■アマツキツネからカラス天狗へ
天狗についての日本最古の記述は『日本書紀』にあります。舒明九年(西暦367年)、都の空を東から西へ横切った大彗星を見て、中国から帰ってきたばかりの僧、旻(みん)が「流星にあらず、これ天狗(アマツキツネ)なり」と言いました。つまり古代中国では、天狗とは流星や彗星を指す言葉だったのです。
その後300年以上、天狗に関する記録は途絶えます。そして平安時代になってやっと天狗は、「天狗すだま」「天狗こだま」と呼ばれる、山に棲む一種の物の怪として登場します。
12世紀中ごろに成立した仏教説話集『今昔物語』において、今まで目に見えない妖怪だった天狗に可視的要素が加わり、カラスのような頭部と空を飛ぶ羽根が印象的な「カラス天狗」が誕生します。
当時の天狗は仏法に対立する存在とされ『今昔物語』においてもことごとく比叡山の僧侶に撃退される形で登場します。天台宗の仏法の威力を証明するために利用されたともいえます。一方で、牛若丸に剣術を教えるなど仏法の擁護者としての側面もありました。
■怨霊から大天狗へ
南北朝時代に入ると天狗は仏敵から怨霊へと変化し、朝廷や公家社会をおびやかす、政争の敗北者としての性格を持つようになります。例えば『保元物語』では、乱に敗れた崇徳上皇が生きながら天狗となり天狗の首領として登場するのです。当時は怨霊が乱世を操り演出しているような認識があったのでしょう。
室町時代末期、天狗の外見に大きな変化が現れます。
それまでの半人半鳥のような姿にかわって、赤ら顔に長い鼻、一つ歯の高下駄、葉ウチワといった特徴をもつ大天狗(鼻高天狗)の登場です。その創始者は狩野元信とされ、京都の鞍馬寺が所蔵する「鞍馬大僧正坊図」が最古の鼻高天狗の図像とされています。
■隠し神としての天狗
江戸時代になると、天狗の存在を信じて疑わなかった平田篤胤などに研究されるようになり、特に「神隠し」との関連で語られることが多くなります。現代なら誘拐、家出、遭難などと推測される失踪事件が天狗の仕業とされ「天狗隠し」と呼ばれました。
「天狗隠し」らしき事件は平安時代ごろから文献上に現れ、なんと昭和の初期まで信じられていました。他にも古くから「天狗倒し」「天狗つぶて」といった言葉があり、説明不可能な気味の悪い出来事を正体不明な天狗のせいにすることがよくありました。

月岡芳年 「芳年略画 天狗之世界」
■失われた異界
天狗や鬼などの隠し神を信じることは、人々が人間の住む世界の外側にある「異界」すなわち神の領域の存在を信じていたことを示しています。というのも、神隠しに遭遇して生還した者たちがみな、体験談の中で「異界」の様子に触れているからです。それは極楽浄土であったり竜宮城であったりします。
天狗隠しの場合の「異界」とはその棲みかである山です。深山幽谷にひそんで自由に空を駆け、様々な験術で人間を驚かす大天狗は、そのいでたちからして役小角を開祖とする修験道および山岳修行者(山伏)との関連も無視できません。
山野を離れ都会に暮らすようになり神観念や山への畏怖の念を失った現代人は、失踪事件の原因を人間世界の中に求めるようになりました。
もはや天狗が介在する余地はなくなってしまったのです。
この情報は助かる!吸血鬼はニンニクだけど、天狗は青魚で撃退できるというライフハック
〈おもな参考文献〉
「天狗と修験者 山岳信仰とその周辺」宮本袈裟雄/人文書院
「神隠し 異界からのいざない」小松和彦/弘文堂
「天狗考」知切光歳/涛書房
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