アマビエ(Wikipediaより)
実はこのアマビエにはルーツとなる妖怪、アマビコがいるといわれています。
■3本足の猿?
アマビコは天保15年(1884年)に、越後国(新潟県)の海から光る姿で突然現れました。
そして、鳶(トビ)ようなの声で「この年にたくさんの人が亡くなる。自分の姿を書き写し、それを見るものは病から逃れられるだろう」と伝えたという記述とともに、3本足の猿のような挿絵が描かれていました。

アマビコ(Wikipediaより)
また、明治8年8月14日、「東京日日新聞」には不思議な紙の絵を祀る村民のようすが取材されています。
とある人が、新潟県の越後湯沢駅周辺の家々に3本足の獣の絵が貼られていることに気づきます。不思議に思って地元の人に尋ねたところ、「天日子尊(アマビコ)」のお姿だという答えが返ってきました。
実はひと月ほど前に、異形のものが田んぼの中に立っており、「我は天日子尊なり」と名乗ると、7年間の凶作と人口の減少を予言したのだそうです。
そして、それを免れるには自分の姿を写して家に貼り、朝夕祀りなさいと仰せられたとのことでした。
アマビコのような特徴を持つ異形は、他にも「尼彦入道(あまびこにゅうどう)」や「アリエ」など、名を変えて新聞で報道されています。

アリエ(Wikipediaより)
出現場所や名前、細かな容姿は違えど、「凶作や疫病の予言をすること」「避けるためには自分の姿を写してそれを祀ること」がセットとなっており、アマビエもこの一種ではないかと考えられます。
■商売上手、現る
明治14年10月20日「東京曙新聞」には、異形の札を商いする商人の話が記載されています。

明治14年は、不安定な情勢が続いていた時代でした。その不安もあってか、世界消滅のうわさが流れていたといいます。
そんなときに、葛西金町の豪農の家に、3人連れの男が現れました。男たちは怪物が描かれた絵を数枚持っており、これは天彦様の御影であり、拝めば災いを避けることができると言ったといいます。
アマビコは妖怪というよりも神さまとしての性格を持っていたと推測されます。
現在でも、アマビコの派生と考えられるアマビエの姿はさまざまなイラストや漫画、はたまたスイーツなども販売されており、その勢いはとどまるところを知りません。
時代が変わっても、健やかに生きたいという人間の切なる願いがある限り、アマビコは姿を変えて我々の前に何度でも現れてくれるのかもしれませんね。
参考文献:湯本豪一編『帝都妖怪新聞』角川ソフィア文庫 平成23年8月25日刊
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