戦国史上でも人気の高い合戦の一つ、川中島(かわなかじま)の戦いがどういう戦いだったのかを振り返るシリーズ最終回です。前回に引き続き第四次川中島合戦の経過を見ていきましょう。


これまでの記事

永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その1】

永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その2】

永遠のライバル!武田信玄VS上杉謙信の川中島の戦いを改めて振り返る【その3】

■キツツキ戦法

上杉軍1万2千に対し、武田軍は2万兵。この数を見て、武田側の軍師・山本勘助らが提案したのが「キツツキ戦法」でした。

キツツキが木をつついて驚いて飛び出てきた虫をとらえるように、武田の2万の兵を本隊と別働隊に分け、別働隊に妻女山を攻めさせ、上杉軍が驚いて山のふもとの八幡原に降りてきたところを本隊が迎え討ち、別働隊と前後で挟み撃ちにするという作戦です。

■どんでん返しの合戦当日

永禄4年(1561年)9月9日、早速別働隊1万2千兵が妻女山に出発。武田本隊8千は八幡原で上杉軍が逃げ降りてくるのを待ちます。

そして来たる9月10日。午前8時頃、川中島を包む深い霧が晴れた時、なんと目の前にはいるはずのない上杉軍が!これには信玄率いる武田軍本隊もびっくりして慌てふためきます。

なんと武田軍の動きを察知した上杉軍は、夜の間に密かに妻女山を下り、千曲川を対岸に渡って八幡原に布陣していたのです。

軍師・山本勘助のキツツキ戦法!武田信玄VS上杉謙信の川中島の...の画像はこちら >>


第4次川中島の戦い Wikipediaより

■信玄VS謙信一騎討ち!

上杉軍は動揺する武田軍を次々に撃ち破り、ついに信玄の本陣に上杉謙信が自ら馬に乗り斬り込みをかけました。謙信は信玄に三太刀も斬りつけますが、信玄はなんと軍配でこれに応戦。、側にいた武田兵が謙信の馬を刺すと謙信はそのまま引き上げていったとか。

ここまで追い詰められていながら、武田信玄なお強し!

■決着はいかに

妻女山がもぬけの殻なのを見て、キツツキ戦法が失敗したと気がついた武田軍別働隊1万2千兵は急いで八幡原に駆けつけます。


なんとか午前中に間に合った別働隊は、残っていた本隊とともに上杉軍を挟み撃ちにし、反撃を開始。結局形勢不利となった上杉謙信は、兵を引き犀川を渡河して善光寺に敗走しました。

武田軍も午後4時には追撃を止めて八幡原に兵を引いたことで合戦は終わったのでした。

日本の文化と「今」をつなぐ - Japaaan

編集部おすすめ