「り」

一文字だけ返って来たメッセージの文章。いきなり何なんだと思ったら、これは「りょうかい(了解)」を意味する最近流行り?の略語なのだそうです。

あまり若くない筆者はこういう軽いノリの略語でのやりとりがあまり好きではないのですが、過日、国立公文書館(@JPNatArchives)さんが、鎌倉時代の短編物語『鳴門中将物語(なるとちゅうじょうものがたり)』からこんな事例を紹介していました。

「御ふみをひろげて見るにこのくれにかならずとある文字のしたにをといふ文字をたゞひとつ墨ぐろにかきて……(後略)」

※作者不詳『鳴門中将物語』より。

帝(後嵯峨天皇)が女房から返って来た手紙を広げてみると、「この暮れに必ず(来てね)」と書いた部分の下に「を」と一文字が墨で黒々と書かれてあったそうです。

この「を」とは「YES」を意味する略語なのだそうで、その後、女房は返事通り帝の元へちゃんとやって来たそうです(やって来た女房と帝が何をしたかは、ご想像にお任せします)。

ちなみに男性の場合は「よ」の一文字が「YES」を意味するとの事ですが、逆に「NO」だった場合はなんて書いていたのか(あるいは、そんな選択肢はあり得なかったのか)気になります。

畏れ多くも帝に対する通信ですから「めんどくさくて略した」のではなく「なるべく人に知られたくない」ための符丁・暗号の類だったのでしょう。

■『鳴門中将物語』についても紹介

補足ながら『鳴門中将物語』について解説すると、鎌倉時代に成立した短編物語で、作者は不詳。作中の和歌より「なよ竹物語」とも呼ばれることもあります。

今は昔、後嵯峨天皇(第88代。在位:仁治三1242年~寛元四1246年)に見初められたとある少将の妻(なよ竹の君)は、機転によって夫の中将昇進を実現しました。

マ?鎌倉時代にも使われていた一文字略語がTwitterで話題...の画像はこちら >>


「よいではないか」後嵯峨天皇に見初められた少将の妻(イメージ)。

世の人々は「内助の功」を称え、また「よき妻(め)」を持った中将を羨んで、よき布(め=ワカメ)の産地である鳴門(なると)を冠して「鳴門中将」と呼ぶようになったのでした……というストーリーです。

(※その理屈で行けば、もしこれが北海道での出来事だったら「利尻中将」とか「羅臼中将」になったのかも知れません)

作中にはちょっと「マ?(マジ=事実とは俄かには信じがたいor理解しがたい意の略語)」と思ってしまう部分もありますが、数百年の歳月を隔てて、自分たちとの共通点や共感できる部分を発見できると、昔の人たちにも親近感を覚えますね。

※参考:
鎌倉時代に若者的な略語?女房が帝に「を」と返事 国立公文書館のツイートに注目
鳴門中将物語

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