吉原に身柄を引き渡された後に最高位の太夫にまで上り詰めた例もあります。
もぐりの私娼から江戸吉原のトップ「太夫」にまで上り詰めた伝説の遊女「勝山」
勝山のような遊女はかなりの少数派でしょうが、中には意外な経歴を持つ遊女が大ブレイクした例もあったのかもしれませんね。
参考
- 【花魁道中とは?】遊女が最高位に就くための道のりと遊郭のしきたり
- 性的に早熟にならざるを得なかった「禿」の過酷
- 遊郭に関わる専門用語の説明/カクヨム
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