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滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」【その1】
滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」の伝説【その2】
滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」の伝説【その3】
滅亡した主家再興に生涯を捧げ”山陰の麒麟児”と呼ばれた武将「山中幸盛」【その4】
山中鹿之助幸盛 月岡芳年画「芳年武者无類」
Wikipediaより
■幸盛死後の山中家と尼子家
1571年に生まれ、黒田家の養子となっていた嫡男・幸元は8歳で父・幸盛を亡くした。その後黒田家は滅び、以降の幸元の正確な足取りはわかっていない。
最終的には大叔父である「山中信直」を頼って、伊丹(兵庫県)に落ちの伸び養育されたとされる。幸元は武士の身分を捨て酒造業で成功し、後の「鴻池財閥」の始祖となった。
一方の尼子家は、勝久の血筋は再興運動失敗によって途絶えたが、当主であった「尼子義久」とその兄弟は毛利氏に捉えられた後、配流生活を送りながら長らえた。子孫は知行を許され長州藩や水戸藩に仕官したという。
■幸盛の逸話
幸盛は尼子家再興に尽力した10人の武将からなる「尼子十勇士」の中心人物である。十勇士の名称が初めて現れるのは1677年に発行された「後太平記」であり、幸盛を含め4名の名前を確認することができる。
現実的に十勇士なるものが存在していた確証はない。後世の創作である可能性もあるが、「山中幸盛」「秋上宗信」「横道秀綱」の3名は実在が証明されており、尼子家再興に尽力したことは確かである。
幸盛の通称である「鹿介(しかのすけ)」の由来は、兄に変わって家督を継いだ際に譲り受けた三日月の前立てに鹿の角の脇立ての冑から取られたものであるという。
■墓所
幸盛の墓所は京都や山陰地方に点在している。
最後の地「阿井の渡し」にある幸盛の墓(Wikipediaより)
「観泉寺境内の墓(岡山県高梁市)」は幸盛の遺体が引き取られ埋葬された寺であり、位牌も安置されている。
幸盛の首は毛利輝元の元から、広島県の福山に送られたと考えられており、「静観寺山門前の首塚(広島県福山市)」には観泉寺と同様に位牌が存在する。
主家である尼子家の再興に生涯を捧げ、若くして散った山中幸盛には「山陰の麒麟児」と異名が付けられている。「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈ったとされる幸盛。その生涯は悲運の英雄として今も広く語り継がれている。
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