今回はそんな中から、中世のとある法的価値観を紹介。なかなかのギャップが味わえることでしょう。
■転がり込んだ「とばっちり」
今は昔、ある所に茶屋を営んでいた男がおりました。そこへある日、傷だらけの男が転がり込んで来ました。その男は他所で喧嘩騒ぎを起こして刃傷沙汰に及んでおり、相手の抵抗を受けて負傷したようです。
事情を知らない茶屋の主人がうろたえていたところ、その男は深手を負っていたようで、治療をする間もなく息絶えてしまいました。
「いったい、何事じゃろうか……」
男の闖入と急死、そして役人が押しかけたことにより、現場は一時騒然となった(イメージ)。
すると間もなく役人がやって来て、死んだ男を発見。事情を説明したところ、役人は主人を連行。そして「寄宿の咎(とが)」により、茶屋を検断(けんだん)されてしまいます。
※『大乗院寺社雑事記』より。
検断とは「検(あらた)め、断ずる≒判決を下す」ことを意味しますが、中世社会で家屋や建造物などを検断する場合、その結末はたいてい破却か焼却、あるいはその両方(破却の後に焼却)でした。
(※まれに身分の高い者の邸宅や寺社など、軽々に手が出しにくい場合は検封≒使用禁止処分が下されたこともあったようです)
要するに、主人は茶屋を破壊され、あるいは焼き払われてしまったのですが、いったい主人にどんな非があって、こんなとばっちりを喰らったのでしょうか。
■罪=ケガレという価値観
ここで主人が罰せられる理由となった「寄宿の咎」とは何か、事態の経緯を振り返りながら調べてみましょう。
(1)男が喧嘩で負傷、逃亡した。
(2)男が茶屋まで逃げてきて、絶命した。
主人はただ現場(茶屋)で罪を犯した男の死に居合わせただけですが、それが悪かったと……言うことのようです。

喧嘩で負傷し、罪にケガレて転がり込んできた男(イメージ)。
中世社会において犯罪はケガレ(穢れ)と見なされており、その処分は当事者に対する懲戒(刑罰)以上に、現場や社会を浄化することが重視されました。
つまり、喧嘩の罪にケガレた犯人がやって来た時点で茶屋もケガレてしまっており、浄化するために検断されてしまったのでした。何だかエンガチョみたいですね。
このような判決は殺人のような重罪犯に対してもしばしば見られ、斬首や磔(はりつけ)などの極刑に処してしまうと、その殺生によって新たなケガレを生み出してしまうため、領内からの追放処分などが下された事例が多くあります。
※古くは日本神話において、スサノヲノミコト(須佐之男命)が機織り女を死なせてしまった時、高天原(たかまがはら。天上の世界)を追放された例を見ることが出来ます。
現代人の感覚では「死刑にされなくてラッキー」と思うかも知れませんが、当時は村のコミュニティから外れて生きることが非常に難しく、一度追放されてしまえば十中八九は野垂れ死ぬばかりでした。
ともあれ転がり込んだ罪に穢されてしまった茶屋は、あっけなく検断されてしまったのです。
■終わりに
犯罪はあくまでも当事者のみが責任を負うとする近現代的な法律感覚と異なり、罪は社会のケガレとして、当事者のみならず深く関わった土地や建物までも浄化(≒破却、焼却)する中世の価値観に、土地と離れて生きていくことが難しかった時代の厳しさを感じられます。
※参考文献:
勝又鎮夫ら『中世の罪と罰』講談社学術文庫、2019年11月
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